2013年6月27日木曜日

ダメだしをだし続けている人



やまんばは仕事中、しょっちゅう席を立つ。
コーヒー入れたり、パンを焼いたり、ネットを見たり、山をみてぼーっとしたり。

なんでこんなことするんだろ。
どうしてじっと机に向かってられないのか?

くるしいのだ。
くるしくて、机に向かっていられないのだ。
なぜ?

ふと、ダメだしをする自分に気がついた。
エンピツでスケッチしながら、心が後から後からダメだしをしている。

一つ線を描くごとに、
「それじゃだめだ」
「ああ、その線もだめだ」
「なんてへたくそなんだ」
「その程度のアイディアしかでないのか」
「それじゃきっと決まらない」
「そのアイディアもだめだ」
「いったい何年やっているのだ?」
「いいかげんにしろ!」
「そんなことしていると、仕事干されるぞ!」

やまんばは自分が仕事している最中に、こんな言葉をえんえんと吐き続けていることに気がついた。。。

こっ、、、、これは、くるしいに決まっている!!!
自分がする行為を全て帳消しにしているのだ。落ち着いて座ってられる訳がない。

なんでこんなことしているのだ?なぜダメだしをだすのだ?


いたらない部分を指摘することで、より良くなる。
そう教わって来た。
悪い部分を改善することが、正しい道だと教わって来た。
そうやって50数年生きてきた。
だからちょっとはマシなニンゲンにはなっただろう。

だけど、こんなにくるしくていいのだろうか。人生はくるしいもんである。それがいい人である態度だ。
ほんとにそうなの?
もしもダメだしをやめたら、とんでもないニンゲンに戻ってしまうの?


78歳の母を見る。
彼女の心の中は、自分へのダメだしで一杯だ。
「この足がだめなのよ。この足が。。」
「ああ、歩けない。。」

そうやってダメだしをだし続けていることが、自分を切磋琢磨してより上に上がらせられると信じている。
たぶん、すくなくとも日本人はそう信じているはずだ。

しかしじっさいは、それを言い続けることによって、彼女はより歩けなくなったようにみえる。一番近くでその姿を見てきて、そのダメだしは本当に効果100%なんだろうかと、疑問におもっている。

しかし自分も同じことをやっていることに気がつき、愕然とする。
これは「年いったき。。。」とまったく同じことなのではないか。

自分にだめだだめだと言い続けることは、より良くなるということよりも、その言った通りになるのではないのか。
つまり、ダメな人間に。。。。


そのことばに耳を傾けるのをやめてみた。

ダメだしをする自分のことばを無視してみた。

「デッサンがへたくそ?あっそう」
「そのアイディアがだめ?べつにいーんでないの?」

仕事が進んだ。。。。
机に向かえるようになっている。
くるしくなって席を立つ自分がいなくなっていた。

なんという開放感なのだ。
なんで今まで気がつかなかったんだろう。
ダメだしは、自分に手かせ足かせをはめていただけだったのかもしれない。

ダメだしをしない自分の方が、はるかに自分の現実が引けて見えている。
淡々と仕事をみることができる。
それは感情を伴わないからのようだ。

でもダメだしすると、自分でだした瞬間から感情的になる。
その感情的な視点が、自分への洞察をさまたげる。
心は、わあわあ、きゃあきゃあ、騒ぎだす。

ダメだしは、自分を奮起させてくれる道具でもあるが、いっぽうで、自分をつぶしてしまう道具でもある。

道具はうまく使いこなしたいもんだ。


絵:『カリスマ社長の大失敗』MF新書表紙イラスト
「失敗しない人は挑戦しない人である」
なるほど!
自分のダメだしにつぶされてしまわない人が、この世を渡っていけるのだ!


2 件のコメント:

まいうぅぱぱ さんのコメント...

うちの母親も、同じようなこと言ってる。でも、足痛くなくなったとしても、なんかかんか言うんだろうね。

つくし さんのコメント...

そうなのよ〜。
それが終わったら、つぎこれ、みたいな。
人はどうも、足りないものばっかり探しているような気がするなあ〜。