2017年9月16日土曜日

千社札「ぱっ!」



こないだっから、レッテルはるのをやめてみている。
自分のもそうだけど、人へのレッテルもやめてみた。

だんなへのレッテル、かーちゃんへのレッテル、人へのレッテル。。。
くわー、いっぱいあるわーーー。
お寺や神社にべとべと張ってある千社札みたいなもんや。
あるわあるわ。はり過ぎて、その人が見えなくなるくらい!

千社札は、あれは「おれ、参上!」って意味らしいけど、
レッテルはりは「おまえ、これ!」って意味やな。

んで、その千社札。。。あ、ちがうわ、レッテルはりは、その人の存在感を強くする。

「あいつはああ言うヤツや。。」と、レッテルをはる。
そういう色眼鏡でそいつを見るから、そのように見える。
で、「ああ、やっぱりそうや。。」と、確認する。
そしてまた次も同じようにそれを見て確信し、
さらにそのレッテルはずしりと重く、
びくりともしない不動のものとなる。

最初は紙で張っているレッテルも、だんだん信憑性を帯びてくると、厚紙になり、木になり、レンガになり、鉄板になる。今度はそれをコンクリで固め。。。。
てなかんじ。

じつはその重ーいレッテルも、気のせい。
そのよーにみてるから、そーみえているだけなのじゃ。

相手に与えているレッテルを、「ぱっ」って、消してみる。
親指で人差し指と中指と薬指をおさえといて、いきおいよくはじくように、手をひらく。
「ぱっ!」

そこには相手に対して、なーんも知らない自分がいる。
相手は、何だか軽い存在になってる。それでも視覚の中で動いている。その動く様子に、何の解釈もなくなっている。けどことは勝手に起こっていく。


相手にレッテルをはっていると、重くて存在感があり過ぎで、心の中をいろんな思いがめぐっていたのに、「ぱっ」とときはなつと、軽くなる。相手が視覚の中で何をしようと気にならなくなっている自分に驚く。

なーんだ。
相手の問題じゃなかったんだ。
自分がただ重くしていただけだったんだ。

「ぱっ!」


絵:「ミステリマガジン」扉イラスト

なんでこれを出したかって?
なんとなく。。。w




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