困った時は聖霊に聞く。
先日町内関係の領収証がどこにも見つからなくて焦った。
会長は、渡したという。
ならばうちに絶対あるはずだが、必死で探すも見つからない。
実は最近渡された領収証が「来てないよ」としらっと言い放った直後、
書類の中に挟まって出てきたという前例がある。
これでまたなくしてたら、信用ゼロだ!
ちょちょ舞を一旦やめた。
「おっと~。ちょっと待てよ~。
聖霊さん、これをどう見ればいいんですか!?」
と、聞く。
あ。そうだ。まずはここから離れればいいんだ。
と、ベランダに干してある洗濯物を取り込みに二階に上がる。
その途中で、ある映像が頭に浮かんだ。
水色のノート。
それは前の会計さんが使っていた領収証ノート。
「そうだ。確かあそこに同じパターンの領収書があるはず。。。」
そして出てきたのは、行政に申請した領収証のコピー。
これだ。会長は行政にその領収証を提出しているのかもしれない。。。
散歩の途中で、会長と会う。
「ひょっとしたら、それ行政に提出してませんか?」
「え?いや。渡したはず。。だってコピー取ってあるもん。。。あっ!」
と自分で言って自分で気がついた(笑)。
聖霊の私へのガイダンスは、声として聞こえない。
だけどインスピレーションとして、
考えとして、
映像として、
私を導いてくれている。
一時期、聖霊の声が聞こえないとダメなんじゃないかと自分を卑下していたこともあった。
聞こえないことはいけないことなんだと。
でも聞こえたら聞こえたで、今度はそれに振り回されるんじゃないかとも思った。
あっちにいけ、こうしろと言われるのは、葛藤と抵抗を起こしてしまいそうだ。
だから聖霊さんは私に安心できる方法で導いてくれているんだと思う。
こうやって少しづつ聖霊に教えてもらいながら、
信頼関係がどんどん深まっていく。
そしてそれを通して兄弟との信頼も深まっていくから不思議だ。
私たちはたぶん、普段独り言を言っている。
無自覚なままだと、絶えず自我とともにしゃべっている。
自我はだいたい知ったかぶりをして、こうすればいいんだよ、
ああしたほうがいいに決まっていると饒舌に語る。
その声ではない、聖霊に私はいつも話しかける。
「どう見たらいい?」
「どう考えたらいい?聖霊さんの見方を教えてください」
自我みたいに「それはだなあ~」と雄弁に語らない。
聞いても、いつも
「。。。。。」だ(笑)
でもその時間がとてもいい。
その時、この世界のことを必死になって考える時間が一瞬消えている。
そうした時間が徐々に増えていく。
静かで、安心した瞬間。
そこに何かがあるのを感じる。
そのままじっとしていたら、
みえもせず、聞こえもせず、考えもしない、その先に、
溢れてくるものがある。
聖霊は間違いなくそばにいることを実感させてくれる。
それはとても心強いことだ。
絵:「健康と生活」オランダ
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