「指図されたくない」と書いてあった。
わかる~!
指図とはちょっと違うかもしれんけど、
思い出した。
「ひとは指示、指摘では動かない。
その正論が人を黙らせる」
という動画をこのあいだ見つけて、
はっきり実感した。
そだ!人は正論じゃ動かない。
どんな正論ぶちかまされても
なんか息苦しい。
はいはい。あんたの言ってることは正しいよ。そりゃそーでしょうよ。
でもなんかモヤモヤする。。(笑)
それは愛じゃないからだ。
愛からではなく、脅し。
常識はこうだから、
人としてこうあるべきだから、
あなたのためだから。。。
たとえコースの正しい言葉を言われても
なんかムカつく。
そこに愛がなければ。
人は無意識に反応するんだ。
君は間違っているというジャッジを正論で包み込んでも
人はその非難に敏感に反応する。
無理やりねじ曲げられるような思いがするんだ。
でもその動画の中にある、
暴れている人を動かした言葉(1分30秒あたりから)。
奥さんが倒れて動揺して、
病院の指示もまともに聞かないでわめき散らしていた人は、
奥さんの妹さんのたった一言で心がほどけた。
「姉をほんとうに愛してくれているんですね。ありがとうございます」
おれは怖いんだ!うろたえているんだ!
うちのカミさんが死んだらどうしていいかわからない!
と言う思いを妹さんは受け取っていた。
そこには何のジャッジもない。
ただ義理のお兄さんの姉への思いをありがたく受け取っていた。
人は愛で溶ける。
理解されると溶ける。
私も省みると人に散々正論言ってたよなあ。
相手は憮然としてたよなあ。
正しさってなかなかな曲者だ。
人によって正反対の正しさがある。
その曖昧な正しさを振りかざしても人は動かない。
無理やり人を動かしたって、お互いに何かが残る。
犠牲という一見美談に聞こえるものも、
隠された苦しさを生み続ける。
指示、指摘、正論、
みんなこの世界の横軸の流れ。
行動を起こさせる。
行動さえすれば、心が伴ってなくてもいい。
親からの指示、先生からの指示、上司からの指示、医者からの指示、、、。
でもそれは恐れによる行動。
行動の動機は二つある。
恐れによる行動。
そして喜びによる行動。
やらなきゃ!という恐れを伴う行動はどのみち長続きしない。
でもやりたい!というよろこびを伴う行動は、
行動しているという意識さえなくやる。
川がさらさらと流れるような
自然な生き方したいなあ。



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