2020年9月26日土曜日

小人がいる世界

 


小さな小人を探すドラマを見ている。


身長15センチくらいの森に住む小さな人。いたら楽しいだろうなあ。


想像してみる。

今そこにある草むらの中にいるのかもしれないし、

あっちの切り株の後ろに隠れていて、不意に現れるかもしれない。


そんな思いでワクワクしたことはないだろうか。

私たちが見たこともない、知らない世界に思いを馳せ、心をほころばせるのだ。


妄想癖のある私には、そんな時間が楽しかった。

今住んでいるこの世界がとても息苦しくて、窮屈で、退屈で、

何か別の場所、別の世界を探し求めていた。



小人を見たことがある人は、あまりいないだろう。

滅多に現れない存在。

だからこそ人はそこにロマンを感じる。


じゃあ、もしこの世に紙袋というものが、滅多に見れないものだとしたら、

紙袋はロマンを感じさせるものになるのかもしれない。

紙袋のある、私たちが知らない別の世界。。。


夢がないって?

もしテーブルの上を、たくさんの小人たちがしょっちゅう跳ね回っていたら、

それにロマンを感じるだろうか。

当たり前すぎて、

「もう、うっとおしいなあ、ちょっとは静かにしてよ!」

ってことになって、ロマンどころか、撃退法まで考え始めちゃうかもしれない。




そのロマンの元になっているものは、小人ではなく、

この世界の窮屈さからきているのではないだろうか。


私たちは滅多にないものをありがたがる傾向がある。

その滅多にないものに、

この世界からの脱出の糸口を無意識に求めているのだ。


私は本当はここの住人ではない、もっと別の世界に住む住人なんじゃないか?と。


その思いが、人を探求の道に進めるのだろう。

この世界がどこかおかしいと思うからこそ、

哲学や宗教が生まれるのだ。


私たちは、本当にこの世界の住人なのかと。



そのドラマのタイトルは「ゴーイングマイホーム」

まさに今の私の心を表していた。



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