2019年7月18日木曜日

ほっこりしたいだけやん その2




どうもそうじゃないかも。。。
っておもいはじめた。

だって、さんざんやってきた。
あいつを変えて、これを変えて、あれも変えて、それも変えて。。。!!!
だけどまったくらちがあかなかった。。。。

そしてその視点は、逆方向に向かいはじめた。

変えようとするから、らちがあかなかったんじゃないか?

あるときから、変えることをやめた。
「。。。。。。。。ほっておこう」

心は騒ぐ。
変えないでどーする!このままでいいのか!?ほっといたら、地獄行きだぞ!

それさえもほっぽっとく。
何の判断もせず、何の解釈もくわえず、
何の正しいも悪いも、何のジャッジもせず。。。

裁いたところで、自分が苦しいだけ。
それは過去さんざんやってきたから証明済み。(いくらでも例はあげられるぞおーっ!)
もうその手にゃ乗らん。

ほっぽっといて、ただながめている。忘れている。
すると、事は勝手に進む。
勝手に動く。
勝手に問題解決されていく。
勝手にいい人になっていく。
勝手に穏やかになっていくじゃないか。。。

なんだこれ?

問題を見つけて、それを解決させるのが、幸せじゃなかったのか?

けれども問題を見つけても、それを問題として見ず、かかわらないことで、勝手に解決されていくのをみはじめた。
それは気が抜けるほどに。

そうしてやっと、何も変える必要なんかなかったんだ。
というところに落ち着いた。

な~んだ。
そんなことのために、どれだけ回り道してきたんだ、私?

けどこれは本を読んだ知識では得られないものだ。
体感として知る。それこそがほんとの知恵になっていくんだろな。




心の中を歩く。
それは正直言って、かなりきつい旅になる。自分の闇と徹底的に向き合わなければいけなくなる。見たくないものをみることをしいられる。心の中はお花畑じゃない。

けどもう一瞬だけの幸せでは物足りなくなったら、どうしようもなくそっちに向かわざるを得なくなった。

その途中途中に、驚きと平安とよろこびを与えられる。それは恩寵のように。
なぜ欠乏感があるのか。
それが消えることがどういうことかが、じょじょに見え始めた。

そしてまた旅を続けるようにとうながされる。
一人で旅をしているのではないのをかんじる。心の旅に向かう時、必ずお供がいる。
そうでなければ向かえない旅なのだもの。



何かをして、幸せになるのではなく、

何をもしなくても、幸せはすぐここにあったのだ。


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