努力のかいあっていい結果を出せた。
必死で考えたら、いいアイディアが浮かんだ。
これが一般的に言われている「考えればいいことがやってくる」という法則だ。
しかし。やまんばはこの法則に疑問を投げかける。
やまんばは仕事の度にアイディアをひねり出す。ひねってひねってひねりまくって30年。その間に生み出された数々のゴミのようなアイディア山のごとし!(そればっかりやがな)
んで、その結果、晴れて身を結んだアイディア(印刷物になった)と、ボツったアイディアの中に、ある種の法則を見出した。
「ふんんんん~~~むむむ~~~~」
と1週間ぶんのウ○コをひねり出すかのごとく、ムリヤリひねり出したアイディア。
「ふんんんんん~~~~むむむう~~~~~」
とさんざんやったあげく、くたびれて珈琲入れにいったとき、
「。。あ?」と、ふと思いついたアイディア。
どっちが身を結んだでしょーか?
答え。珈琲入れにいったとき。
そーか!、珈琲入れにいきゃいいんだ!
と思ったそこのあなた。君、ばかじゃないの?
わしらはすぐ単純に、考えまくって努力したからいいアイディアが浮かんだ、と思ってしまう。
しかし。。。
アインシュタインは「どーしていいアイディアが浮かぶのはいっつもシャワーの最中なんだ!」と言った。
演出家としても活躍中の玉三郎さんは「いい案は、いつもお風呂の中なのよねえ~」と言った。
偉大な発明は、なぜか風呂とかシャワーを浴びているとき。。。?
これは何を意味するのか。
このときこそ思考が止まった時なのだ。
そう。思考をしている最中は、その問題が存在しているところと同じ土俵の上にたっている。同じ立ち位置にいるとその問題そのものの全体像が見えない。ところがちょいと上から見下ろすと、その土俵全体が見渡せるではないか。そのとき、洞察が瞬時に起る。そこには感情的なものなどない。何が問題で、自分はそれをどう捉えていたのか。そしてそれはどういうふうに事を運ぶといいのかとわかるのだ。
そのとき思考は動いていない。ただそのものを「観る」のだ。(見るのではない)
シャワーを浴びているとき、きもちいいよねえ。お風呂に浸かっているとき、極楽だよねえ~。珈琲入れにいくとき、ゆったりしてるよねえ。
いいアイディアが浮かぶその瞬間はぎりぎりと締め付けるような思考はどこかにいっている。むしろほげーっと、ぼけーっとしているはずだ。
そのときなにかがおこる。
クリシュナムルティはいう。
思考と思考の間に宇宙がある。
私たちは宇宙そのものの中に存在している。それは空ともいう。その空と私たちは常に一体なのだ。しかしそれをわけるのは思考という存在。思考は宇宙と私たちをへだててしまった。自然農法の福岡正信さんはいう。言葉が我々を分別してしまったと。
思考は言葉である。言葉は私たちの思考が生み出したものだ。思考には限界がある。
そのことを仏陀は言っていたのだ。
座禅や瞑想で思考を止めようとするのは、思考にはどうしても超えられない限界があるからなのだ。
(ほーら、エアー法則全開だぜえ~。あぶないあぶない)
絵:MF新書表紙イラスト
「居酒屋のつまみを劇的に旨くする技術」
ちょっとそこのオヤジさんそして、オヤジギャルさん、これはおいしい本だぞ〜。ほんのちょっとのやり方で旨くなるんだからあ〜!
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