2009年8月6日木曜日
心は一人歩きする
心は一人歩きする。
先日、母はいつもの絵画教室で楽しい時間を過ごした。休憩中、和菓子作りの話になって、母が和菓子を作るこつをしゃべった。するとみんなが母にビックリして、すごいなあ、なんでも知っているなあ。今度もっと教えて!なんてみんなで盛り上がったそうな。気分よくウチにかえる。お茶でも飲んでほっこりしながら今日の出来事を思い出しはじめる。すると、母はだんだん腹が立ってきた。....な、なんで私が教えちゃらあないかん。もうしゃべらん!と。
楽しい時間を過ごしたのに、みんなによろこばれたのに、なぜ母がもうしゃべらん!となったのか。その心の動きはこうである。
もし私の教えたとおりにやったら、あの人は和菓子作りを失敗するかもしれん。そしたら私が教えたからこうなったんだと、恨まれるかもしれない。面と向かって言われるかもしれないし、心の中でぶつぶつ怒るかもしれない。そしたらその想念が私のところにやってきて、私をとりかこみ、私のからだが痛む....。
母は感受性が強いので人の思いをかぶる(らしい。ホントは知らんけど。本人がそういうから、そういうことにしておく)。だもんで、出来るだけ人の会話には入らないようにしているが、昨日は楽しくて思わずしゃべっちゃった(べつにいーじゃーねーか)。そしたらあろうことか、盛り上がっちゃった。
ところが家にかえってきて彼女はだんだん怖くなってきた。あんなこと言って責任とれるの?あの人、私の言うように和菓子作ったって失敗するかもしれないじゃないの。いーや、絶対失敗するに決まっている!ああ、そしたらどうしよう、また恨まれる....。....そもそもなんであんな人に私の知っていることを教えないといけないの!バカバカしい。ああ、もうやめた!絶対しゃべらない!(だんだん怒りに変わる)
かくして母はいつもの黙りの母に戻るのであった。ちゃんちゃん。
実はこれに似たことを私もやっている。ご近所さんと楽しい話をする。盛り上がって別れたあと、だんだん自分で自己嫌悪しはじめる。「あのときこんなふうに盛り上がって、あの人は嬉しそうに聞いてくれたけど、ホントは面白くなかったのに調子を合わせてくれて笑ってくれたのかもしれない。私ってなんてバカなの....。みっともない。もう、こんりんざいしゃべらないど.....」
と、いいつつ、またご近所さんとあったらペラペラしゃべって笑かして、家に帰り着いた頃、「ああ、わたしってバカ.....」となる。(アホか)
実はウチのダンナもこれに似たことをやっている。知り合いといろいろしゃべったあと、家にかえって「あのやろう、あのときあんなふうにいいやがって。おれのこと信用してないからそんなふうに言うんだな....」と悶々としはじめる。
実はこの3人とも心の動きは同じだ。そのときいくら楽しく過ごしても、一人になるとだんだん否定的な気分になる。あのときああだったこのときこうだったと、ウシじゃないけど反芻するのだ。それで気分よくなればいいけど、たいていはネガティブ気分になっている。これじゃ反芻する意味がない。よけい消化不良をおこしそうだ。
心はどうも一人歩きするようだ。ほっときゃ、どこまでもてくてく歩いていく。で、その先は「だから世の中っていや!」とか「私って最悪!」というあらぬ方向に行く。
何となく思うんだけど、今の世の中、人は心を一人歩きさせがちなんじゃなかろうか。しら〜っと明るい顔をして「こんにちは〜」なんていいながら、心は嵐のように荒れまくっている...!920ヘクトパスカルくらいの台風が道を歩いているのだ。
別に母は、そんな風に思わなくってもいいはずだ。確かにそのとき楽しい時間を過ごしたはずだ。だから和菓子作りのこつをしゃべった。それはそれでみんなのためになっていい事をしたのだ。でも一人になると、いつも考えている習慣のような意識につつみこまれる。彼女の心にあるのは「人が怖い」という意識である。いつも人が何か自分に危害をくわえにくるのではないか?という気持ちにおびえている。そのため、人にはよらずに触らずに話をせずに生きてきた。でもそればっかりだと心がさびしい。だからあのとき心が躍るままにしゃべったのだ。きっとそれは魂がよろこんだ事に違いない。
ところが家にかえって一人になると、いつも考えている心の習慣が頭をもたげてくる。「人は怖い」と思い込んでいる習慣....。それをもう一人の自分とするならば、その存在をかりにモンちゃんと呼ぼう。
モンちゃんは言う。
「今日、なんであんなことしゃべったの?いつもは黙って聞いているだけじゃないの。そんなふうに人が興味を持つような事言ったら、しょっちゅう電話がかかってくるわよ。面倒くさいじゃないの。あんたの静かな時間をじゃまされるのよ。そのひとはあんたの事ばっかり考えて夢にまで出て来てあんたを襲うかもしれないじゃないの!そしたら、あんたの身体が痛んで痛んで、それはもうたいへんなことになる。七転八倒の苦しみになるかもしれないのよ。ああ、なんてバカな事したの?」
母はいう。
「だって...だって、あのとき楽しかったんだもん。和菓子がもっとおいしく作れるようになったら、みんなうれしいじゃない」
「ばかねえ。アカの他人がうれしくったって、あんたになんのトクになるっていうの。それにだいいち、あんなセンスの悪い人がちゃんと作れると思う?絶対失敗するにきまってんじゃないの。どうする?恨まれるわよ〜。ストーカーになられるかもしれないわよ〜」
