2010年4月22日木曜日

霊能おばば




ウチの母は、いわゆる霊能ばばあで、私が小さいときからいつも変なことを言う人であった。
それは年を追うごとにますます力量をあげ、友だちが絵の相談で電話するときも彼女の目にはその友だちの描いている絵が具体的に見え、
「あんた、いまコスモスの絵を描いているでしょ。その絵の右側の色は変だから、この色に変えなさい」とか、
「あなたのご先祖さまのお墓の上に木がおおいかぶさっていて暗いから、その木を切りなさい」とかはたまた、病気の友だちには、
「この薬草を飲みなさい」とか言って、治したりする。
そんな人を身近に見ているものだから、この世には目に見えない何かが存在しているのだろうなと心底信じていた。
しかし最近私は、そんなものはいないんではなかろうか?という方向に向かいつつある。

「霊は存在する」なんてことが信じられない人が、ある経験を境に「私は霊が存在すると信じるようになった」と言うのはよく聞く話だが、いると思ってはばからなかった私は「ひょっとしていないんではないか?」とおもうようになった。

昔「オーラの泉」という番組を見ていた。江原さんと三輪さんがゲストの背後を霊視している。二人息のあった会話をしているようなそぶりをしているが、よく聴くと、二人で違うものをみているのがわかる。
この二人、テキトーなこと言っているなと思いつつもしばらくは見ていた。でも話の内容がいつも同じで、前世は誰でも武士だとかお姫様だとかいい、だんだんばかばかしくなって見るのをやめてしまった。そのうち知らない間にその番組は終わっていた。

いわゆるスピリチュアルな人と言うのは、だいたい愛に目覚める。平和や平等や穏やかさを求める。いつもニコニコと愛に溢れたお顔をしている。でもそのお顔で自分を防衛しているように見えるのは、私だけだろうか。なにしろ私の場合、ひねくれた性格をしているので、なにもかもが素直に見れないだけなのかもしれない。でもそういう人たちの心には、どこかで「自分は選ばれし者」的な優劣の意識があるように見える。愛を感じたり、神を感じたりするのは、優れた進歩したニンゲンの行いで、けんかしたり怒ったり神を感じられない人は、まだ進化できていない劣ったニンゲンよね、というトーンを感じる。
よく考えりゃ、平和とか平等とかお口にしながら、自分で優劣という不平等を作っている。
ウチの母を見ていても、明らかに「私は特別」という何枚も重ねた座布団の上に座って、高い位置から下々のものたちを見下ろしている感じがする。

そんな人たちが本当に進化したニンゲンの姿なのか。ひょっとしたら、単なる幻覚を見ているだけなのじゃないのか。
「あなたの前世はこれこれこうだ」
といわれても、それを証明してくれるものは何もない。
「今、あなたの後ろを白い竜が走った」
といわれても、はあ、そうですか、というしかない。

昔はそんなことを聞いて、なんだかぞくぞくした。魅力的な世界だ。へたすりゃ自分が特別な存在のように思えてくる。しかしよく考えたら、これは罠だ。自分を特別視させて、それを言った本人も、自分を特別視する。お互い特別視しあって、楽しんでいるだけじゃねえか。そこにはなんの心の発展も進化もない。あるのは優越感だけだ。

今、スピリチュアルな世界にはそんな感情がいっぱいあふれているようにみえる。人はそれで本当に成長できるのか?人はその考えでもって強く生きられるのか?逆にもっと弱くなりはしないか。繊細で傷つきやすく、より防衛的になり、神や聖なるモノや場所にたより、自分の不幸を前世のせいやカルマのせいにしてしまい、現実的な答えを見いだせず、簡単に精神的に追い込まれるようになり、追い込まれたら愛だの平和だの言っていた言葉はどっかにとんでしまい、動物的本能がむき出しになるのではないのか。

感得や霊感は自分一人のものだ。超個人的なものだ。それを公にすることじたい、危ない世界に入っていく。共感は出来ない。それをしゃべって悦に入ることは間違った道に入る。それは大昔から口酸っぱくいわれてきたことだ。だがそれを戒めるものは今はない。野放し状態だ。

霊的世界とは、ばくぜんとした説明できない摩訶不思議な世界とされているが、その中には、ほんとうは単なる科学もごちゃ混ぜにされているのではないのか?母が人のお墓が見えたのも、自分の背骨がくだけたのを意識だけで直したのも、私たちにはまだ知らない科学(ひょっとしたら忘れてる)があって、その科学を単に使っただけなのかもしれない。

たとえば、ケータイ電話で地球の裏っかわの人とお話をしているのを原始人がみたら、「おわー、チョーノーリョクだあー!」って、驚くかも知れない。わたちたちにとっちゃ、あたりまえのことが。

しかしその原始人は、
「オラ、そんなもん使わんだって、お話できるど」
と、地球の裏っかわの人や、宇宙の向こうっかわの人と素手でお話しできてたかもしれないのだ。


絵:ラブロマンス

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

一つ目の人間は、目が不自由な人たちの国の王様に(差別用語使えないとそれこそ不自由・・・)。二つ目の人間は、一つ目の国の王様。んで、三つ目の人間は二つ目国の王様。ってか?
まぁ、人よりよく見えて、多くの情報持ってる人が王様になれる。っちゅうことか。
ただ、異能同士の争いがあるので、安心も出来ないやね。
お母様の能力で、得したこととかないんですか?

つくし さんのコメント...

あるある。
かあちゃんが勝手に日を決めた日に、大事なもんが送られて来た。
でも金持ちにして!とたのんでも、それだけはまだやってくれない。(本人はチョーノーリョクでやっているつもりらしいが。。。)

で、うちのかあちゃんは、王様ではない。