2009年12月5日土曜日
不安はどこから?
さっきNHKのクローズアップ現代でマイケルムーア監督のインタビューを見た。
彼はアメリカ社会の矛盾をついて次々に映画にしてきた監督だ。その彼が言うには、人々の心には不安がある。その不安は資本主義社会が作り上げたものだ。その不安を取り除くために、もうそろそろみんな立ち上がろうと。
おお、そりゃあいい考えだ。みんな立ち上がろうぜ!政府に向かって戦いを挑むんだ!
...で、どっから?
そりゃムーア監督はいいさ。映画というメディアを使って社会の矛盾をうったえることができるんだもん。でも私たちは、どこでその矛盾を訴えればいいんだ?国会議事堂の前にたって、ちょっくらメガフォンでうったえるか。
「われわれは、今不安を抱えている。その不安のもとは政府の仕組みだ。だからその政府の仕組みを変えろ!」と。
でもどうやって?
そんな方法は今までさんざん反対運動の人がやってくれている。裁判にもかけた。でも何年も何十年もそのことを繰り返しているのに、世の中はいっこうに変わらないどころか、なおのこと不安に陥っている。
ムーア監督は言う。
「メディアが不安に陥れたのだ」
そう、あなたは正しい。
しかし、だからといって、
「メディアさん、あなたが不安をあおったんだから、あやまりなさい。生き方をただしなさい」といってみたところで、生き方ただせるのか。
私の偉大なる屁理屈によると、不安はガキの頃から始まっている。
犬のうんこをつんつんしていて、親に怒られる。ヘビをなでなでしていて、母親にきぜつされる。玄関先の下駄がそろってないといって、なぐられる。
あれしちゃいけない、これしちゃいけない、ああしろ、こうしろ、こんなことしたから、こうなるんだ、もううちの子じゃありません、などなど。自由奔放に生きてみたら、親に殴られ、だんだん萎縮していく。この世は厳しい。何気なくやった行為が、とんでもない間違いを起こし、どこかで怒られるんじゃないか、なぐられるんじゃないかと不安になってくる。いつもなんとなくつきまとう不安な気持ちは、ガキのときから芽生え始めていたんじゃないか?
じゃあ、おかあさん、あなたが私に不安をあおったんだから、あやまりなさいと、いってみる。
そこでおかあさんはいう。
「あなたに不安を作ったのは、このわたしよ。ごめんなさい」と。
さあ、これで不安は解消だ〜〜〜っ!ばんざーい!
実はこの論法で母に詰め寄ったのは、この私。母はしっかり謝ってくれた。
しかし、その不安は解消はされなかったのだ。
なぜ?
つづく。。。。
絵:ミステリー「マモ•マーダース」の表紙のためのイラスト/東京創元社より来年発売予定
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2 件のコメント:
それが、「不安」なのかはともかく、人間は
ちっちゃいときから(時には、言葉も知らない程の)、何かのコンプレックス(マイナス
側の振り子)を刷り込まされ、その不全感が、何かを成し遂げよう!いやいやまだまだ
足りん!という激しい熱情のエネルギー源。
なのではないか?というのが私の勝手な
理論。もちろん、そのコンプレックスの大
きさに負けてしまえば、それまでよ。です
が。
マイナス側の振り子の振れ幅が大きければ
大きいほど大成功を収め
る可能性、が増えるのではないでしょうか。
同時に大失敗も起こる可能性も大でしょう
けど・・・。
そう、そのとおり!
そのコンプレックスが人を突き動かしている。
しかもそのおかげで、この世の道理とか法則を知るわけです。ぱぱさんの人柄のよさ、仕事にたいする情熱は、まさにそのおかげです。
ああ、ありがたや、ありがたや。
で、話はそこで終わりじゃない。
そっから今度は、その振り切った反動の方の、マイナスの側の処理の話をしようとしているのだ。
がんばって書いてみます。むずかしいけど。
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