「俺の家の話」というドラマを見た。
最終回で、こー来たかー!とちょっとびっくり。
ネタバレなのですいません。
まさか主人公がいきなり死んじゃうなんて。
でもよくよく見てたら、重要な役割を果たして逝った気がしてくる。
最終的に家を全て丸く収め、
「俺より家のことが大事」という無我の人だった。
そしてもう一つ。
死ぬっていっても死なないんじゃないか?と思わせてくれた。
死んだ後にしょっちゅう出てくる主人公。
それは認知症の親父がそう見ているとも言えるし、
認知症のように見えて、本当は真実を見ているとも言える、なかなか巧妙な演出。
配信で昔のドラマを見ると、時代背景が見えてくる。
今は絶対やらないだろうなあ~という演出が続々w。
ドラマはその時代のムードや価値観を変えてきた。
その一つは「おっさんずラブ」にも現れてる。BLもいいんじゃね?て気分にさせてくれる。
その実、漫画に没頭し、萩尾望都さんや竹宮惠子さんの作品に触発され、中学生時代から高知のど田舎の本屋さんで薔薇族、さぶ、アドンなどを密かに買ってきて、知らない大人の世界にどきどきしていた。
そんな文化が明るく公になっていくのを見るのはなんとも心地よい。
「もう、みんなひっくるめてぜーんぶ人類愛だあ~!」
と叫びたくなってくる。
そんな時代に「人は死んでも死なないんかもしれない。。?」
というドラマの演出は「お。ついにきたか」と思わせてくれた。
私自身、父が亡くなってもちっとも死んだ気がしない。
過去に亡くなった友達を思い出すけど、やっぱり死んだ気がしない。
先日もご近所で亡くなった方のお顔を拝見させてもらったが、
ちっとも「あ、死んでる」と思えなかった。
とはいえ、かーちゃんが死んだら、きっと私は大騒ぎして大泣きして暴れるだろう。
それでも時間がたつとケロッとして
「かーちゃんはやっぱり死んでない」
と、いけしゃあしゃあというに違いない。
人類は死なないためにいろんなことをやってきた。
確かに死を迎えると肉体は消える。
だけど心は死んでないのかもと思い始めたら、
すべての行動のモチベーションになっている「死ぬことは恐ろしいこと」という観念が、ぽろぽろと落ち始めるのかもしれない。
時代の価値観は時代とともに変わってくる。
その変化が、「ねばならない」という否定に進むのではなく、
「それもいいのかもしれない」
という肯定の方に変化していったなら、
心はぎゅっと縮まるんじゃなくて、ぱあ~っと無限に広がっていくだろう。
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