2012年7月27日金曜日

言葉は感情を呼び起こす

私たちの心ん中はいそがしい。
目にみることとか、耳で聞く事に、いちいち心が反応し、ぴくんと感情的になる。
「放射能」ってきくと、「あっ、それってわるいこと」って心が言ってるし、
「税金」ってきくだけで、「あっ、それってやだ」って反応してるし、
「上司」ってきくだけで、「おえ〜っ」となる。

言葉は単なる記号でしかない。
なのにそれに反応するわたしたちがいる。それはその言葉にまつわるいろんな情報がその言葉のまわりを包んでいるからだ。「石」と聞いたら、ほとんどの人は反応しない。だけど、尿結石の人が聞いたらぴくんと反応するかもしれない。「机」ってきいたら、おばちゃんは反応しないかもしれないが、受験生にとっては「ああ、うんざり」とおもうかもしれない。
そのように私たちは、言葉のいちいちに反応したりしなかったりする。

なぜそのように反応するのか。
それはそのことばにまつわる人それぞれの物語がよみがえるからだ。
そしてそれには、必ず、
「これはいいこと」
「これはわるいこと」
という、本人が気がつきもしない所で、無意識の判断がおこなわれている。
それを「好き嫌い」とか「拒絶」とか「うざい」と変えてもいい。
どっちにしろ、反応している。

「あした、学校に、7時までに、いかなきゃなんない」
という言葉の中に、反応が入っている。嬉しい反応か。いんや。いやーな雰囲気だ。
「あした」という言葉に、時間を意識し、
「学校」という言葉に、もろもろのイヤな物語を思い出し、
「7時までに」という言葉に、具体的な時間と、それまでに起きなければいけないという倦怠感をくっつけ、
「いかなきゃなんない」という言葉に、強制的な押しつけをかんじている。

じつは「あした学校に7時にいく」だけのことなのだ。そこに諸々のいやな感情をもりつけるから、しんどくなる。


感情は、反応であり、反応は、そこに、いい、わるいというレッテルをはる事から起こる。そのいい、わるいは、本当に必要なことなのか。いちいちくっつける必要があるのか。そのいい、わるいというレッテルが、いろんなものを感情的にさせ、うんざりさせ、しんどくさせ、しいては自分を混乱させている張本人なのではないのか。

近頃ネットを見てて思う。みんながおこりまくっている。ほんのちょっとの意見の違いで、怒りまくっている。
みんなほんとはいい人なのに、ほんのちょっとの違いで、いいのわるいの言い合ってる。みんなそれぞれいい人であろうとするのに、それがちょっと違う視点から言っただけで、悪人にされる。でも、みんないい人であろうとしているだけなのになあ。


言葉は、感情を呼び起こす。だから言葉を使うなと言っているのではないよ。それじゃコインの裏表だ。
そのぐらい言葉は強烈な影響力をもっており、だからこそ、使い方の注意が必要なのではないか。


言葉という箱の後ろに注意書きがあります。
「言葉は、あなたにとって感情の起伏を呼び起こす危険性があります。それに反応している自分に、気がついていましょう」

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

言葉は難しい・・メールも難しいけれど、注意すれば、送信の前に見直せるもんね。
でも「みんないい人であろうとしているだけ」ってのは正しくない気がする。上手いこと言葉を選んで、人を操ってる人はいますよ・・。」

つくし さんのコメント...

うまい事言葉を選んで、人を操っている人もいるよね。正直、それが見えちゃって、頭に来る事もある。
そんな人でも家ではいいパパさんであろうと努力(苦悩か?)してるんかもしれんし、ペットにはやさしかったりするかもしれん。
一部のトップの人間なんかは、クサッチョルのもいるだろうけど、どーも人間はキホンいい人なんだろうなあっておもう。そのいい人であろうの表現が、他人には「うっそお〜」っておもうかもしれんが。
あたしゃあ、世間知らずのバカなんかもね。