2010年11月5日金曜日

なんとかなる




ごしょごしょと、健康に関する本を読んでいる。
「健康のためなら死んでもいい!」と言っていたタモリがやっているタモリ流入浴法。なんじゃ、石けんなし生活とおんなじじゃねえか。石けんなし生活もそのうちポピュラーになるんだろうな。ほんでもって、この世のやまんばがうじゃうじゃじゃあ〜。

三好基晴さんの「病気の迷信」と「ウソが9割健康TV」というのを図書館で借りて来て読む。それによると、わしらが日頃口にする言葉「風邪は万病の元」とか「怪我したら冷やす」など当たり前に思っている事が「風邪は万病の予防」とか「怪我したら冷やさない」とか、じぇんじぇん違う事が書いてある。おまけにアレルギーになる人はがんにかかりにくいとか。トンデモ本であーる。こんなもん信じたら、お医者さんがおまんま食い上げじゃないか!いけませんねえ。そしてテレビで言っている健康ハウツー番組は、9割がウソだと申しておられる。これまたいけませんねえ〜。そんなこと信じたら、この世はやまんばがうじゃうじゃじゃあ〜。
よいこの皆さんは、風邪は万病の元であり、怪我したら冷やして下さいね。そうでないと、病院経営が成り立ちませんよ。

でもさ、あれしちゃダメ、これしちゃダメ、ああしなさい、こうしなさいといわれるより「ほっておきなさい。自然になおるから」といわれるほうが、おもしろい。人間の可能性をかいま見る事ができる。ヒポクラテスは我々は身体に100人の名医がいるといったじゃないの。

人間の身体は何か起こったら、自然に治ろうと全身全霊で治そうとする。それを人間のいらない知恵で、冷やしたり、クスリ飲んだり、ステロイド塗ったりして、治るのを邪魔しているかもしれないのだ。
その先生がいうには「薬」という漢字は草に楽と書く。草を使って楽にすると書く。治るとは書いてないのだ。単に楽になるだけの事なのだという。ホントに治るんなら、草かんむりに治ると書くはずだ。気分的に楽にするだけのことかもしれない。漢字はすごいなあ。律儀にホントの事が書いてあるのかもしれない。
ちなみに「クスリ」を逆から読むと「リスク」だそうな。

私たちは痛みが来ると「やばい!どうにかしなきゃ!」とあせる。それをとりのぞかなくてはいけない!とおもう。ところが痛みは身体が治療している最中なのだとしたら、また、そのように私たちが教わって来ていたなら、「やばい!」と思わないのではないだろうか。

小さい頃、ケガをして、母にヨードチンキを塗ってもらった瞬間、痛みが来て泣いたら、
「このお薬は悪いところを治してくれているのよ。今ばい菌さんとお薬さんが戦っているところだからね」といわれた。
「そーか。今戦って、治してくれてんだなあ」
となんだかうれしくなり、痛みが遠のいた記憶がある。そういう言葉ひとつで感覚は変わるのだ。その時から「薬は治してくれる」とインプットされた。教育ひとつで考えは変わるのだ。
ところが、ここにひとつの教えがある。洗脳といっていいのかもしれない。薬信仰だ。母は、その母から病気は薬で治る、と教えられたのだ。それを信じているから、それを子にも伝える。その心の根底には、痛みはいけないこと、それを取り除かなくてはいけないもの、というアイディアがある。

もし、痛みは治ろうとする自然の摂理として教えられていたら、子供の感覚は一変する。ケガして泣いていたら、
「痛みは治ろうとする大事な身体のお仕事なのよ。さ、水で洗ってそっとしておきましょう」
といったらどうなるのか。私たちはその時から、痛みを恐怖する事がなくなるのではないか。風邪は万病の元ではなく、あらゆる病気を阻止するための予防の役目をすると教えられたらどうなるのか。大掃除のために熱を出し、バランスを保つ役割をしていると教えられたら、はたして解熱剤であがる熱を下げようとするだろうか。

