2010年7月10日土曜日
草と野菜の共存
八列トウキビがぐんぐんのびてきた。その畝は去年紫花豆と白花豆が育っていたところ。こぼれ豆が残っていたらしい。トウキビに絡み付いて、これまたぐんぐんおおきくなる。今、赤と白の花をつけてとうきびと共存している。あいかわらず北海道の田中さんからもらった種はウチの畑にあうらしい。何でも大きく育つ。食べるために買った虎豆も手亡も植えてみた。虎豆と言えば、高級食材なのに、かわいそーにジャガイモの豆マルチにさせられている。ポリマルチならぬ、豆マルチ。これで草の生えるいきおいを抑えられるか実験しているのだ。こんな状態で虎豆がどんな姿で実を付けるのか楽しみである。
わしらの畑は全然耕さないので、去年のこぼれ種が変なところから出てくる。草刈りをするたびに、
「あれっ、こんなところにトマトの葉っぱ」とか
「げ、大根が」とか
「おお、キュウリちゃんの芽じゃねえか!」
などと、新たな2世の誕生に驚きよろこぶのだ。
だから草刈りもココロしてやらないと、
「あ”〜〜〜、野菜の苗切っちゃった〜〜〜」となる。
そういうわけで、自然農をする人は「野菜目」が出来上がるんだと思う。チッ素たっぷりの緑の濃い一般的な野菜と違って、ウチの畑は草とほとんど同じ若葉色。完全に保護色(?)になっている。だから野菜独特のカタチや感触、彼等から発せられるオーラを読み取らなきゃいかんのだ。いや、しょーじき、双葉の段階で草と野菜は違う。草は小さい時からすでに大人の姿をしている。しかし野菜の双葉はぷっくりと厚みがあって大きいくせに、なんだかたよりなげだ。案の定、そういう双葉は柔らかくってうまいらしい。あっという間に虫ちゃんに食われる。まるで野生動物が生まれた瞬間から立ち上がるのと、人間のように生まれてからしばらくは母親のお世話にならなければ生きていけないのに似ている。
しかしその中でたくましく育つ野菜がいる。どこでどういう取引が行われているんだろうか。残る苗もあれば消えていく苗もある。力の強いものだけが生き残っていくのだ。それを弱肉強食といってどこかで嘆かわしいと思ってしまうかもしれないが、それを嘆かわしいと思うと感情列車に乗ってしまう。もっと大きな視点で見ると、それこそが愛なのではないだろうか。弱い野菜を与えることで虫たちが生き延びる。虫たちは強い野菜には手を出さない。その野菜はやがて大きく育ってまた子孫をつくるのだ。その中に弱い野菜もいて、そしてまたそれは虫たちに与えることができる。彼等は大きな英知の中で生きている。今、私はその大きな英知の中に立っている。これを見ないで何を見て学ぶと言うのだ。本のなかでは学びきれない。彼等の生き方を観察してそれによって何を学ぶかは、私次第なのだ。
(きっ、決まったあ〜〜〜っ)
絵:メディアファクトリー新書表紙/「こんなに違う!世界の国語教科書」
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2 件のコメント:
私も、必要な草をカマできっちゃって、証拠隠滅したこと何度もあります。ドンマイ・・。
って、違うか・・・ごめんなさい。m(__)m
こっ、こらあ〜!
って、私も何度もやりました。
先日もトマトの苗、ケツ圧でボキッと折っちまったし。。。
エダマメの花がちいとも咲かないんすよ。ビール持ったまま、まちくたびれてます。
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