2014年5月17日土曜日

きらえばきらうほどついてくる



海の中でうんこをする。
水をかいて汚物からはなれよーとする。するとなぜか知らんが、うんこは自分を追っかけてくる。あせってさらに水をかいて逃げる。するとうんこはず~~~~~~っとついてくる。
(とゆー、誰かの話だ)


これは深い真理だ(なんつーたとえや)。
イヤだとおもっているもんは、なぜかイヤだと思えば思うほど寄ってくるのである。
うんこは自分が出したものだ。つい10秒前まで自分のからだの中にあったものが、からだの外に出ただけだ。なのに出たとたんそれをきらう。

このきらうという感情が、ことの混乱を生んでいる。
うんこ→きたない。
きたない→きらうべし。
きらい→逃げるべし。
逃げる→追いかけてくる。
もっと逃げる→ず~~~とついてくる。

これ、日常でいつもやっている。
だれかをきらう。きらえばきらうほど、そいつはいつもそばにいる。あの手この手を使って逃げる。やっとその誰かさんからはなれる。すると、また似たよーな性格の第二のだれかさんに出会う。あなたはまたきらう。するときらえばきらうほど、その人はいつまで~もそばにいる。

元々うんこはあなたの中にあった。それが表に出ただけだ。だれかをきらうというアイディアは、あなたの中にあった。それが表に出ただけだ。

だれかをきらうというには理由がある。それはあなたの中に、それは人としていけないと思うことから来る。つまりだれかに「こんなことをするのはいけないことだ」と教わったからだ。
そしてうんこはきたないものだと教わったからだ。

もし、うんこはきたないもの、と教わらなかったらどうなるのか。
「あ~ら、たみこちゃん、うんこでたわねえ~」
「うふふ」
「よかったわね」
「うふふ」
彼女の心のアイディアに、うんこはきたないもの、とインプットされただろうか。うんこについて拒絶は起っただろうか。

ある日たみこちゃんは海の中でうんこをする。
ぷかりと浮いたうんこをじっとながめる。うんこは静かに海流に乗って彼女からはなれていく。おわり。

私たちは、うんこはきたないものと教わっている。するとうんこやきらいなものはずっとつきまとうのだろうか。いや、たみこちゃんと同じことをすればいい。ただそこにじっとしているだけでことは運ばれていく。

私たちは、イヤなものを排除しようとする。
こまったとき、とっさに「どうしよう!」という。これは「どうにかしなければ!」と言ってる。そのどうにかしなければいけないとおもうがゆえに、混乱の中で水をかき回すことによってそこに渦ができ、うんこがそこでクルクルするのだ。

たみこちゃんはうんこをみつけても「どうしよう!」とおもわないから、水をかき回すこともなく、うんこは海流に乗って去っていく。

溺れる!と思うと必死で水をかくが、かけばかくほどからだに力が入って沈んでいく。力を抜けばそのまま浮く。

わしらは困ると、なにかしようとする。それは不安だからだ。なにかしてないととんでもないことが起ると信じて疑わない。それはずっと小さいときから「ぼーっとするな」といわれたし、「なにかしていないといけない」と思い込まされてきたからだ。

だけどなにかすればするほどどつぼにはまる。
やってやってやり尽くして、それでもちっとも結果が出なくて、ぼーぜんとしたとき、ほよ?っとまったくちがうところからアイディアが浮かぶ。
これって、ひょっとしたら、やってやってやり尽くしたから浮かんだものではないんではないか?ひょっとしたら、なにもしなくても、ほよ?と浮かぶんじゃないか?

やってやってやり尽くして、疲れ果てて、何もできなくなって、ボーゼンとするまでやってみるという手はいつもみんながやっていることだ。

だけどたみこちゃんのよーに、ただ何もせずにことの成り行きをながめているという手もありなんじゃないか?

どっちをやってもいーのだ。

ただそこに行き着くまでの使う労力がちがうだけだ。そのエネルギーの消耗ははかりしれないけどね。でろでろになってぜーぜーいって、過去のつらかったことを山のよーに思い出して、不幸のズンドコに陥ることだって人生の醍醐味だ。
人類はそーやって混乱を味わって生きてきたんだ。


だけどちがう道もあるようだ。
やまんばは、たみこちゃん流でやってみたい。
うんこが出たら、うんこがどう動いていくのか、ただ観察するだけにしてみたい。

だって、さんざんあの手この手とやり尽くしたんだもん。もうこれ以上、過去のデータに従ってアイディアを出してきてもしゃあないと思ったんだ。過去のデータは、過去その時使えたものだ。
いや、その過去だってグッドなアイディアは、とつぜん「ほよ?」っとでてきたものなのだ。どっちにしろ、考えて考えて考えて「自分で」出したアイディアじゃなかったんだ。
とゆーことは、これからだって、自分で絞り出すアイディアは混乱しか生まないんじゃないか?


じっとその場に踏みとどまる。
これ、けっこうできなくない?ほとんど条件反射のようになにかしようとしてしまうではないか。
だからこそあえて逃げようともせず、どうにかしようと考えもせず、ただ起きたことをじっと味わうことができたなら、なにかが動き始める。完全手放し。降参。お手上げ。これがわしらの左の脳で考える範疇を超えるものにうながしてくれる。
そんな気がしてきたんだな。

果報は寝てまて。
うんこはながめろ。


2 件のコメント:

まいうぅパパ さんのコメント...

昔どっかの海で、欠片になっても強い毒を持つ程のクラゲを発見、みんなで石で虐殺。海に捨てたのだが、地縛霊となり周辺に漂ってました・・・成仏してくれ!って、波起こして、遠ざけようとしたが、じわじわ近寄ってくる・・・という記憶がよみがえりました・・・

つくし さんのコメント...

ふっ、、ふかい。。。