先日、急におなかが痛くなった。そこでどのように痛みがくるのか観察する。左が痛くなり奥に引っ込み右に移動する。背中のあたりに何かの感覚が起こり、いきなりモヨオして来た。トイレに駆け込む。それから痛みはひいては現れひいては現れしながら、その度に排泄し、じょじょに消えていった。

人は痛みや身体がだるくなると、必ず感情が動く。
「イヤだ。この症状なんとかして外したい」とおもう。
その心はその痛みに抵抗をしている。だが観察するとは、抵抗をしない事なのだ。痛みを痛みとして淡々と見る行為。痛いと自分の感情が動くのをあえて外すのだ。抵抗するとは身体が自然に治癒しようとする事を妨げるのではないだろうか。抵抗=拒絶=身体が固くなる。だが、その抵抗を外すと、その痛みを受け取る事になるが、それを会えて真正面から見る事によって、その痛さは抽象的になってくるのだ。痛い痛いとおなかを抑えるとその痛さはがぜん強さを増す。ところが力を抜き、抵抗せず、痛みがどのようにあるのかを観察するうちに、モノの2秒もしないうちにその痛みは漠然としてくる。こうなるとシメタものだ。そのまま観察を続ける。おもしろい事にその痛みは移動するのがわかる。からだの中に何かが起こっているのがわかる。なんというか、自分の知らないところで大きなうごきが勝手に起こっているのを、そのとき感じる事ができる。その偉大さは畏敬といってもいいくらいだ。偉大なからだの摂理。健康な時はからだの中の事など忘れている。こんな時こそ、ナマでその大自然を感じる事ができる。

鍵を握っているのは、抵抗なのではないか。何かが起こったとき人は抵抗する。そしてなんとかしなきゃと思う。そのなんとかしなきゃが、事の収束を遅くしているのかもしれない。

お世話になっている編集者の人から昔聞いた話だ。
知人がとてつもない事件にあって、自分ではどうしようもなく、とことん落ち込んだとき、満員電車に乗っていたそうだ。込み合った車内で、「どうしよう、どうしよう」と心が動揺していたとき、突然大きな声が聞こえたそうだ。
「なんとかなる」
あまりに大きな声が車内にひびいてびっくりしてまわりを見渡したが、誰も気がついていないようす。ただ、目の前に座っていた人だけが、自分を見てにやっと笑ったそうだ。
それからぱたぱたとその問題は解決したのだと言う。

すべてはなんとかなるのかもしれない。いや、自然の摂理がなんとかしてくれているのかもしれないではないか。
そう思えば、何も抵抗する必要はないのかもしれない。



絵:「あがり」は味方にできる」表紙イラスト

6 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

良いお話ですね。
「なんとかなる」!!
そうだよね、そう思わなきゃなんともならないやね・・・。

つくし さんのコメント...

ナントカなるさあ〜って、沖縄の言葉にもあったよねえ。
なっくるなるさあ〜だっけ?

ビートルズのレットイットビーも、ケセラセラも、みなおんなじこといってるよなあ。

結局、みんな知らないうちに、何とかなっていってる事に気がつきゃいいんだろうね。ほんだら、なんとかしなきゃってあせらなくなる。

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

なんとかなるさ思想は、基本的には自然豊かな南国系の思想ですよね。
沖縄、東南アジアとか、パパラギの世界かな。
極寒の地域の人は、なんともならない。凍えてしまうから。でしょうか。

つくし さんのコメント...

そーすると、関東はどっちになるのか。

電車で聞こえた声は、東京の地下鉄の中だから、関東にも「なんとかなる」はあるんだな(笑)。

とも さんのコメント...

こんな歌がありましたよ!
「なんとかなるそーだ」って曲ですw

http://www.youtube.com/watch?v=6tKB-ofjND4

つくし さんのコメント...

ともさん、ありがとう。
聞かせていただきました。
とってもいい歌ですね!
そんな気持ちで人々が日々を生きていけたら、きっと穏やかな世界になるんでしょうね。
ヒット、お祈りしています。