2023年3月22日水曜日

大きくなったら何になる?


 

「つくしちゃんは、大きくなったら、何になりたい?」


「?。。。。大きなつくしちゃんになります!」


ここで大人は爆笑。


つくしちゃんは、なんで笑われるのか、さっぱりわかりません。

大きくなったら、何になる?

自分じゃない、何かにならなきゃいけないのか?

自分じゃない、別のものにならなきゃいけないのか?


「そうじゃなくて、ほら、いろいろあるでしょ?

看護婦さんとか、先生とか。。。」


「看護婦さん。。。。じゃあ、私、看護婦さんになる!」


その時、つくしちゃんの心に小さなうずきがありました。

自分じゃない何かに、

どこかにある形に自分をはめ込まないといけないんだ。

それがこの世界のルールなんだ、と。




ある日学校の先生がみんなに紙を配りました。

「今日はテストの日です。答案用紙に答えを書いて、みんな提出してください。」


つくしちゃんは初めて見る紙にキョトンとしました。

そして「提出」という言葉を聞いた時、ドキッとしました。


普段から何をやっても遅い、「のろま」というあだ名をもらっていた彼女は、

とにかく早く「提出」をしないといけないと思いました。


よく見ると、紙の右上に、「なまえ」と書いてありました。

つくしちゃんは必死で名前を書いて

「先生、できましたー!」と提出しました。


「あら。つくしちゃん、早いのねえ」

と、答案用紙を見ると、名前しか書いてません。


「つくしちゃん。名前しか書いてないじゃない。

ほら。ここに空欄があるでしょう?

そこに答えを書いてきてね。そこを埋めないといけないのよ。」


よく見ると、いっぱい文字が書かれてある下に、

いくつかの白いスペースが空いていました。


「ああ、そっか。ここを埋めなきゃいけないのね。」


そう思ったつくしちゃんは、

自分が知っているひらがなで、その空欄を埋めました。


それは言葉にも、質問の答えにもなっていません。

そもそもテストという意味も、問題という意味も、

答えという意味も知りませんでした。

ただ彼女が知っているひらがなを次々に嬉々としていっぱい書きました。


そして誰よりも早くテストを「提出」できたのでした。

つくしちゃんは、大満足でした。




この頃、私の母とその先生は友人でした。

後日、この話を聞いた母は、二人で大笑いをしたそうです。


おおらかに受け止める、いい時代でした。




絵:「MF新書」表紙イラスト



2023年3月19日日曜日

自分を極める


 

先日、本屋さんでエリックカールの絵本を手に取った。


彼の絵本は超有名。

私自身も紙を切って作品を作っているので、

彼のことはもう何十年もずっと気になっていた。


しかし実際はパラパラと絵を見るだけで、じっくり絵本を読んだことはなかった。

時間があったので読んでみる。



愕然とした。


彼は自分の限界を知っている!

そしてその限界がゆえに表せる世界がそこにあった。

それはエリックカールでしか生み出せない世界観だった。

そしてその限界があるがゆえに、そこに無限の可能性がある。


自分を極める。

それこそが天才なのだ。

誰にも通れない道。

誰にも真似できない道。

その人にしか歩めない道。

それを突き進む。

それが自分を極めることなのだ。

実はみんなができることなのだ。




私たちは小さい時、誰かになれと言われてきた。

お姉ちゃんのようになりなさいとか、

ナイチンゲールになりなさいとか、

なんとか屋さんになりなさいとか、


はたまた、お姉ちゃんなんだから、ちゃんとしなさいとか、

ああなってはいけないとか、


とにかく、なんだか知らないが、

そのまんまの自分じゃダメだって言われ続けてきた。


60過ぎて思う。

それ、もともと無理なんじゃね?


自分じゃないカタチの中に、無理やりはめ込もうとさせることは、

もうほとんど拷問だ。


しかも将来大人になったら、

いくつかの職業の中のどれかになれって言われている。


あるいは誰かが作った問題に、

誰かが作った答え。


問題と答えをずっと解き続けさせられ、

決まり切った形の答えの中にはめ込む。

テストテストテスト。


それを解いたら一人前。

それができてこそお前は人間として認められる。


は?

どこかの誰かが考えついただけの問題と答えなんだよ?

それを基準にされて、括られて人生送るわけ?


だがその中で自分が自分に教え込んでいることは、

とんでもない劣等感だ。

「お前は間違っている!」と。


自分が出した答えではなく、誰かが出した答えを求めてさまよっているのは、

ひとえに答えは、外にあったからだ。

小さい時から、ずっと答えは外にあって、それを必死で取りに行ってたのだ。

だから誰かさんのようになろうなろうとしてきた。


しかし今私はエリックカールを見た。

その絵本が教えてくれているメッセージを読んだ。


うん。自分でいいんだ!


