2016年12月14日水曜日

いつか症候群


「いつかわたしも○○になれたら、しあわせになれる」

そう思い続けている人にあった。
だが彼女の現実はまったくそれとは違う場所にいた。
物質的にも精神的にも、その夢とはほど遠い場所にいた。気の毒にさえ思えた。
だがそう思い続けることによって、現実の自分をなぐさめていたのだ。こんな場所にいる私ではない。本当は特別な才能を持った私なのだ。。。。と。

そのとき、はっとした。
これはわたしではないのか。
いつか○○になったら、私はしあわせになれると、おもっているではないか。。。

人はしあわせになるために条件を付ける。
いつかCDをだせたら、ミュージシャンになれてしあわせになれる。
いつか本を出版したら、作家になれてしあわせになれる。
いつか大金持ちになれたら、わたしはしあわせになれる。
いつか個展を開けたら、私は画家になってしあわせになれる。
いつか挿絵が雑誌に載れば、私はイラストレーターになってしあわせになれる。

さて。現実はどうだろうか。
ちっともしあわせじゃなーい!

どうも私たちは、アレにヤラレている。
おとぎ話症候群(そんなもんあったっけ?)。
「いろいろ苦難がありましたが、最後には王子様と結ばれて、ずーっとしあわせに暮らしましたとさ。おしまい」の、お決まりのパターンだ。
そうなれたら、永遠に安定する幸せが待っていると、そう小さい時にカッキーンとインプットされた。

だがきっと、そのおとぎ話にはつづきがあるはず。
王子様とは性格の不一致で、いつもケンカばかり。その上姑が最悪。ほどなくして城内別居が始まりました。3人の子供も不登校になり、家族みんな、それぞれの部屋でひきこもりましたとさ。おしまい。(いやいや。おしまいじゃないって。)

と、このよーに、物語は、えんえんと続いていくのだ。
終わりなど、ないのだ。
ミュージシャンになれておしまいでもなければ、作家になれておしまいでもない。
大金持ちは大金持ちの苦悩があり、ミュージシャンや作家や画家には、売れるか売れないかの苦悩があり、イラストレーターには仕事が来るか来ないかの苦悩がありつづける。


冒頭の彼女は、ある意味幸せなのかもしれない。
なぜなら、それになれたときの苦労をしらないからだ。永遠に夢を見続け、自分を特別視しつづけ、もしそうなったときの、自分の実力を知らされることもない。

イヤ、待てよ。
本当はその実力を知りたくないがゆえに、ひたすら「いつかそうなれたら。。」という立ち場に立ち続け、本気でそうなることを本当は望んでないのだとしたら。。。

人はなんと狡猾なのだ。

私もまた、そうであることに気がつき、がくぜんとする。


絵:ラブロマンスペーパーバック表紙イラスト

1 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

アメリカの大富豪(つまりいくら金儲けて)が、催眠療法受けたら、赤ん坊の時に「この子は地下子にはなれないよ、やせっぽちだし・・」って乳母さんから言われていたことが分かった。
つまりそのだ富豪は一生使いきれないくらいのお金を儲けても不全完があって、もりもりお金儲けに励み続けた。ということらしい。
このくらいでいいんじゃね??
と思えれば、それで幸せなのではないですかね。