2009年9月4日金曜日

ふすまの絵の恐怖




うちの母はみょうな能力をもっているから、私にとってお化けやオカルトにはなんの抵抗もなく過ごしてきた。私にもその能力があるかというとさだかではなく、ただ母がへんなことを言うのを「はあ、そういうこともあるか」と淡々と受け止めてきた。

そうはいっても子供というものは何かしら感じるものである。あれは私が幼稚園の頃だった。私は夜になると大泣きをする。ふとんのまん中に座って、「こわい〜」と泣くのだ。すると母は、
「どれどれ。どれがこわい?」とふすまを指して聞く。
「うんとね...。あれがこわいーっ」
「そう、この花瓶ちゃんがこわいのね。じゃあ、なくしましょう」
そういって、母は10センチ四方の白い和紙をもってきて、お米のノリで指差されたふすまに描かれている花瓶の絵の上に貼付けた。
「つぎはどれ?」
「これーっ」
私はひとしきり花瓶が消えると、落ち着くらしい。そのままコテンと寝てしまう。
そうやって、一晩に2、3個の花瓶の絵がふすまから消えていった。

それにしてもなんで花瓶の絵がこわかったのか。昔は何かしら絵柄はある程度限りがあった。花瓶の絵もどこかでいつも使われていた。昔のアルバムにも花瓶の絵があったようにおもう。昔の絵は色も今のように極彩色ではなく、どこか泥臭い。その泥臭い絵が、空間をぴょんぴょん飛び跳ねているのだ。それが不気味だったのか。それとも、そこの家に何かを感じていたのか。

あの家は私の子供時代の一番の拠点となる家だった。私が不思議大好きな少女になった原点はあそこにある。見えないのに何かしら存在を感じる原点となったところ...。

父に頼んで何十年かぶりにその地を踏んだ。
あの家は今はどうなっているのだろう。心おどらせながらむかう。そこは家一つないただの原っぱになっていた。
「ここにあったのか....」ぽつねんとその場にたつ。
何もない原っぱの一カ所に四角いコンクリートを見つける。井戸のあとだ。私は毎日その水で歯を磨いていたことを思い出した。
そのとき、からからと風が吹いて私の頭から何かが消えていった。

私は小学校だけで3回転校をした。引っ越した数は数えきれない。不思議なことに子供の頃私が住んでいた家はことごとく消えている。思い出に浸ろうとしてもその場所はもうない。ただ私の心の中にだけにあの頃の出来事がはっきりと残されているだけなのだ。
今は物理的にないからこそ、あの日々は心の中で永遠に生き続けるのかもしれない。

絵:coopけんぽ表紙
今はなきあの家。そしてまだ親子3人仲良しだった頃のシーン

5 件のコメント:

まいうぅーパパ さんのコメント...

人間、自分探しの旅って必要なのかもね。覚えていないけれど、なんか割り切れない過去があったら、足跡を辿って、確認したら、それがお腹の深いところに落ちてゆくのかも。

つくし さんのコメント...

あるひ、ふと、まいううーぱぱさんがいなくなったら、
「ああ、自分探しの旅に出たんだな」と思いましょう。

ところでお勧めのあそこのラーメン屋、閉店になったって知ってる?

つくし さんのコメント...

そうかと思うと、パン屋さんが出来たよ。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

”お勧めのあそこのラーメン屋”って、南口の外人のおかみさんとこのかな。
残念ですね。

つくし さんのコメント...

なんか、立ち退かないといけなくなったみたいで。
また近所に出現するかも。