2009年12月17日木曜日
肉体の神秘
母が1週間前、ドアに小指を挟んだ。重いドアを開けると、小指が外向きに曲がっていた。曲がったところは肉片が見え、血が噴き出している。
母は、
「こんなもん、お医者にいかんでも治らあね」
と、血が噴き出しているところを親指で押さえて止め、曲がった指をぐいっとまっすぐにした。しばらく押さえていると血は止まり、母は水仕事があるからとそこに絆創膏を貼って、すっかり忘れていた。
今日、なんだか小指が痛いことに気づき、小指に貼ってある絆創膏を開いた。肉片が見えていたところには傷跡一つ残っていなかった。かろうじて痛みがすることで、「ああ、この前ドアに指を挟んじょったねえ」と、思い出させるぐらいであった。
今日母は電話で「あの指は外向けに曲がっちょったけんど、ひょっとしたら折れちょったがかもしれんねえ」とけたけた笑った。
母はそういうことに関しては、お茶の子さいさいなようである。例の「背骨事件」といい。
人の体とは面白いもんだ。これが私だったら、おおさわぎして、病院にかけこんでしまう。そうすると、レントゲンを撮って、折れてるだの、ひびが入ってるだのとまた輪をかけて大騒ぎをし、やれ痛み止めの注射だの、お薬だの、通院だのといろんなことをするのだろう。ホータイをぐるぐる巻きにされた小指は、おでんの卵のようになり、家に帰れば痛い痛いと夜中に泣いてダンナを困らし、夕食の支度もちゃっかり休んじゃうんだろうな。
昨日の「ある男の話」じゃないけれど、人の思い方一つでこうも状況が変わるものなのか。
「そんなもん、治らあね」と軽く考える。
「大変だー!」と大仰に考える。
その結果はなんだか違いがありそうに見える。
今日もダンナがこういう。
「痛みがあると、こうやって今治してくれてんだなあ〜と思い、ジッと淡々と痛みを観察していると、そのうち痛みは消えていくんだ。前は大騒ぎしていた。痛い!どうしよう!って。こんな風に考え方一つで痛みも変わるんだ」
そのほんのちょっとの思いの違いが、状況を大きく変えていくのだとしたら、この世は不思議に満ちている。いや、本当はそこにヒントがあるのかもしれない。不思議でもなんでもなくて、この世は心次第でなんとでも変わるのではないのか。
絵:「COOPけんぽ」表紙/ワカサギ釣り
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2 件のコメント:
みんな、たくましいねぇ。
私は精神力弱っちいんで、イタイイタイ
よく言ってます・・・orz
どっちかっちゅうと、女の人のほうが痛みに強い傾向があるみたいね。
うちのダンナも痛いの寒いのとうるさかった。
けど、最近は「心頭滅却すれば火もまた涼し」という心境になりつつあるようで。
さすがにニンゲン土壇場に立たされると、本領発揮ですな。
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