2011年8月23日火曜日

パスカルにケンカ売る?



人は考える葦である。

考えることはえらい!と言われている。でもさ、考えることって、ほとんどどっかから聞いたり、見たり、体験したりしてきたことを「考えている」んじゃないのか。そりゃ、えら〜い偉大なる人は、考えて考えてなんかすごい発見をしたらしいが、一般的な私らは、考えて考えて考えても、知らないことは考えだせないではないか。ということは、考えることといえば、「過去」のことだけなんじゃないだろうか。その過去のことはすでに終わったことで、そのすでに終わった古いものをなんとか駆使して使い直そうとする。でも人生は一時として同じところにとどまっていない。まったく同じことが繰り返されれば、同じパターンでやり過ごせるけれど、口から食べ物を食べたらお尻の穴からうんこが出るとか。でもコレって考えてやっていることじゃない。そーか、肉体のパターンは、頭で考えてできることじゃない。こりゃ、自動的に肉体の英知がやってくれていることなんだ。

肉体の英知と違って、人生いろんなことが起きてくる。それをどう処理するかは、ニンゲンは考えて処理しようとする。だが、出来事は常に新しいのだ。その人にとって、未知なるものがやってくるのだ。なのに、人がやったことや、かつて自分がやって来たことを、ほじくりかえして、「あ、これこれ、これ使える!」とかいって処理するのは、なんか違うような気が最近するのであった。結局自分が知っているものを、思い出して来ているだけなのだ。

わたしゃ高校のとき、学校でやっている学びと言うもんが、ほとんど記憶力に頼っていることに気がついた。英語しかり、世界史、日本史、理科、国語、数学だってパターンを覚えなきゃいけない。いわゆる頭のいい人は、「記憶力のいい人」ってならないかい?あ、それと「ヤマカンのいい人」ね。「ここ、テストで出る」とわかるやつ。だからやまんばは記憶力もヤマカンもさっぱりなもんで、成績は下の方をずるずると。でも美術に記憶力はいらないから、あれだけは5だった。

と言うことは、私たちが「考える」と言うことは、ちっちゃい時から鍛えて来た「記憶したものを思い出す」と言うパターンにはまっているだけなんではないか?

一時としてとどまっていない瞬間瞬間を、過去のやり方で答えを導きだしていーのだろうか。ほんでもってそれでオッケーなんだろうか。いや、そんなこといったら、きっと「当たり前じゃないか。それで人類は今までやって来ているんだ」と反論食らうの分っているよ。けどさ、何かこう、腑に落ちないんだな。だからわざわざ書くわけよ。ほんとにそーなの?って。一人ぐらいあまのじゃくなヤツっていたっていいでしょ。

じゃあ、未知なことをどーやって未知なことで処理するか。別にとんでもなく前人未到の未知なことをを思いつく必要はないんだ。その答えは、きっとその人にとって、いつもは考えられない答えなんだ。どーやってその考えられないことを思いつくか。
考えないことじゃないか?

いつも私たちは、自分の考えの中で頭がいっぱいになっている。それはほとんど同じパターンの中でぐるぐるしてるんだ。その同じパターンで埋まっている空間は、他に何も入る余地がない。そこに、今まで思いもつかないアイディアが入って来られるように、空間を明けておくことなんだ。きっとそのアイディアは、中にはいって来ようとしている。新しい方法で解決しろよと待ち構えている。でもその人が過去の考えでいっぱいになっていたら、その空間の中はぎっちり埋まっている。だから入って来られない。けどひとたびそのことに気がついて、
「あ、入ってくれる?空間明けとくから」としておくと、
「じゃあ、こういうアイディアがあります」と入って来れるのだ。

心を自分の考えで埋め尽くさないで、静かにしていよう。すると、今まで考えもしなかったアイディアが、そこに、すっと当たり前のようにいるのだ。
多分偉大な人々も、考えて考えて考えて、もう、考えつかなくなって疲れ果てて、ふっと空間が開いた時に、偉大なアイディアが入って来たんではないだろうか。

げげげ〜、これはフランスの思想家パスカルにケンカ売ってんのかなあ。。。

絵:「ひまわりと妖精」COOPけんぽ表紙

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

知ってること思い出して、そのままやるだけでなくて、なんか困った時には、自分の中の”どの記憶+経験”がピッタリするか探して、しかも今回の困ったことには、どう修正してやればいいかを判断して、実行してるんだから、捨てたもんではないんじゃないですか?

つくし さんのコメント...

はいっ、ぱぱさんのおっしゃるとおりです〜。
私の屁理屈とお許しください。

やまんばのばあい、今回の困ったことを、どう修正しても、自分のちっこい記憶からしかひっぱりだしてこれないんですね。だからこのさい、自分の知らないことをインスピレーションという魔術でですね、入れてもらおうという、したたか〜な考えです。