2024年9月10日火曜日

出ちゃったー


 

人をさばいたら自分が傷つく。


だから人をさばかないように、

悪口を言わないようにしてきた。


だけどある時、もうどうにも我慢できなくて、

人を罵倒してしまった。

「謝れ!バカヤロウ!」

と、ガンガン言ってしまった。


こう見えて(どう見えてだ?)滅多に罵倒しない私。

でもたまに怒鳴ることがある。

でもそのあとはいつも後悔の時間が待っていた。

自分の罪の深さにさいなまれ続けた。


ところがその時は、何の後悔もなかった。

スッキリして心の中は静かだった。


「はて?」


静けさの中で「まあ、ええか」と放っておいた。



癒しが進んでいくと、誰かに何を言ったとしても、

罪の意識を感じなくなるという。


誰かと言っても、外にいる他人ではなく、

それは自分自身に向けている思いなのだ。


私が私に「謝れ、バカヤロウ!」と言っているだけなのだ。


そのことが知識や理屈ではなく、本当に理解し始めているのだろうか。


理解と、癒しは比例しているように思う。

癒されれば癒されるほど、理解が進む。


癒されることによって、心が柔らかくなる。



そんな出来事があってから、

どんな出来事もその背後に癒しが待っているのだと確信するようになった。

そこに癒しという目的がある。

だとするなら出来事は偶然ではなく、絶えず必然なのだ。


苦しかったら、腹がたったら、怖かったら、それを正直に出す。

その思いを封印することなく、


「出ちゃったー」で、いいのだ。


そんなことを書いているブログにも出会った。


その出たものを、罪悪感を感じることなく、自分のものとして受け取る。

たぶんここが大事。自分のものを自分の方に戻す。


目の前に現れているものは、すべて自分の思いだ。

世界は自分が信じたもので覆われている。

実のところ、自分が信じたからこの世界ができた。


それを少しづつ、受け入れられるようになってきた。


だからこそ、不安な思い、恐る思い、腹がたつ思いが出てくるということは、

自分がひた隠しにしてきたものを表に表せるチャンスなのだ。


そう。それは「現れてきてくれた」ものなのだ。


愛しさ以外の何がそこにあるのか。


恐れも、怒りも、愛の思いで受け止める。


すると対象となる誰かを変えようとも思わない。

変える必要などないとわかる。


いや、変えたいと思う思い、その思いさえも受け取る。

そうしたい自分を正直に受け止めて、変えまくってもいい。

それも赦す。


すべては、今、そこに起こっている、そのままを受け取る。


それをうわばみのように飲み込んでいくと、

その下に溶けていくような癒しが待っている。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです




2024年9月8日日曜日

写真集の作業

 




