2011年2月24日木曜日

感心事は自分です




人生における一番の感心事は何?
ゴルフ?地位?お金?子供?彼女?神?世界平和?
正直言っちゃいなさい。ほんとは「自分」でしょ。

「私の人生の一番の感心事は自分です」
なんてみんなの前で言っちゃったら、即ドン引きされるだろうね。
ましてやちょっとでも心の中にそんな思いがよぎっちゃったら
「ああ、いけない。私って自己チュー」
と、プルプル頭を振るかもしれない。

なんだか知らないが、自分に感心があるということは、イケナイことのような風潮がある。自分のことを第一に考えることは間違ったことだという人もいる。しかし自分の人生において、自分が向上したり幸せになることを願うのはしごく真っ当なことなのではないか。
「大人として」それを正直に認めることはめったにないとしても、そのことのどこが悪いのだ?恥ずかしいから?

でも人は根本的に自分に感心がある。つまりこーゆーことじゃないかな。人々はいろんな伝統的やイデオロギー的理由によって、それは間違ったことだと考えるのだと。なんでそこに間違っている、という要素を持ち込むのかと。それは単なる考え、観念なのだ。人間は、根本的に永続的に自分自身に感心がある。これは真実なのだ。

するとこう言う人もいる。
自分のことを考えるよりも他人のことを考えて助ける方が満足感があると。えらい人だなあ。しかしよく考えると、それだって自分が満足するからであって、うれしいわけで、つまりは自分の満足のためではないだろうか。何か違いがあるだろうか。これも同じ自己感心ではないだろうか。他人を助ける方がより大きな満足感を与えてくれるのであれば、その人は自分により大きな満足感を与えてくれるものに関心を持っているということになる。やはりこれもぐるっとまわって、自分に感心があるのだ。

そんなことはない!と言われるかもしれない。しかしその言葉も、どこかでその人が「自分中心にものを考えてはいけないのだ」と思い込んでいるからじゃないだろうか。それはいけないことでもいいことでもなんでもないのだ。これは自然な根本的な真実なのだ。それがいけないとか、いやそれはこう言う理由があってやっていることなのだと自分を正当化せず、非難もせず、その巧妙な心理のこんがらがった、からみまくった縄をじょじょに解きほぐしていくのだ。そしてこの世の条件づけから自分を自由にしていくのだ。

ちなみに誰かのためにやっていると、たいていそのうちもめる。ダンナもそうだな(笑)。
「あたしがこんだけやってあげているのに。。。」
と不満が出る。それはやってあげていると思っているからだ。
ところが、これは自分の喜びのためにやっているのだと気がついていれば、もめることはない。この世のもめ事もちょっとは改善されるってえもんよ。。。(?)


さて、今日の絵はニッポンについ最近やって来たパンダちゃん。中国からのかわいいプレゼント。。。。とは単純に言えなさそう。
中国もいろいろたいへんです。

3 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

パンダは年間9200万円のレンタル料だそうです。さらに赤ちゃんが生まれた場合は、2年後には中国に返さなくてはならないそうです。
きっと、2年以内に死んでしまった場合は賠償金規定が入ってるんでしょうね。

そんなに必要なものでしょうか??


一番の関心事は、自分。ではないんですけど、自分にとってどうなのか。ですかね。
ほぼ同じかも知れませんが、私は飲んだくれていられればそうれでいい。のかもしれません。

つくし さんのコメント...

確かこのあいだ日本でパンダが死んだ時も、自然死かどうか確かめに来て、最後の処理で人為的なミスがあったとかで、4500万円ほど請求されてましたね。
パンダは外交のために使われているのです。私的には必要じゃないですが、国にとってはいろんな意味で「必要」なんでしょうね。

自分にとってどうなのか、も、私は飲んだくれていられればそれでいい、も、やっぱし自分のような気がするんだけどなあ。。。。?

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

いや、微妙に違うって思うのですけどね。
自分が大事。じゃなくって、飲んだくれてる環境が大事。なんです。
自分が安全でも、飲んだくれてないとだめ。
自分はいくら厳しい環境でも、飲めてればいいんです!!
同じかなぁ?