2012年8月1日水曜日

T君の告白

「おれさあ、気がついちゃったんだよ」
「なにに?」
「今までいろんな人によかれと思ってアドバイスしてきたんだ」
「うん」
「でね、それがほんとは人のためと言いながら、自分のためにやってきたんじゃないかと」
「それはなんで?」
「おれ、そこ知ってる、おまえ、ここがおかしい、こうしたほうがいい。ということで、そのとき上に立ってたってその人を見ていたんだ。おれは人にいいことをしているつもりで、じつは自分でいい気分になっていたのだ。それに気がついたとき、おれはなんてことしてたんだ、とショックを受けた。。。」
「なるほど。。」
「ほんでもっとひどいことに、アドバイスするだろ?」
「うん」
「そのアドバイスした人が、おれの言った通りやっているか、追っかけるんだ」
「へえ?」
「だってそうだろ?いいアドバイスしたんだぜ。おれのいう通りやらないと、あいつ失敗するんじゃないかと気が気じゃないんだ」
「そんなのほっといてやれよ」
「そーなんだよ。ほっときゃいいんだよ。ところがおれはそいつが気になって気になってしかたがないんだ。失敗しちゃったらかわいそうじゃないか。だけどやってないのを確認するだろ?」
「やっぱ、やってなかったんだ」
「そう。そしたら、おれ、そいつをおこっちゃうんだ!」
「あちゃー」

「でもさ、そんな一連のおれの行動はさ、結局自分ってものを巨大にさせてきただけじゃないかっておもったんだ」
「自分を巨大に?」
「そう、それが自我っていったりエゴっていったりするもんさ」
「ああ、エゴの固まりなんていうもんね」
「そう、そのエゴの固まり!まさにおれ!」

「ひえー。だけど、そのアドバイスによって救われた人もいたんじゃない?」
「それはそれでいいんだ。問題は相手がどう反応するかじゃなかったんだ。それは相手に任せることだったんだ。」
「じゃ、なにが問題?」
「問題は、おれなんだ。そのアドバイスによって自分は知っている、わかっているんだ、という優越感をもつ。するとそのいい気分をもっとほしがるんだ。ほら、よく宗教家がやるじゃん、あれ。あれきもちいいんだ。恥ずかしいけど正直そう思う」
「キャー、正直だねー」

「んで、また誰かにアドバイスするだろ?そしてその人の反応を見て、おこったりうれしがったりする」
「いそがしーなあ」
「そうそう、いそがしーのだ。つまりおれは、人に依存してるってことさ」
「依存?」

「だってそうじゃんか。人の反応見て、自分の満足不満足を決めてるんだ。それって自分の幸不幸を人によって左右されているんだ」
「あっ、たしかに依存だ」
「人の反応ばっかり気にして、人に幸不幸をもらう。。それっていつまでたっても自分に満足は持てないってことなんだ」
「なるほどー。。。それってさ、みんなにいえることなんじゃない?」
「そうかもね。。。。人は結局外ばっかり見て、自分の位置をはかっているんだろうな」
「ここにいていい理由。。。みたいなものを、ね」
「そうそう。おれは人に認められて、ここにいていいんだって確認する」

「ほんとはさびしいんだよな」
「ほんとは、みんなといっしょになりたいのだ」
「そのきっかけがアドバイスすることだった?」
「。。。そういうことだったんだな。。。だけどそれによって、ますます自分と他人が大きく隔てられて、ますますお互いがバラバラになる。。。。」
「なんか皮肉だねえ。。。」
「。。けっきょく自我って強くさせてもいいこたあひとつもねえなって思ったよ」

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