2022年4月20日水曜日

エアー物差し

 


私たちは、自分が恐れていることに気がつかない。


あれこれ画策を練るのは、

問題を見つけて、その問題を解決すれば幸せになれると思い、

あれこれ画策を練るのだ。


これをほとんど自動的にやっている。

「あっ、まずい!」

「あっ、やばい!」

「なんとかしなきゃ!」


問題を見つけた瞬間、動揺する。

恐れ発動。


問題が見つかるとは、ふつうこうであらねばならないのに、

そうでない事態が起こった!と見つけること。


その「こうであらねばならない」が、元々の物差しなのだ。


その物差しで測るから、

「あっ!短い!」とか「あっ!長すぎる!」

とか言って、大慌てする。


長年使ってきて、そして誰もがそれが基準だと教えてやまない物差しだ。


息するようにそれでいちいち計るから、問題が見つかる。

短くても問題だし、長すぎても問題だ。




私たちはいつの間にか、

その問題を解決することが自分の幸せだと信じるようになった。


そして「どこかに悪い子はいねえが~~~」と、探し続けるのだ。


だがそれこそが恐れなのだった。


恐れの物差しで測り、

その物差しではかられたものに取り組み、

それを解決させて一瞬幸せな気分になる。

だけどまたやってくる恐れ(問題)。


恐れを見つけ、恐れで解決し、恐れが一瞬消える。


という繰り返しをやっているが、

一向に恐れが消えることはない。


そうやってあっちこっちで取り組んで、ゼーゼー言って、

精魂尽き果てて、ボロボロになって、

ちっとも問題(恐れ)消えないじゃん!


そして

「ちょっと待てよ。。。?」と気がつく。


この「物差し」って何?




元々の、この物差し自体が「恐れ仕様」だったのだ。


その自分が手に持っっている物差し。

これが恐れを生み出す装置だった。


だってそれで全部測っていたんだもん。

ずっとそれが幸せの基準だって思っていたんだもん。



それが恐れを生み出す装置だったと知った時、

その物差しをじっと眺めてみる。


そうすると、その物差しは、時と場合によって、

長くもなりゃ、短くもなって、

とんでもなくいーかげんな物差しだった。。!もう矛盾だらけ。


そんなものに私は必死で長いこと頼ってきたのかと。

それは恐れしか生み出さなかったのだと。




その時その物差しが、

実は実在せず、エアー物差しだったことに気づく。


しかし「もう、こんなものいらない!」

と、思ってはみるものの、存在しないものをあると思って、

長年それが基準になってそれにすがって生きてきたのだ。

火曜日の可燃ごみの日にポイっとは、簡単に捨てられない。



そこでじわじわと捨てていく。


「それは短すぎる。。。」

とエアー物差しが言ってくることを

「本当にそうか。。?」

と疑っていく。


あるいは、「ふ。。もう信じねえぜ」

と相手にしなくなっていく。


そうすると、もう一つ別のものが見え始める。

それは物差しのない世界。

はかりごとがない世界。

(測りと、謀をかけた。うまいっ!)




いい、悪いという判断がない世界がある。


これまで物差しでこの世界を測ってきた。

恐れによって測られた世界は、恐れを実在させてきた。


物差しのない世界は、恐れがない。

いい悪いという判断がない。


すべてよし!だ。


それは愛とともにある。


測らない世界は、愛の反映。

物差しのある世界は、恐れの投影。




恐れを作り出す物差しは徐々に消え始め、

代わりに愛が、浮かび上がり始める。




絵:MF新書イラスト




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