2012年7月14日土曜日

自分に貼るはサロンパス

やまんばはいじめられっこだった。
言葉のいじめ、身体でのいじめ、モノでのいじめ、いじめのオンパレード山のごとし!だもんだから、いじめられるとどんな気分になるのか知ってる。

キホン、いろんなことが自分がいけないんだとおもう。自分の顔、身体、性格、能力、出生地、名前。。。およそ考えられる自分に関することすべてが、いけないんだ、まちがっているんだ、とおもう。
すると次に考えつくのはだいたいこうだ。
「自分がこの世にいたら、みんなに迷惑かける。だからいなくなればいいのだ」


ある日誰かが、やまんばをみて「あ、こいつのろまだ」と発見する。
「あ、ほんとだ、こいつのろまだ」とあいづちをまわりがうつ。するとまわりもそんな目で見始める。
するとやまんばは、「あ、あたし、のろまなんだ」とおもう。
その「のろま」ということばには、わるいこと、という焼き印が押されている。遅い、という言葉より、のろまという言葉の方が、「いけないこと」のようなニュアンスが含まれていないだろうか。
自分にそのレッテルをはることが、いかにその人の人生を大きくまげていくのかを、やまんばはそのとき気がつかなかった。

わたしはのろまだ。というおもいは、自分を小さくする。それは「成績が悪い」もそうだし、「どんくさい」もそうだし、「ケンカに弱い」もそうだし「暗い」もそうだし、「変なやつ」もそうだし、「あんたはいっつも3日坊主よね」もそうだ。およそ考えつくマイナスのニュアンスを自分にくっつければ、いつもそのことを気にし始める。

びくびくしながらまわりの人たちと自分を比べ、自分がみんなより劣っていることを確認し始める。そうやって「ああ、やっぱりそうだ、わたしはのろまなんだ」と確信にいたる。
のろまは、みっともないし、惨めだし、人間としてなってないし。。。と心の中がいう。するとたいてい、こそこそビクビク生きることになる。

じつは、そういう仕草はいやでもみんなの目につく。それでなおさら目だち、目につき、みんなをイライラさせる。弱い犬に噛み付く強い犬のように、めためたにされる。

負の連鎖という言葉はだいっきらいなんだが、まさしくこれが、負の連鎖だ。どこが始まりなわけでもない。
最初にのろまなやまんばがいたから、誰かにあいつはのろまだと言われたわけでも、誰かが勝手にのろまでもないやまんばを、のろまだと言い出したから、でもない。原因も結果もない。誰が最初にわるいわけでもない。

ただ、そののろまだと言われたとき、それを自分にサロンパスする必要はなかったのだ。そのだれでもやる単純なサロンパス張りが、それからのちの自分の性格を確実に形成し始める。その恐ろしさに気がつかなかった。

今ちまたで騒がれているいじめ自殺の問題、うつの問題、みんな自分にあらぬサロンパスをはることでおこっている。
「こうでなければならない」という考え、でもこうなれない自分へのいらだち、すると即座にはじまる自分への否定的なサロンパス張り。はじまりはささいなことなのだ。それが巨大になっていくことへの危険性を、誰も指摘して来なかったのだ。

やまんばは、自分の考えの中に、いい、わるい、自分を否定する言葉を見つけていった。
これはいいこと、これはわるいこと、と考えていると、そこに矛盾が起こってきて、にっちもさっちもいかなくなることに気づく。いい、わるい、という考えは、時代とともに変わり、絶対的な価値観ではないのだ。その枝葉のような価値観で自分を測り、しいては自分を小さくする。


たとえば私がAさんに対して、つねに罪悪感を持っていたとする。
「ああ、わるいことしちゃったなあ。わりいわりい」
で、Aさんは、やまんばにそれを思われて何の得があるだろうか。
やまんばはAさんに罪悪感によっておいしいモノを持っていってたとする。でもAさんは、おいしいモノをもらっただけでうれしい。それだけなのだ。
「私ってねえ、あなたに罪悪感を持っているのよ」
と言われた所で、
「はあ、それがなにか?」とうれしくもなんともないだろうし、
「そんな罪悪感でもって、ものを持って来ないでよ!」
と気をわるくするのがオチである。

つまり罪悪感とは、その対象になる人が、そんなものをもたれても、痛くもかゆくも嬉しくもなんともないことなのだ。罪悪感を持っていることは、単に自分にとって「あたしはここまでかんがえているのよ」と自分に言い訳しているだけなのだ。

世の中には、いらないものが多そうである。
いい、わるいという考えは自分を小さくする。罪悪感もちっこい自分にありがたがられているだけで、ますます自分を小さくする。

自分の心の中を観察する。今、なにを考えて、なにに反応して、どう感情を動かしているのか。すべては今現代に貼付けられた条件づけで起こっているものだ。ありがたがって反応するほど大した価値じゃない。反応しているだけエネルギーがもったいない。それが私たちに相当のたがをはめているのだ。


世界は異常気象の様相をていしてきている。
あれもこれもだめ、人間はこんなに弱いんだから、あれをしてこれをして、あれぬって、これぬって、これのんで、これたべて。。。。ってやってるばあいじゃない。

どうも自分の内側に答えがありそーだ。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

まぁ。飲んで忘れる。もしくは飲んで考えられなくしちゃうことですね・・。
身体は壊すけど・・・(笑)

つくし さんのコメント...

飲んで忘れる。
ひるまはどーする?(笑)