こうやったら、こうなる。
赦したら、思った通りになる。
判断をやめたら、いいようにことが進む。
私たちは、自分が望む結果を得るために行動する。
それはスピリチュアルでもそうだし、コースにさえそれを使う。
そうやることでいい感じになった。
じゃあ、これは使えるなと。
もし、あれをやれば必ずうまくいくものがあれば、
私たちはもっと幸福だったはずだ。
でも今だにその絶対的な「あれ」を探している。
その「あれ」がないのはなぜか。
自我は、それを探すことに明け暮れるように仕向ける。
それは、いつまでもこの世界の中にいてほしいし、
そしていつまでも問題を解決できる糸口を探し続けさせるためだ。
しかしその本心はこうだ。
「探せよ。されど見つけることなかれ」
聖霊は、この世界に答えはないと教えるために、
うまくいかないことを使う。
なんでか知らんが幸せは継続しない。
必死でゲットしても一瞬の喜びでしかない。
外に現れるものに意味がないと気づかせるために。
なぜならいいことだらけだと気を良くして、
「やっぱりこの世界は楽しいなあ」
と、いつまでもここに留まろうとするから。
だからうまくことが運ばないことは、いい知らせなのだ。
と、うまくことが進まず、
あくせくしている自分に言い聞かせる。
(やっぱりそこか)
それを屁理屈というなら言わせておこう。
(開き直るんかい!)
絵/MF新書表紙イラスト
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