2012年3月17日土曜日

自分を否定するところから始まる努力

「あたしはこれではいけないんだ」
というのが、努力の始まり。
だけど、それが場合によっちゃ悲劇を呼ぶ。いや、喜劇かもしれんが。

「じゃあ、あたしはこれでいいんだ!とおもえばいいんじゃないの?」
というかもしれない。だけど、問題はそこ。これじゃいけないんだったら、あっち。というふうに、あっちかこっちと、人はすぐ反対の事を思いつく。これじゃ意味がない。また同じところをグルグルまわるだけになる。

そうではなくて、そんなふうに人の心はクルクルする。いつもあっちこっちとうろうろするだけなのだ、それはしょせん同じコインの裏と表なのだと知ることなのだ。

やまんばだけじゃない。この世の人々は多かれ少なかれ自分を否定している。それはほとんどが、
「おまえはこれだからだめなんだ」とか
「ほら、やっぱり三日坊主じゃないか」とか
「ヤーイ、このブス!」とか
「お姉ちゃんを見習いなさい!」とか
「お父さんとおかあさんがいっつもけんかするのは、あんたのせいよ!」
とか言われて来たからのようだ。

ちょっと大きくなって来たら、
「諸君!(古い)A君のように、みんなもなりなさい!」
といわれ、社会に出ると、
「キミ、ちょっとは成績あげてくれんかなあ。ウチとしてもこのままキミを置いておくわけにはいかんのだよ。」
と上司にいわれる。

すると「ああ、おれはだめなんだ」となる。
そこには成績を上げていないという事実があるだけ。だから上司は成績を上げてくれと言っているだけなのだ。なのにそういわれると、まるで「お前はダメな人間だ」と、自分を全否定された気分になってしまうようなのだ。
ここ。ここがみそ。

ここでワイドアングルビジョンになっていると、「上司はその部分だけを指摘している」事を淡々と理解できる。つまり、そこには「感情」が伴っていないのだ。

ところがトンネルビジョンになっていると、
「ああ、結局おれって、なにをやってもだめなんだ。。。。」
と、感情が揺さぶられ、昔失敗した事をつらつら思い出し自己嫌悪する。もちょっとたつと、今度は自己憐憫になって自分をかわいがる。(おーい。仕事の話はどこへ行った?)

それをやっている自分を、今、まさにそれをやっている自分を「みる」ことなのだ。
みることは、肯定も否定もない。ただみるのだ。

ポジティブ志向、プラス志向っていうのがあるけど、自分にいくら「アタシって美人!」って暗示をかけても無理。その無理してそう思い込もうとするところのうしろに、「ほんとは違うんだけど。。」という怖れがひそんでいるからだ。

それがいけないならこうする、という発想が有効なら、ここまでハウツー本は世の中に氾濫していない。簡単にプラス指向や自分を肯定する事が出来るんなら、ここまで自分に振り回されないはずだ。だが現実は?おもいっきり自分に振り回されてる。

それは自分を否定するところから始まっているからだ。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

そういう考えって、布団に入ってるときに出てこない?布団から出て、ちゃんと椅子に座ってる考えるともうちょっとは前向きな考えになる。
だからと言って、ぱっ!っと起きちゃう!って、なかなかできない・・・ぐだぐだ・・・

つくし さんのコメント...

まさに「自分を否定するところから始まる一日。。。」だな?

私も今朝起きた瞬間から「ああ、あたしって。。」となった。
起きて動き出すと、他の用事に気をとられて自分否定を忘れる(笑)。