2011年11月10日木曜日

希望の木




どこから書いていいのかわからない。
大きな誤解をされるだろうこともわかっている。だから怖くて書けないのかもしれない。「これはこういうものだ」と思われていることを、「ひょっとしたら、ちがうかもしんない」と言うのは恐ろしいことだ。特に小さい頃いじめられっこだったものにとっては、血が凍るぐらいこわい。みんなが私に向かって浴びせた、あの凍りつくような視線。自分だけが置き去りにさせるような恐怖。あの恐怖は、50のおばさんになってもいまだに残っている。それが今の私を作った。

今ハヤリの言葉で言うなら、これから書くことを気に入らない人は、スルーしてくださいヨ。

心の動きというものが、いかに人に影響を与えて来たかということを、深く掘り下げて来たことはないとおもう。心と言えば、道徳観や善や悪に対する考え方、これはいけないことこれはいいことという、いわばおもうということに関する「ルール」のようなものは教わって来た。しかしその教えられて来たルールが心の動きの基準になって、その後のその人の人生に大きく影響を与えている、心のからくりについて教えられて来た記憶は私にはない。

しかし自分の心の動きを調べるうちに、これはとんでもない誤解をしているんではないかと思い始めた。私たちは、心の動きに自動的に振り回されている、心の囚人だ。それは自分で作り上げた心のパターンを受け入れたまま、出会う出来事に瞬時に同じ反応をし、同じ行動をし、同じような結果を導きだす。そしてその同じような反応のまま、その人の人生はその人なりの姿カタチになり、終わっていくのだ。

人はその人独自の心のパターンを自分で作り上げる。バックボーンが凄まじい影響力を持つ。親からもらった言葉かもしれない。悲しい出来事を経験したからかもしれない。ありとあらゆる経験を経て、「これはこうしなければいけないのだ」という自分の基準を設ける。ではこれはこうしなければいけないのだと思う意図は何か。それはこの社会で生きていくためのその人なりのわざを見つけたのだ。
「オレは今までこれでやって来たのだ。間違いはない」という人もいれば、「オレは何をやってもだめなんだ」という人もいる。

私たちは自分の基準の中で生きている。つまり、私たちは自分で自分の世界を形成しているのだ。目の前に展開している世界は、自分というフィルターを通して見ている。そこにはあらゆる感情を揺り動かすものが広がっている。それに反応して行動する人もいれば、何もせず立ち去っていく人もいる。立ち去っていくことも行動だ。私たちはすべてのものにつねに反応している。その反応はパターンをもっている。自動的に同じ反応をするパターンだ。

パターンを生きることは楽だし、安心だ。安心?そう、自分にとっての安心。だから同じ反応をし続ける。あのシーンでは怒るし、このシーンでは泣く。ずーっとそれをやっているといいのだ。だから安心。

しかしそれは相当なエネルギーを消耗している。
「え?なに?パターン化すると楽なんじゃないの?会社に通う満員電車だってパターン化すればつらくなくなるし。」
「ほんと?つらくないの?それはそう思い込もうとしているだけなんじゃないの?」

パターン化すると楽。
これも実は思い込みかもしれない。本当は心の奥深くに自分の感情を押し込めているだけなんじゃないか。毎日感情的になっているのがつらいから、ずーっと沼の奥深くに静めているだけ。。。それを無感覚ともいう。

しかしほんとは奥の方で「この満員電車はいやなんだ」と言っている。だけどもう一方の心が「そんなこと言ったって、やめられるわけないじゃないか。家のローンがあるんだ」という自分がいる。
こうしたくない。
いや、それはできない。
だからこうしたくないおもいを封じ込めなくてはいけない。。。

葛藤がある。私たちには心の中につねに葛藤を呼び起こしている。相反する反応を抱えて、摩擦が起っている。これをエネルギーの消耗と言うんじゃないだろうか。

「それが人生というものさ」
と、訳知り顔の人はいう。
おもいの中で矛盾に苦しみ、エネルギーを消耗させ続けること、それが人生。そのパターンで生きていくことが価値と思う方は、ここから先は読まないでください。



私たちは監獄の中にいる囚人だ。
それはこの社会が作ったものではなく、自分の心が作った監獄だ。パターンという牢獄だ。まさか自分の考えやおもいや反応がパターンをもっているとは、あまり意識はしないだろう。みんなそんなふうに反応するものだ、とおもっている。だがもしみんな同じような反応をするのだとしたら、この世に「なんであんなことするかなあ~」と思ってしまう人はいないはずだ。だがいる。確実にみんな独自のパターンをもっている。
ではその牢獄から脱出するにはどうすればいいのか。
 
つづく。。。



写真:『希望の木』新井満  表紙および本文中の写真/海沼武史

1 件のコメント:

まいうぅーパパ さんのコメント...

つづき、読んでからコメントしよ・・。
とはいえ、どしたのなんかあったの??