銀行に行って残高を見た。
相変わらず少ない。
まだニューヨークに行く前、銀行の預金通帳の数字は、増えて行く一方だった。見る度におもしろいほど、どんどん増えて行くのを見ていた。
日本に戻って、今度は減って行く体験をした。
どんどんどんどん減って行く。おもしろいほど(うそだな。怖かったな)消えていった。いつもゼロに近い所でウロウロ。よくもまあ、生きていってるもんだ。
漠然とキャッシングコーナーで残高を見ていたとき、
「わたしはお金と言う数字をふやす遊びをしていたんだ。。」
と、気がついた。
そして今度は、減って行く遊び。
そんなゲームを楽しんでいた自分がいたのだ。
「お?と、ゆーことは?じゃあ、また増やす遊びをしようか♥」
と思った時、
と思った時、
「遊びは二度と繰り返えせない」
という直感が。
という直感が。
人はなぜお金を増やそうとするのか?
それは「お金は何にでも使える。あればあるほど、それにこしたことはない。あればあるだけ、しあわせになる」というような、当然のようにこびりついている概念があるからだった。
しかし今、お金が少なくても困っていない。
畑など、ほとんどお金を使わず、好きなように遊ばせてもらっている。気に入った本を買うお金も、近所でコーヒーを飲むお金も、食べたいおかずを買うお金もほどほどにある。今のわたしにちょうどいい具合に必要な分だけがそこにある。
じゃあなぜもっと欲しいのか。
未来を想定するのだ。
もしこんなことがあったら、もしものときのために、今起こっていないことのために、わたしはもっと必要だと、おもっていたのだ。
未来を想定するのだ。
もしこんなことがあったら、もしものときのために、今起こっていないことのために、わたしはもっと必要だと、おもっていたのだ。
ただの無意識的に、誰もがそうするから、もっとあったほうがいい、と考えていたのだ。
ある人が言っていた言葉を思いだす。
「残高気にするから、減って行くんだよ。残高のことなんか忘れろ。
増やすことばっかり考えるから苦しいんだよ。
そして使う分を減らせ。そしたらことは勝手に動く」
増やすことばっかり考えるから苦しいんだよ。
そして使う分を減らせ。そしたらことは勝手に動く」
数字が増えるゲーム。
数字が減るゲーム。
どっちも外から見ている自分がいた。
絵:「40代から仕事で巻き返す技術」/表紙イラスト
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