キホン、いーかげんな、三日ボーズのやまんばが、フカクにもなんだかまじめに書いちゃってんのが、モーニングノート。
今日もこいつのおかげで助けられちゃったもんね。
スンゲーことに気がついちゃった。
個人的なこと書いていーのかな?チョー個人的なことだぞ(いつも書いてるじゃねえか)。いいのかな。。。
まっ、人様にすりゃ、なんてえことないわな。「へ?それだけ?」てなことだな。
じゃあ書く意味ないか。
。。。
とまあ、そんなわけで、モーニングノートはすごいわけよ。
(なんじゃそりゃー!)
不快なことって、突破口なのさ。そこにすごい秘密がある。
人が人生を幸不幸で判断するのは、そこに感情がともなうからだ。人は感情をとおして人生を体験する。人生は感情体験だ。しかしいや〜な感情をウハウハ喜んで受け入れるやつは、悟ったヤツか、ヘンタイぐらいなもんだ。凡人は不快がいやだ。だけどその不快は、チョー個人的なとてつもない秘密を隠し持っている。ここはパンドラの箱。その向こうに何かの突破口がある。
不快は自分を制限させるような、閉じ込めるような、がっちりと閉じられたドアとか、重たいフタみたいなもんだ。人はその中でもがき苦しんでいる。
人が人生を幸不幸で判断するのは、そこに感情がともなうからだ。人は感情をとおして人生を体験する。人生は感情体験だ。しかしいや〜な感情をウハウハ喜んで受け入れるやつは、悟ったヤツか、ヘンタイぐらいなもんだ。凡人は不快がいやだ。だけどその不快は、チョー個人的なとてつもない秘密を隠し持っている。ここはパンドラの箱。その向こうに何かの突破口がある。
不快は自分を制限させるような、閉じ込めるような、がっちりと閉じられたドアとか、重たいフタみたいなもんだ。人はその中でもがき苦しんでいる。
モーニングノートは、その不快を不快として自分で受け止める作業をうながす。書くことによって、それを外に誘い出してくれる。
モーニングノートは、その重たいドアを、銭湯ののれんみたいに、やすやすとくぐれるものに変えていくのだ。
モーニングノートは、その重たいドアを、銭湯ののれんみたいに、やすやすとくぐれるものに変えていくのだ。
するとなんだか、どーゆーふーに作用するのかさっぱりわからんが、ぱたぱたと次の言葉が生まれでたり、頭に「あん?」と何かがふって沸いたり、なんだかが、なんだかなんである。
こりゃ、人に相談するよりも数倍、いや数百倍てっとりばやい。
しかも個人的な心の問題なんて、人にそう簡単に説明できるもんじゃない。あれがこーなって、それがあーなって、っていってるあいだに、
しかも個人的な心の問題なんて、人にそう簡単に説明できるもんじゃない。あれがこーなって、それがあーなって、っていってるあいだに、
「あーもうわかんなくなっちゃった。あたしが言ってる意味わかった?」
「へ?さっぱり。」
と返って来るのがオチじゃねえか。
答えは自分の中にある、なんて名言があるけど、そのまんまやないか!
内側のもんは、内側がよーく知ってるわけだ。それをわざわざ人に伝えるために日本語とゆー翻訳機にかける必要もない。感情的に走り書きしている中で、なんだかがなんだかに変換されていくんだな。
なんだかちっともわからん説明だな。
どーも心の中はなんだかがなんだかなのだ。
絵:「エルザ」表紙イラスト/「ギリシャの部屋」
2 件のコメント:
モーニングノート継続するといいと思いますよ!
あと、前のコメントに対してですが、デロデロのキャラクター化希望です(笑)
はいっ、任務ケーゾクいたします!
でろでろキャラかあ〜。
む、むずかしそーだなー。。。(笑)
コメントを投稿