イラストレーター家業にはつきものの不安定性。
一人暮らしの母への安定した仕送りのために、3年前からバイトを始めた。
もっと稼げてたらこんなバイトはせずに母に仕送りが出来るのに。
わたしは落ちこぼれ組だ。。。
という自分へのレッテル貼りで苦しんだ。
イラストの仕事とはまったくちがう食料関係のバイトについた。そこで働くうちに、この社会のいろんなものをちがう角度で見る。社会はいかに儲けることを中心に動いていることか。
編集部の人にいつも言われて来た売り上げの話は、正直実感がもてなかった。
それはフリーランスで一人だけで作るせいでもあるかもしれない。
絵は時間を削って作るものではない。時間をかければいいモノができるという話しでない。時間とはちがうものが使われる。
だが時給で自分の時間を削ってお金を貰う仕事をすると、現場の雰囲気が伝わってきた。
もっともっとと際限なく続いていく利益追求。
そしてそれに巻き込まれる現場で働く人々。
ちょっと儲かってはよろこぶ。
冷静に考えれば、自分のフトコロには入らない。せいぜい従業員のボーナスがちょっとだけ上がる程度。
バイトする側は、単に負担が増えるばかり。ただ「売れた!わ~い!」って、その場が盛り上がるだけ。
その一瞬の達成感だけが彼らを支える。
完売すると、もっと作る。すると売れなくて余る。最初に売れた分だけでとどめておけばいいのもを、さらに作るから余る。結局ロスが出る。
人件費材料費などをあわせれば、大したもうけにはならないというか、プラマイゼロ。なのにしのぎを削って働く。人々は時間内に目標量を納めるために、必死で働く。どんどん仕事が速くなる。するとがんばれば出来ちゃうもんだから、さらに仕事を増やす。
そこに残るのは、一瞬の達成感と、巨大な疲労感だ。それがえんえんと続いていく。
なのになぜそんなに人はがんばるのか。
私たちは小さい時から、つねに何かをやってほめられて来た。
「つくしちゃん、これやったの!えらいわねえ~」と。
「つくしちゃん、なんにもしなかったの~。そう~えらいわねえ~」
とはいわれてこなかった。むしろ
「こりゃあ~!ぼーっとしてるな!なんかせんかー!」
と、怒られて来たから。
一件、単純なことのように思うが、これが人々の中に深ーくしみ込んでいる。何もしないでいることができない。ぼーっとしていると、心の中がそわそわしてくる。おしりがむずむずしてくる。
「いかんいかんぼーっとしてたら!なんかしなければ!」と。
これの延長線が利潤追求だ。儲かったら、もっと儲ける!売れたら、もっと売る!
次から次へとあたまの中で生まれてくる目標に向かって、必死でそれを越えていこうとする。
そして残るのは、ガソリン切れ。ぱたっといく。
そういうものをみさせてもらった。
そこから気がつくのは、自分自身のこと。私の中にあるもっともっと。欠けているものを埋めようとする心の習慣。イラストの仕事が減ったことによる焦燥感は、何かをやって人に認めてもらいたいという承認欲求から来ていた。
人に認めてもらうことが自分がいていいと思えるとは、つまりえんえんと人の目を気にして生きることになる。
これはまったくきりがない。
人に認めてもらうためにがんばる。
そしてガソリン切れ。
死ぬまで続く欠乏感。
そのことに気づかせてもらったバイトに感謝する。
人生は、ただ不幸にも、偶然にもいやなことが起こっているわけではないようだ。
その中で何に気づいていくか、
そっとどこからか提供されている。
いったい誰に?
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