
ついに髪の毛がシャンプーなしでもさらさらになった。ここまでくるのに5ヶ月以上かかったが、この嬉しさはなんだかどこか解放されたような気分だ。
40数年間、ずっと使い続けていたシャンプーリンス。髪の毛さんは「シャンプーで油分がとられるから油出さなきゃ」と、一生懸命出し続けてくれていたに違いない。ところがここ5ヶ月で「あれ?別に出さなくてもいいみたいね...」と気がついてくれたのか。「必死こいて油出すの、やーめたっ」となったらしい。ブラシについていたフケのようなものもほとんど出なくなった。抜け毛もない、かゆみもない、ニオイもない。
これまでバイ菌が、ヨゴレが、ニオイが、かゆみが....とあれこれ心配してあれで洗い、これで洗いし、そうすると今度はぱりぱりお肌やがさがさ髪の毛になって、あれもつけてこれもつけてしなくてはいけなかった。最初っから何もしなくてよかったのだった。人は心配すると、そこから別の心配事が芋づる式に見つかって心配山のごとし、となる。
その心配ごとは、自然を味わうことがさえできなくなってくるのか。
最近、山にハイキングにくるおばさんたちも、大きなひさしのついた真っ黒い帽子をかぶっているし、腕には腕抜きみたいなものをつけている。せっかく山に来たのに、まわりを見渡す事も、空気を肌で触れる事も拒絶しているみたいに見える。じっと下をむいて黙々と歩く。これも紫外線や得体の知れない空気を怖れているのか。
私は毎日畑に出る。昔はちょっとお日様の下に出るだけで、あっという間にまっくろくろすけになった。でも石けん使わなくなってから、お日様にさらされても黒く焦げない。真っ黒な私はなんだかカッコ良く見えて好きだったので、焦げなくなったのはちょっと寂しい気もする。シミもふえるどころか消えつつある。たぶん肌の上の何億と言う微生物がいろんなものから皮膚を保護したり、働いてくれているんじゃなかろうか。
私は化粧をしないのでよくわからないが、すっぴんもいいよ。そのうちお化粧は口紅と目のまわりだけですます人が増えてくるんじゃないかとおもう。だって、石けんをやめるだけでその肌は静かにきれいになっていくし、ファンデーションや化粧水をつける必要がなくなってくるんだもの。
前に友達が会社に行くのに化粧をしなければいけないんだっていうのを聞いたけど、それってセクハラじゃないの?「化粧をしなければ見れないとでもいうのか?」って上司に言ってやりなさい。じゃあ、男も化粧をしろよ!と。
最近は特にあれが怖いこれが怖いと恐怖をかき立てる情報が増えすぎている。私はもうテレビを見るのをやめてしまった。あれは心を動揺させるばかりだ。それよりテレビを止めて静かな時間を作ろう。するといろんな恐怖の発信元がほとんどテレビからの情報である事に気がつくはずだ。「地球温暖化」も「紫外線」も「新型インフルエンザ」も「ヨゴレ」も「ニオイ」もみんなテレビから入ってくる。インターネットは見るも見ないも選択が出来るが、テレビはあたまに勝手に入ってくる。
これらがもし、本当はまやかしだったら、私たちはなんてバカげた事で右往左往させられているのか。
テレビを止めると、四季が変化している事に気がつく。夏の音はいつのまにか秋の音に変わっている。空気も光も風のざわめきも夏が終わっていく事を教えてくれている。自分のまわりの心配事を手から離すと、自然の変化に身を委ねられる。地球がまわっている事や、太陽がまわっている事や、星の位置が変わっていく事に視点を合わせられる。するとこの地球上のもろもろの事がちっぽけな事におもえてくる。そんな視点もあっていいんじゃないだろうか。
勝手に石けんなし生活は、結局、知らない間に植え付けられていた恐怖や情報から自分を解放することなのだと言うことに気づかされる。
絵:けんぽ表紙「里山の秋」





