2022年11月21日月曜日

心は活動的


心は活動的だ。

常に何かを作り出し続けている。


これが神の子のゆえんなのだろうか。腐っても鯛なのだ。


ところが何と一緒になって作っているのかが問題。


ほとんど自我と一緒になって作り事をしているのだ。

いや100パー自我と、と言っても過言ではないだろう。


そもそも聖霊と一緒に創造するってことがなんなのか知らない

(すっかりコン抜け落ちている)のだから。




自我と一緒に何を作り出しているのか。

この世のことである。


朝目が覚めた瞬間から、この世界のことをどーしたこーしたと語り始める。

そもそもこの世界は自我が作り出した仮想世界。

だから自我がそれを推ししないわけにはいかない(笑)。


そのために恐れが利用される。

「こうなったらどうする?路頭に迷ったらどうする?」

「え。。ヤダ。。」

「だろう~?だからこうやっておくのさ。」

と、私を奴隷にさせる。



活動的とは、常に何かを作り続けていること。

恐れを作り続けているか、愛を創り続けているか。


恐れは時間と空間を生み出した。

知覚はそれをとらえる。

時間と空間ができたから知覚ができた?

知覚ができたから時間と空間が生まれた?

わからん。

しかし真の知覚というものがあるらしい。


だけど自我と一緒に何かを作り出している限り、真の知覚とはなり得ないようだ。



時間は恐れを生む。


心を見ていると、いかに時間の中にいるかわかる。

未来の心配だ。

過去の怖かったことを思い出し、未来に備えるのだ。


これが世界を作出する。

世界は時間と空間と恐れと罪悪感に満ちている。


なんで?

自我と作ってるからだー。


ワッセ、ワッセと、四六時中、自我と一緒に、

荒ぶる妄想の世界を作り出している。



ちょっと待ったーっ!


そのワッセワッセをやめる。


もう自我ではなく、聖霊さんと一緒に創造する。


で、聖霊さんの創造とは?


わからん。

おそらく愛なのだろう。(あてずっぽうかい!)


そうなのだ。神の子の創造とは、今の私にはちっともわからない。

永らく自我さんとご一緒させていただいていたのでね。


だけどこいつじゃないとわかる。

こいつはあかんやつだ。



自我と一緒にいたら、いつも時間の中にいる。

過去に罪を見て、未来を恐れる。


今とは、過去から未来へのただの通過点にする。

「今?大したことない。ないない。そんなもの」と、軽くあしらう。


自我にとって今は一番ヤバいこと。

一番なかったことにしたいもの。

推しはやっぱり過去と未来。




でも違ったんだ。

今というものは、とんでもないしろものだった。


今には時間がない。


今には出口と入口がある。

妄想からの出口と実在への入り口。



今の中に静かにいる。

真っ白で何の形もない光の中に。


そこに私の忘れていた創造がある。


なんかわかんないけど、
そこに心はいつも触れていたい。





絵:「秋の山」けんぽ表紙イラスト






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