急にどどっと落ち込む母。
「ああ、私ってバカだった。もう、もうこんりんざいしゃべらない!!!」
人は長いこと生きている間に、そのひとなりの生きていくための法則を作るのではないか。彼女は身体が弱いので、外から身を守ろうとある法則を作った。母は自分のまわりにバリヤーをはった。できるだけ他人を自分から遠ざけようとした。しゃべらなければこっちに注目される事はない。そうすれば外から痛い思いはせずにすむというふうに。
だけどそのとき心は黙ってはいなかった。他人の言うことにいちいち心で文句を言った。
「そんなバカな事言って!」
「あんなみすぼらしい格好をして!」
「あたしはあんたとは違うのよ」
これもモンちゃんの言葉。そしてモンちゃんは彼女の中で確実に膨らんでいった。
そしていつのまにか、そのモンちゃんに彼女の心が凌駕される事になる。彼女のすべての行動をコントロールしはじめるのだ。
「ああ、だめだめ。しゃべっちゃだめ!」
「外に出ちゃダメ。怖い事がおきるわよ」
じつはモンちゃんがしゃべる言葉を聞いている存在がいる。そう、ほかでもない母だ。
母は心の中で二人の存在をもつ。文句を言うモンちゃんと、それを聞いている母。
母は素直にモンちゃんの言葉を聞いて従う。でもモンちゃんはたいてい否定的だ。モンちゃんの言うことをそのまま聞いていたら、ずっと蔵の中に入っていた方がいいくらいだ。だけどだんだん心がさびしくなってくる。だから時々人に会いにいくし、楽しい時間も過ごす。じつはこの楽しい気分が母の本来の姿。モンちゃんは長いこと生きていた間に勝手に生まれた存在。作り上げたのは母自身だ。この世でうまく生きていくために作り上げた存在。でもその存在のおかげで彼女自身が生きにくくなった。勝手に暴走するモンちゃんにふりまわされることになった。
あのとき和菓子のこつを教えて、それですべてが満たされていたのだ。彼女の魂は本当に楽しかったはずだ。でも一人になるとモンちゃんがさわぎだす。恐怖がさわぎだす。これが一人歩きする心なのだ。
モンちゃんとは、心の中にすむモンスター。私は心の中に監視人というモンスターを作った。自分が何しでかすかわからないという思いが作り上げた存在だ。そのモンスターはけして魂を解放させてはくれない。むしろ呪縛のように縛り付けようとする。ほらほら、こわいでしょ〜。私の言うことを聞きなさい...と「恐怖」というニンジンをぶら下げて私たち自身をコントロールするのだ。
「人を信じちゃあいけない」「あいつは敵だ」「生きるために身を守れ」「弱肉強食のこの世の中だ」「やられるまえにやっつけろ」と....。
そのモンスターを暴走させてはいけない。自分になんのプラスにもならない。その存在の言うことを聞いていたら、破壊につながる事ばかりだ。
「無心になれ」という仏教の言葉は、心がどのような性質をしているのかを知っているからにちがいない。人は意識しはじめた事にとらわれる。
たとえばお気に入りの服を着る。最初はいいなあ〜とおもっているが、あるとき腕まわりがきついなと感じる。するとその時から腕まわりの事ばかりが気になりだす。さっきまでお気に入りだった服がどんどんときらいになってくる。一刻も早くぬいでしまいたくなる。ところがそのとき上司に呼ばれて仕事にクレームをつけられる。心は一気に仕事の事に向かう。いつのまにか服の事は忘れている....。
心とはじつはそんなものだ。そのくらいアホちんなものなのだ。ゴジラのように強烈だと思えばそうなるけど、じつはアリンコのへそのゴマみたいなものなのだ。
だから母のようにモンちゃんにコントロールされるのではなく、モンちゃんがしゃべりだしたら、「ああ、アリンコが言ってら」ぐらいにおもって、そのしゃべりに耳を貸さない事だ。
するとモンちゃんは、「あれっ?聞いてくれないの?」とちょっとびっくりする。いつもは彼女の声に「ふんふん。それで」と耳を貸すはずの母が、モンちゃんの事を相手にしない。
するとモンちゃんはアリンコのへそのゴマになって消えていってしまうのだ。
かくして母は「今度和菓子を作っていってあげよっかなあ〜」と、次の教室を楽しみにするのであった。
おしまい。
絵:「ウイルスのひとりごと」より
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2 件のコメント:
なるほど、色々あったけど、めでたしめでたし。ってことですね。
モンちゃん・・厄介ですなぁ。(私は悶々の”悶ちゃん”だと思ってました・・。)
私にも実は一匹おりまして、うっかりしゃべっちゃったことを、のどから手を出して取り戻したくなることが、よくあります。
失言はどうにも防げる物ではありませんが、出来るだけ忘れるようにしてるのですが、なんだかんだ、10年以上引きずっている件もあります・・・orz
くわー。こりゃまたのどから手っちゅうのんは、
「チャーリー、鼻から牛乳〜」のショックに匹敵するな。
「ぱぱさ〜ん、のどからお手て〜」か?
10年以上ですか。
こうなりゃ、それは逆に快感に変わってしまっているな。「ああ、あのときのどから手を出せばよかった...」とその瞬間を思い出したゆたよる。後悔も、恐怖もじつは何度も味わううちに、湯船みたいになってくるんです。
恐るべし!ニンゲン!
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