2009年9月10日木曜日
考えてどーする!その2
たぶん日本人はまじめすぎるんだろーな。(きのうの続き)
人に迷惑かけないようにとか、後ろ指さされないように生きなさいとかいう美徳というか美学がある。でもこれがかえって強迫観念のように自分を押しつぶしているのかもしれない。
アメリカ人なんかそーんなこと考えもしていない(ように見えるぞ)。
今、今度出版されるジャネット・イヴァノヴィッチ(今「あたしの手元は10000ボルト/集英社」が出版されています)の新作のゲラを読んでいるんだけど、ノリが私がいたブロンクスの住人たちそのままでおかしい。なんつーか、単純で、あっけらかんとしてて、ウラがなくて、いつもドタバタしている。ほんでもって深く考えている風でもなく、わたしが言った言葉のウラを読むでもなく、言われたまんまに受け取る彼ら。その彼らがとっても微笑ましかったりする。そんなあの時をなまなましく思い出させてくれるのだ。考えてみれば、あの時は人がどう考えているかなどと気をもんでみたりする必要もなかったなあ。言った通りに受け取れば良かったし。
「つくし!君はサイコーだよ!」なんて言われたままに受け取る快感。
逆に今日本の中でいると、「ちゃんとしなきゃ病」が発病してしまう。あの人は私のことをどう思っているのだろうとか、ああ言ってたけど本当のところはどう思っているのだろうとか、いらん詮索が始まってしまうのだ。すると言った言葉を素直に受け取れなくなってくる。だいたい、君はサイコーだよ!とは言ってくれんし...(なんじゃそりゃ)。
だから今読んでいるゲラが、アメリカ人のノリと日本人のノリのはっきりした違いを際立たせてくれ、また日本に戻ってきた時の、あのういういしかった頃を思い出させてくれる。
やっぱ、ちょっと考えすぎだよ、日本人。
いつのまにかそのノリに私も引きずられている。ぶちぶちぼにょぼにょと四六時中考えている。ちっとは、アメリカ人に見習おう。「Don't think! Feeeeeel!」
昨日ダンナがおもしろいことを言った。
「考えることは抵抗である。すべてを受け入れたら、無心になる」
深いやろ?(こりゃ、考えすぎる大魔王みたいなやつが言うから説得力があるってもんだ)
つまり、考えている(たとえばだれかのことを)という行為は、今その場、その人のおかれた状況や居場所にどこか文句があるのである。あんとき、ああ言った、こう言った、またはああでもない、こうでもないとぐるぐる考えてない?そこのあなた。(そりゃ、わしか)
もし、その状況に文句がなかったら、何も考えないのではないだろうか。満足していることをねほりはほり考えたりするだろうか。ねほりはほり(へんな言葉だな)考えてしまうのは、どっかが気に食わんから、ぶつぶつ考えるんじゃなかろうか。
じつは、気に食わんのはその相手が問題なのではなく、自分自身に何かしらの問題を抱えているからそれを見せてくれているらしいのだ。
「だれが?」
「えーっと、たぶん後ろにいる巨大な本当の自分...」
自分自身の問題は、自分自身ではなかなか気がつかない。だから、あるときぱ〜っと誰かが目の前に現われて、(本人の自覚なしに)あなたの問題を
「ほれ。このようにあなたには問題があるんですよ〜。どれ、今私がそれを演じてみせませう」と、やってくれているのだそうな。
だからその演じているやつが悪いわけではなくて、じつはその人はとっても親切で(本人の自覚なしに)やってくれているのだ。
ということは、考える→文句があるから→文句がある問題児→本当は問題児はあなた→自分の問題に文句を言っている→自分でその問題に気がつかないから解決のしようがない→延々と考える。という堂々巡りになってしまうのだ。
どうも、今ある状況に不服があると心が自動的に動いちゃうんだな。それは考えたらなんとかなるんじゃないか?とおもっているからだ。でもたいていは考えても泥沼に入るばかりだ。とくにこのご時世、あらゆる情報がつまっていてどれが良くてどれが悪いのかどれが真実なのかてんでわからない。探せば探すほど方向を見失うのが今なんじゃなかろうか。
だからこのさい、考えない。ゆだねる。うけいれる。必要があってこの状況がある。どんな状況であろうと、やがてこれは大いなる善に向かって進んでいる途中なのだ。誰一人にとって悪い話ではないのだ。後ろ指さされたっていいじゃないか。人様に迷惑かけたっていいじゃないか。自分の人生を信じる。自分の後ろのでっかい存在にまかせる。やって来たものを淡々と受け止めてやるはめになったことを淡々とやる。頭の中はいつでも上からふってくるアイディアのためにスキマを作っておく。
そうすりゃ、やがて芽が出る、花が咲くっとくりゃあ。
絵:「やる気がモリモリわいてくる本」表紙
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4 件のコメント:
アメリカ人のいい所も充分わかるのですけどね・・。困ったこともほぼ同じくらいありますかね・・。orz
一対一なら、ほぼok。ですが、お客さん相手となると、相当困ることが多くなりますね。
そもそもお客の言うこともよく判らない事も多い・・。
自分が納得できない話を、理解しようとしないやつらに伝えて、説得するのが主な仕事。
しかも双方向同じ状況。
責められるのは、しばしば私・・・だったりする。
んで、責められないように上手くたちまわれる人が成功の道…。なんかなぁ。
あはは、そうそう。
困ったことの方が多かったりする....?
だいたいわからないと、日本人ならわからない私がいけないの?って思うのに、彼らはわからないから、わからせろ的なところがある。
んでもって間に入ったパパさんはつらいわなー。
上司は何人かは知らないけど、あんまり根に持たないタイプが多いよ。日本人は「わからないと困るんだ」と使命感に燃えちゃうけど、彼らはもともと「わからなくてとーぜん」と思っているふしがある。やっぱり異国民がいっぱい集まった国だから。基本、通じなくてフツーって考えているみたい。
「しゃーねーなあ」と開き直っちゃおう。
一般会話はOK。
理由はお互いわかりあえなくても、じゃぁね~。っていうだけだから。
仕事は別。こっちの言う事聞かせられない。ってのは私の説得の仕方が悪いから。
お客さんからも同じ。お客の言うことを本社に伝えさせられないのは、あんたのせい。
私の前々任者は、本社の言うこと聞きすぎクビ。前任者はお客の言うこと聞きすぎて、結局クビ。
さて私は、真ん中行ってフワフワしてるけど、結局どっちつかずで、仕事取れず・・。さて、どうなるかなぁ・・・。
ひえ〜、たいへんだー。
でもさ、そのどっちつかずのフワフワ感があんがいいけているのかもしれないね。だってパパさんはムードメーカーだもん。
仕事取れない?
いや、数字より仕事のやりやすさだよ。
なっくるなるさ〜。
今夜も泡のたつお茶飲んで忘れよう。
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