先日8月12日に、写真家である私のダンナ海沼武史が、

自身の写真集を出すために募った寄付金は、

8月の末の時点で目標額に達し(現在44万円)、

写真集の印刷に向けて動くことになりました。


その日から次々にご連絡をいただき、

愛の思いを皆様から受け取って、感動の日々でした。


これも皆様が賛同してくださったおかげです。

この場をお借りして心より御礼申し上げます。



さて海沼の写真の編集も終わり、私の出番となりました。

私はイラストレーター、デザインはほんのちょっとかじっただけで、

デザインと言えるほどのものはできないかと思いますが、

せめて作品の邪魔はしないようにレイアウトできればと思っています。


100点以上の作品が入った写真集が2種類。

そのレイアウトと版下作業の大変さを今身に染みて感じております。





今回の彼の写真集は独特のものがありました。

いわゆる綺麗どころの作品を寄せ集めた写真集ではなく、

大きな物語がそこにありました。


一つはこの人間の世界の死について。

もう一つはこの世界にいながらにして垣間見える生命/神への賛歌、喜び。


一点一点の作品と向き合い作業をしていると、

絶えず流れている彼の音楽が聴こえます。

彼は音楽家でもあるので、彼の中に流れている音が、

その時の写真ひとつひとつに入り込んでいるようです。


1冊目『廻向/transfer』は、

彼の作品の中に「死」を予感させつつも、

その根底に流れる慈悲の思いが見るものの心を静けさへと引き込みます。


見終わった時、一つの壮大な映画を見たような気になる人もいるかもしれません。

あとがきに出てくるチャプターの説明は、

その作品ができた背景を思い起こさせ、さらに説得力を増すでしょう。


2冊目『奇蹟/ Lumière』は、

そのタイトルどおり「光」です。

光によって生命が満ち、愛の思いがその絵に定着されています。

物語などない一瞬の出会い、そして永遠の喜びにあふれています。


言葉ではなかなか言い表せないので、

皆さんが手にとって見てくださるその時を心待ちにしています。



今回の写真集つくりにあたって思うことなど、

海沼が久々にブログに綴っております。

もしよろしければご覧ください。


そしてそれとは別に、写真の販売も始めました。

今回のものはフレームディレクターである中村明博氏との共演。

全て一点ものです。

彼がプロディースしたフレームの魅力もご堪能ください。



海沼武史のオンラインショップです


2024年9月5日木曜日

わからないもの

 

「仙人草」/和紙、水彩


あるとき、自分の未来のことがとてつもなく恐ろしくなった。


「どうしようどうしよう。このままいったらとんでもないことになる、、!」


毎回やってくる恐れ。

ブログに書き続けてるから、

これを読んでいる方たちもうんざりされていることだと思う(笑)。


今までは気がつかなかったほんの小さな不安でさえも、

そこに光が当てられるからはっきり見えてしまう。

そして安堵し、また次の不安がやってきて。。。


徹底的にやるんだな。

自分の中のあらゆる観念を浮上させ消していくために。




冒頭の恐れとはお金の恐れ。


この恐れの心を落ち着かせるには、

今から入ってくるお金の予定があることを思い出しホッとするか、

これからどんな仕事をしてお金をゲットするかという計画を立ててホッとさせるか。

このどっちかであった。


でも入ってきたとしても、減っていけばまた恐れることになる。

入ってきてはホッとして、減ってきては恐れて、

そしてまた入ってくる計画をあの手この手で考えて、、、、

という繰り返しでしかない。


なんか違う。。。。





未来は過去の延長線上にある。


過去を思い出しては未来を考えている。

ということは過去を見れば未来がある程度予測できるのだ。


つまり私がさっきの考えでいる限り、

過去と同じ未来がやってくるという保証がある。


この保証は欲しいのか?

ずっと悩み続ける保証。。。(笑)


過去は後悔。未来は恐れ。。。。



やだ!

もう恐れで予測できる未来はいらない!と思った。

未来を真っ白にしたい!


そう思った時、過去が頭から突然消えた。


そうか。過去を握っている限り、未来も過去と同じなんだ。



だけど未来をさっぱりわからない

未知のものにしたいと思う時過去は消えるのだ。


それは未来をすべての可能性に開示、明け渡すことでもある。

まっさら、真っ白、さっぱりわからない!


すると今度は自分さえも、「さっぱりわからない」者になった。

ここにいるものは一体なんだ?

肉体でもなければ、ニンゲンでもない。

今ここに、何かわからない存在としている、これは何だ?


わからない。




わからないって、分からないって書くよね。

分けられないってことか?


想像できる未来は過去を背負っている。

それは「分かる」ものだ。

分かるとは分離なのか?

あなたと私、過去と未来、原因と結果。

知ってるもの。過去のデータによって分かっているもの。



でもわからないものは、分けられないもの。

あなたは私で、過去と未来は今になり、原因と結果はひとつになる。


完全に真っ白なところにいる時、心がとても安堵した。


私は何者かわからない、

どこで何をするのかもわからない。

だから私は何をする必要もない。


あの時からこのことを思い出すたび、平安になる。




私は何?


(単に認知症の前触れだと人は言う)







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