2010年3月15日月曜日

スギ花粉祭り

土日と二日続いた梅祭りも無事終わった。
私は役員だったので、我が町内会の甘酒売りを担当。今年は二日ともお天気で暖かかったせいか、甘酒の売れ行きはぼちぼち。でもま、甘酒はいつものことながら濃厚でおいしく、リピートする人もいたぐらい。よしとするか。

さて、梅祭りと言えば、ついでにスギ花粉祭りでもある。梅の花が咲きほこる頃には、スギ花粉も舞いほこる(ほこるなっちゅうんじゃ)。であるからにして、お客さんも見るからにフニャ〜っとしたお顔の人があちらこちらにいた。

私はとりあえず、マスクをして体制を整える。だって下向いて甘酒に鼻水たらしたらえらいこっちゃ。ポケットには束になったティッシュ、ハンカチ、予備のマスク。そしてハッカ油がしみ込ませてあるティッシュ。かゆみに襲われたら、すかさずそれを口と鼻にあて、ハッカ油を吸い込むのだ。そうするとすわ〜とした空気が頭ん中をかけめぐり、リフレッシュされる。しばらくするとかゆみも鼻水もおさまってくる。が、結局その二日間はそれを使わずに済んだ。

いったい花粉症とはどういうものなのか。ちまたでいわれている事を全部無視して自分の感覚だけで観察する。
まず、朝起きてティッシュの箱を見た瞬間にくしゃみがでる。くしゃみが出ると鼻の奥の壁が膨張をはじめ、それにともなって鼻水がうわ〜っとあふれてくる。
視界にスギの木の姿が入ると、目がかゆくなる。かゆくなるついでにのどもかゆくなってくる。なんか連鎖反応のように症状がやってくるのだ。それはあらゆる事が引き金になる。ネットで『花粉』という言葉を見つけるや否や、顔の中心がフニャ〜っとしてくる。道でマスクをしている人を見れば、自分まで鼻水が垂れてくる。部屋でホコリが舞うのを見ては目がかゆくなる。で、かきはじめるともう止まらない。普段はどっかがかゆいとかいてかゆみはおさまるのだが、花粉症の場合は、かけばかくほどどつぼにはまる。目は真っ赤になるのを通り越して、白目の部分がふくれあがり、目を閉じるのにも違和感が。こうなるとかゆさはとどまるところを知らない。そのかゆさは地球の大気圏をも突破する!

たぶんこういうことではないだろうか。ここで「勝手につくし理論」。
冬、身体は暖をとるために、身体を硬直させる。熱が身体から逃げないためだ。あらゆる器官を閉じているのだ。身体の機能を低下させ、一種の冬眠状態に入っている。そして冬の寒さが緩む頃、夏に向けての準備が始まる。身体はじょじょに開き始める。穴という穴が開き始め、細胞という細胞が硬直を緩め始め、かさぶたをはがすように冬の衣を落とし始める。かさぶたをはがしたあとの皮膚や粘膜は、ウサギの皮を剥いだように敏感で頼りなくひりひりした感じになる。そのいたいけな状態にスギの花粉が「おりゃおりゃおりゃ〜、夏が来るぞ〜おきろ〜」っとばかりに私たちの身体を皮膚をプチプチと刺激するのだ。で、「ああ〜〜、やめて〜。まだ寝ていたいの〜」と布団をかぶる私たち。が、スギは容赦なく、その厚くかぶった布団を無理矢理はがしにかかるのだ。(何?つまりスギ花粉は母親か?)
かくして「起きろ〜」「いや〜ん、まだ寝ていたいの〜」「ええい、起きんかい!」「ぎゃ〜、まだ皮膚がひりひりするの〜!」という格闘が展開されるのだ。
という事は、さっさと起きろと言われているのだ(なんだそりゃ?)。

ここまでは症状の話だ。そこから「反応」がはじまる。その反応いかんによって症状はドつぼにはまるか、スルーできるかが決まってくるような気がする。
「春にむけて身体は変化をしている。だからこのようになるのだ」と、そのまま受け止めることかもしれない。どこかで「かゆいのいやだ。くるしいのいやだ」とその症状に抵抗をするからかきむしる。ナントカしようとするから、もっときつくなる。その症状を野放しにするのだ。「あ、ソ」と知らん顔する。知らん顔すると、花粉症さんは、猛威を振るえなくなるようだ。しゅるしゅる〜っとちっこくなっていく。
なんかそんな気がしている。この二日間はその症状に抵抗するでもなく、そのまま受け止めていた。するとたいして症状が悪化するでもなく、夜も苦しくなく眠れたのだ。


この際、スギ花粉祭りなんてどうや?
花粉せんべい、花粉まんじゅう、花粉汁!なんて作っちゃって、スギ花粉を謳歌するのだ。「スギ花粉音頭」なんて作っちゃってさあ、ぴーひゃら踊っちゃうのだ。

あっ、だめっすか。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

高尾に登ると、「xx様、杉苗xx万本寄贈!」
みたいなお知らせがず~っと並んでいて、
花粉症人間に対する挑戦状か!って感じです・・。
あの看板見てるだけで具合悪くなります正直言って・・・。

つくし さんのコメント...

ほんま、けんか売っとんのかあ〜ってな気分ですな。
聞くところによると、杉はもうほとんど植えていないようで、杉一本でいくら、という単位になっとるようで。だから××万本は、××万円ということになりますかいのー。

これから高尾ではお金の単位を円ではなくて、杉(!)としますか。100円ショップじゃなくて、100杉ショップ!
なんだか鼻がむずむずするでい。