2011年8月30日火曜日

われわれは競争すべし!か?




ふと思ったんだよなあ。
現代人がこーんなに忙しいのは、単に競争させられているからだけなんじゃないの。売り上げ上げろとか、もっと成績を上げなさいとか、いわれてさ。

ちっちゃい時から、もっとお勉強しなさいと言われて育ち、晴れて社会人になったら、今度はお金の成績上げろと言われる。もっともっと、上へ上へと言われる。そんなに上に登ったら、成層圏に出ちゃうじゃないか!息できないし。

だけどさあ、てっぺんはだいたいにおいて狭いわけだし、そこに全員が登っちゃえるわけないし。という事は、ほとんどの人が脱落するわけで、そーすると、なんか人生いやんなっちゃう人続出。そのいやんなっちゃう憂さを晴らすために、今度はゲームやっちゃったりなんかする。するとそこにも、敵と味方がいてさ。それ戦え、やれ点数かせげ、とあおってくる。
スポーツ観戦してもどっちが勝った負けた、メダルとったとらないと気になるし、ゴルフやってもボーリングしても数字気にするし、休みになると渋滞の高速で、なんとか目的地に早く着けないかとあくせくするし、バーゲンセールで誰よりもお得なものを勝ち取ろうとする。

自分の子供が成績上がっていい学校にいっても、就職口あるかどうかも保証ないこの世なんだけど、その子にはしっかり競争しなけりゃ生きていけない!とインプットされてしまう。他の子を蹴落としてまで上に上がろうとする子供を作ってしまう。自分の子に敵対心を育てていいのか?ゲームでも人を抹殺しまうものをさせてていいのか?いじめの問題だって、まわりにそれを助長するものがあるからなんじゃないかなあ。

結局、仕事しても遊びしても競争させられているわけだ。
これはホントに人間の生き方なんかなあ〜。
「我々はあらゆることに競争するべし!」というお告げでももらったんか?

いや、ほんとにもらったんかもしれん。
競争させときゃ、我を忘れるし、競争に勝てないととんだことになる、と恐怖を植え付けときゃ、いやでも競争して人を押しのけて、我先にと人が群がる。そうしたら、人は一人でじっくり考えたりする事はないし、次々に目新しいものを「はい!つぎこれを越えなさい!」と提示しとけば、「あ!次はコレを目指すのね!」と飛びついてくれる。なんとコントロールしやすいのだ。

でもこの世の競争社会を見ていると、どー見てもこの先崩壊にしか向かわない。それは、いきなりのドッカーン!という崩壊かもしれんし、はたまたじんわ〜りと崩壊するんかもしれん。ドッカーン!と来てくれると、「あ、しゃーないか」あっさりと人は腹をくくるが、じんわ〜りがきつい。真綿で首を絞めてくる。

自然界の崩壊は、大津波がドッドーン!と、鳴り物入りで映画みたいにやっては来なくて、ひたひたと恐ろしいスピードで黙ってやってくる。確実にすべてを壊しながら。
そういう事が世界中でひたひたと起って、ひたひたと私たちを呑み込んでいくんではないだろうか。

それに気がつけよと言われている気がする。
人間が競争にうつつを抜かしている間に、ひたひたと人間世界の崩壊が始まっている。いっとくが、地球の崩壊ではなく、単に私ら人間の視点から見た崩壊。人間が消えてくれりゃ、また地球さんはたんたんと美しい自然を取り戻していけばいいだけの事なのだ。
劇的にドッバーン!とやって来ないのは、ある意味では地球さんのやさしさかもしれん。

だからわしらは、さっさと競争をやめるべきなのだ。そろそろ地球さんにうっとおしがられているのだ。

だが会社の社長さんに向かって
「社長!もう売り上げ上げるの、やめるべきだとおもいます!」
と、いったところで
「君、あしたから来なくていーから」
といわれるのがおちである。

まず自分の内側から競争をやめる事にする。
近所のオヤジと野菜の大きさ競わないとか(ちっこいのー)。おとなりさんが洗濯物干してるからウチも負けずに干すとか(こりゃまたちっこいのー)。インターネット見て、ぶつぶつ言わないとか、他のイラストレーターの方が仕事が多いとあせらないとか、ギャラが安いと文句を言わないとか(生々しい話じゃのー)。

とりあえず、会社の成績目標は競争しているフリをする。
だけど心の中の競争がやまると、比較する事がなくなる。自分が他人が世の中が、、とイライラする材料がへる。心が落ち着く。冷静に周りを見る事ができる。
すると、なんで成績が上がらないのか外から原因を見る事ができるかもしれんではないか!

もしこの世に競争がなくなったらどうなる?なによりのんびりする。あくせくする理由がない。学校の成績上げる必要もない。空の雲の流れを見て会社に通い、教室もお天気になれば青空教室。草の匂いをかぎながら寝そべってやる。なんだか愉快じゃないか。それでもきっと世の中は回っていく。スピードが遅くなるだけだ。それでいいじゃない。コンビニ弁当すぐ手に入らなくても、死にはしないとおもう。(人によっては死んでしまうかもしれんが。いや、コンビニ弁当はかなりやばい。食わん方がかえってイイかも。。。)

わし、競争をやめる。いち抜けた。
と、今朝起きたとき思いましたです。告白。
 

絵:MF新書「自画自賛力」表紙イラスト今月発売で〜す!

4 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

みんながみんな、同じではよくないように思います。
競争してる一群がいれば、惰眠を貪ってる一群もいて、偉そうなやつとか、ぺこぺこしてるやつとかいて、初めて人間の団体生活が成り立つ。なんてこと思います・・・。

つくし さんのコメント...

競争しなくなったからといって、みんながみんな同じにはならないと思うよ。
むしろ、競争しなければいけない、頑張らなければいけないと、みんなが思い込んでいるから、苦しいんだよ。

小さい時から「がんばりましょう。いい成績上げましょう」と言われてきたことを、そのまま「そういうもんだ」と信じて大人になって来たんだ。

でも人それぞれ才能がちがう。のばす場所がそれぞれちがうのに、みんなが同じ売り上げや同じ目標を求められてる。だから苦しいんじゃない?

みんながみんな全員が完全にちがう個性を持っている。
同じ事を求めて来るのは、むしろこの社会なんだよ。個性を生かして生きるには、この社会の仕組みや矛盾からいったん外に出て、外から見る事じゃないかと思うんです。
だからまず私はその習慣になってしまった自分の心の中の競争心から解きほぐそうと思ってるんだ。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

私は”小さい時から「がんばりましょう。いい成績上げましょう」と言われて”来なくても、人間は競争するもんだと思ってたりする派です。
んで、昔だったら、いい成績あげなくてもいい人まで頑張っちゃわないと行けなくなったから、苦しいんだと思います。頑張っちゃった人が増えたから競争率が上がって、更に頑張らなきゃならない状況に追い込まれちゃったんではないかと・・・。
ほんの数十年前には、大学行くことなんて夢にも思ってない人一杯いたじゃないですか?
当時の頑張りと今の頑張りって、相当違う気がするんですよね。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

まぁ、ちょっと妄想かも知れませんですがね・・