自分には自分の独自の道がある。

その道を極めることは楽しいに決まっている。

だってなんの無理もしないのだもの。

どっかの形にはめることはしなくていいんだもの。

息するように生きたらいいんだもの。


自分を極めるのだ。

徹底的に自分を生きるのだ。



それはまったく真っ白の、誰も見たことのない道だ。

私だって知らない。

だって知るわけがない。

これから出てくるんだから(笑)


真っ白から始めようっと。




絵:「MF新書」表紙イラスト








2023年3月16日木曜日

半私半ぬらりひょん


 

『私は自分の家にいる。ここでは恐れは異邦人である。』


コースのレッスン160の言葉だ。


これを聞くと妖怪の大将「ぬらりひょん」を思い出す。

人の家に勝手に入り込み、そこの主のような顔をしてお茶を所望するやつ。


つまり私は自分の家に、ぬらりひょんを招いたのだ。

そして彼の好き勝手にさせて、なんだか居心地が悪い状態。

挙げ句の果てに

「ここは私の居場所じゃなくね?」という気分になって、

自分の家から出て、ここじゃないどこか、、と、放浪の旅に出る。。。。


おいおいおい!ここは私のうちだろう!



ぬらりひょんとは恐れの大将。


私は自分の家(心)に、恐れを招いた。


すると全ては恐れで考えるようになる。

こうなってはいけない、ああするべき。

行動の動機が全て恐れからくるようになる。

家の中に置いてあるものまで恐れの対象になる。

あれは置いておくと危険だ。どこかに捨ててしまおう。

これっぽっちしかない。もっと増やさなければ。



本当の私は今もここにいて、くつろいでいるはずなのが、

私の一部が、ぬらりひょんを呼び込んだ。

そして自分自身ではない何かになったので、

私は私が誰なのかわからなくなった。


半神半獣じゃないけれど、

半私半ぬらりひょんになったのだ。(意味不明)


恐れがいつも私に付きまとい、何を考えるのも恐れで考えていた。

自分の家を明け渡して、放浪を続けていたが、

自分自身にとって異邦人となってしまった私は、

どこを探しても自分の家は見つけられなかった。

その理由は、背中にぬらりひょんを背負っているから。

そして自分の家とは、どこにいても全部自分の家。

うろうろしていたところはずっと同じ場所だった。


恐れがない時、私はこの自分の家でくつろいでいる。

ぬらりひょんが、ぬっと現れたとたん、ここが家じゃなくなる。

安心できない場所になる。どっからか攻撃されているような気分になる。

完全にあいつのせいだ。




あれから60年。


そのぬらりひょんに「ここから出て行け」と所望する。


お前に茶など、もうくれてやらんわ!



2023年3月14日火曜日

星降る夜に


 テレビは好きでないので、全然見ていないけど、配信でドラマは見ている。

そのうちの一つのドラマに感動しちゃった。


「星降る夜に」っていうドラマなんだけど、

耳の聞こえない人が、主人公の彼氏になっている。


その主人公を恨み、怒りをぶつける悪役がいる。

ムロツヨシ。この人の哀れな感じがいい。


その暴れまくる人のことを、彼氏は、

主人公に「彼は君にすがっているんだよ」という。


泣きわめき、罵倒しまくり、怒り狂い、病院で暴れるムロツヨシ。

でもその彼は愛を求めて叫んでいたのだ。


そしてその彼を彼氏は抱きしめる。大きな愛で彼を包み込むのだ。


耳の聞こえない人は障害者という名前をつけられるけれど、

でも本当は、言葉を聞かないことによって、

その人の本当の心を見ているのかもしれない。


逆に、五感という感覚を持っているが故に、

誰がああ言った、こう言ったという、目先の知覚に囚われて、

その人が本当はどんな気持ちでいるのかが見えなくなっていることもあるのではないか。


五感が障害になって、本筋が見えない。

どっちが障害者なんだろう。


私たちは目に見えるものにあまりにも囚われすぎて、

すぐに判断し、すぐにいい悪いという決着をくだす。

SNSの誹謗中傷に、追い込まれて自殺する人もいる。


そういう解釈を別の見方で見せてくれるこのドラマは素敵だった。




町会の梅祭りが一昨日終わった。


3年ぶりの梅祭り開催に、現場はあっちこっちで火花が散る。

みんな愛を求めて叫んでいた。


私はそのオヤジたちをイメージで抱きしめる。

(イメージでだからね!w)





絵:「江戸の名門」