2014年9月1日月曜日

イヤイヤやるとカラダに出るやまんば



畑は今草さんのオンパレード。
このごろの雨で、じっとりべっとり。そろそろ秋野菜の種を蒔かないといけないのに、ちょっとやると全身べちょべちょ。おまけに蚊がぶんぶん。サイテー。
それでも今やらないととがんばっちゃう。腰がヤラレる。朝、起きがけに腰がチョーいたい。


その日も草刈りにはげんでいた。
「どーせまともにそだたないのに、よくやるよなあ、あたし」
ぶつぶついいながら、草を刈る。
「なんでいつまでもやってんだろ、あたし。。。」

自然農、炭素循環農法、無肥料栽培、果てはやまんば流を追い求めてきた。どんどん豊作になるかと思いきや、どんどんできなくなる。なのにひたすら種を蒔き続けている。
そのとき、
「あ。あたしこれが好きなんだ」
と、気づいた。
あたり前じゃん。好きでやってんでしょ。と、頭はいう。
だが、ホントに好きなんだってことに気づいたんだ。

それはいい結果がでようと、でなかろうと、土をいじっていることが好きで、種を蒔くその瞬間が好きなのだという、自分の中のすごく根本的なところに触れた気がした。
結果などほんとうはどうでも良かったのだ。
ただやっていることが好き。

よく人は、何時間もやり続ける人を、「頑張ってるねえ」とか「努力するねえ」とかいうけど、努力や頑張りだけで何時間もできるもんだろうか。
きっとその人はそれが好きなのだ。時間を忘れるほどやりたいことなのだ。


「あたしはこれが好きなんだなあ。。。」
と、へらへらしながら草を刈る。
さて、ここへは何の種を蒔こうか。なんか壬生菜を蒔きたいきがするけど、そしたら隣のタアサイと交配するからだめだ。ここへはダイコンのはずだ。
と、頭がいう。
でもなんでか壬生菜が蒔きたい。ええい。交配しても何でもいいから、壬生菜いっちまえ!
と、好きなように蒔いてみる。

明くる朝、腰が痛くないのに気がつく。へんだ。いつもなら野良仕事をやったら、明け方腰が痛くなってくるのに。



同じ草を刈るという動作であるにもかかわらず、心の置き方しだいでこんなにもカラダに変化がおこるものなのだろうか。

ひょっとしたら、ほんとうは「やりたい」ことであるにもかかわらず、「やらなければいけない」ことになっちゃって、いつのまにか義務になり、イヤイヤになり、それがカラダにアンバランスを起こし、腰にきているとしたら。。。


頭は結果を求める。結果がすべてだと言う。
そのおもいに取り込まれて、ほんとうの心の奥が感じていることを忘れている。好きなのに、好きを忘れて結果に重きを置く。するとホントの自分を置き去りにするから、カラダのどっかが訴えてくるのかもしれない。そうじゃないよ。こっちだよって。

わしらは物事を先へ先へと考える。目標、結果、達成するべきもの。
それはいかにもかしこい行為のように見える。
それは頭がとらえる価値観だ。

けどカラダがそれにアンバランスを感じて何かを訴えてきたとき、その原因を外じゃなくて、自分の心の中をさぐってみるといいかもしれない。
私たちはやらなければいけないことと、やりたいことをごちゃまぜにしてしまっているのかもしれない。

今、それをしたいからするの?
それとも、しなくてはいけないからするの?

でもほんとうはしたいからしていたんではないの?


4 件のコメント:

まいうぅパパ さんのコメント...

どんな食べ物が出来上がっても、調理したげるから、ドーンといきましょう!

つくし さんのコメント...

ドーンともっていけるかどーか。。。
今年の秋はどーなるっかな〜(笑)。

まいうぅぱぱ さんのコメント...

ドーンが無理なら、ポヨ~ンでもいいよ!美味しく食べ飲みしましょう!

つくし さんのコメント...

ボヨ〜ンでよろしく!