2026年1月24日土曜日

それは言わない約束

人のロクロを使って、人の粘土で
うちのダンナが陶芸もどきを始めた。


うちのダンナはよく人に悩み事を相談される。


あの風貌が妙な説得力を感じさせるのか、

置かれた状況がそうさせるのか。


彼は最初はこうしたらいい、ああしたらいいとアドバイスをするが、

相談者はその後それをやっている節が見当たらない。

相変わらず、また同じ相談を持ちかけられるそうだ。


「それでこの間、

『お釈迦様が言った「この世は幻である」という言葉、知ってるか?と

言ってやったんだ。

すると彼らはドキッとした顔をして、後退りする。」


「この『お釈迦様が言ってた』という枕詞が大事なんだ。

でさあ、知ってんだよ。それ。

この世は幻想だって、みんなどっかで知ってんだ」


「へーえ。本当に?」と私。


「そうさ。

で、彼らは「そっ、、、それは言わない約束でしょ!?

そうじゃないとこの世界で遊べないじゃん!」と、

無言で俺に言ってくるんだ」


「マジでー?」私は大笑い。


「で、その人はどうするの?」

「その後しばらくは相談に来ない。でも忘れた頃また来る」


「その時はどうするの?」

「お釈迦さんがさあ~。。。というと、また後退りしてもう来なくなる」


それは究極のお悩み相談の回避の仕方だな。


「悩みも遊び。

悩むことも彼らにとっては遊び。」

と、ダンナはいう。



くれぐれもうちのダンナに悩み事は相談しないように。




ダンナいわく、これはそばちょこなんだそう。
高台は私が綺麗に処理してやった。
そうすると途端にゲージツ作品になる。






和紙で制作した作品のオンラインショップができました

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2026年1月17日土曜日

なーんだこれ夢やった、という夢を見る


 このところ、家が見つからなくて焦ったり、

よく覚えてないんやけど、混沌の世界や悲惨な夢を見る。

そして、あ、これ夢だった。


という夢を続けて見ている(笑)。


なーんだ。夢やんけ。

家ここにあるし。

私大丈夫やし。

でもその家、私の知らん家やし。(でもホッとしている)



実際の私は起きてきたけど、

その起きてきたという夢をまだ見ているのかもしれない。

今、パソコンに文字を打っている夢を見ているのだ。


と言うクルンクルンと回ってどこにも収まらないところにいる。


それがなんか面白い。




昨日も、なんとも解決のしようがないことがあった。

一難去ってまた一難。

ほっとくことにした。


世の中は、なんとも解決しようもないことばかりだ。

こうやったら解決すると思うその解決方も、どうもすっきりしない。

どっかにしわ寄せがくる。

そのしわ寄せを別の方法でしわ伸ばしをする。

するとまたそのしわ伸ばしのせいで別なところに問題が発生して。。。。


この世界に完璧な解決法はない。


まるで夢の中のわちゃわちゃと同じじゃないか。

一見秩序立っているかのように装うが(ここが味噌)、ほころびが見つかる。


で、「「なんか変だ。。。これひょっとして夢なんじゃね?」

と思い始めるところに出口がある。



朝、ダンナが、

「この世界は無意味だって知ったら、俺は自由になれる!」

と豪語しながら起きてきた。


コースのワークブックに

「この部屋の中に見えているものには、何の意味もない」

と一発目から容赦ない言葉が出てくる。


この世界は無意味だと言われたら、人は普通「チッ」って思う。


こうなってくれたら幸せと思う。

それはこの世界に意味を感じている。

この世界を価値としている。

だから必死で解決方法を探るのだ。

でもうまくいかない。


うまくいかないのはひょっとしたらギフトなのかもしれない。

そこ探っても何も出てこないよって。


自我はささやく。

「探せよ。されど見つけることなかれ。ひっひっひ」


聖霊はいう。

「見えているものを探しても真理は見つからないよ」




そうなのだ。

無意味であることを知る。


それは自由になる!


でもそう簡単には

「はい。そうですか。では無意味ということで」とはならない。


でも小さな矛盾から気がついていくと

「あれ?」って思うことたくさんあるに違いない。


そしてこれは知っておくべきだ、こうあるべきだと言われていることを

「知らなくていいのかも。。。?」

と思ったりした時のちょっとした開放感。(ここも味噌)


そんなものの積み重ねが、

だんだんとこの世界を


「ほんまにこれあるんかいな。。。?」


と、引いて見れるようになってくるのかもね。








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2026年1月14日水曜日

つくし作品展が山籟さんで始まります

 


明日から、ジビエレストランの山籟(さんらい)さんで、

展覧会を開かせていただきます。


今回は絵の作品だけでなく、

昨年の10月、高尾駒木野庭園での展覧会の折に出させてもらった作品集「TSUKUSHI’S WORLD」と、

絵本3冊「ロードムービー」「センチメンタルジャーニー」「鈴木さんの場合」、

私が制作した陶器、およびオリジナルデザインの手ぬぐいを展示販売いたします。

盛りだくさんのつくしズワールドを見にきてやってください。


ここはレストランなので、ワンオーダーをお願いします。

でもオススメなのは、ランチセット!

メインはもちろん美味しいですが、凝った前菜と手作りのフォカッチャ最高です。



つくし作品展 in 山籟(さんらい)


2026年1月15日(木)    2月2日(月)


〒193-0841

東京都八王子市裏高尾町789-5

tel: 042-673-7421

営業時間11:00~15:00

定休日 火曜、水曜




カメラを向けてもなかなかこっちを向いてくれない山籟さん(笑)


「つくしさん、、、うちでやってもらえませんか、、、?」

恐る恐るに聞いてくる山籟さんの突然のオファーにびっくりした私でした。


でもすぐに、この空間に置かせてもらうなんて、

なんて素敵なんだろうと思いました。

「器も、、置いていい?」

「もちろんです!」

温かいお言葉に甘えてすぐに話は決まりました。

そして前から作ってみたかった手ぬぐいも出してもらえることに。

手ぬぐいはここでしか販売できないかもしれないので、

気になる方は是非お越しください。




窓に飾られた私の器


お店の隅にも私のコーナーが

まるで今までもそこにあったかのように


気がつくと、絵も、器も、手ぬぐいも、
全部この裏高尾が題材になっていました。

散歩の途中で見かけた葉っぱ、切り株、森の空気、匂い、光。

その出会いの喜びを和紙で、絵付けで、デザインで、表現していました。


それは私にとってとても自然なこと。

どうしようもなくここからでこその、

私から溢れてくるもので埋め尽くされています。


出来上がった絵を森にそっと見せます。

「こんなに素敵にできました。ありがとうございます」と。

すると木々たちが微笑んでくれているのがわかります。

だって心が喜びで膨れ上がるんですから。

喜びの連鎖がそこで広がっていきます。


そんな話をこの間香港さんにしました。

すると嬉しいブログを書いてくれました。

ありがとう、香港さん!


なんだか、とっても嬉しいなあ。。。









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2026年1月10日土曜日

一秒の安堵

半磁器「葉っぱ」


夜寝る前、窓を開けて外の空気に触れる。

真っ暗闇の風景を見ていたら、

ほんの一瞬、安堵に落ちた。


それは、この世界のことを一切考えてなくて、

考える必要もなかったということを完全にわかった時のとてつもない安堵だった。


恩寵。


そういうものを時々もらう。

これもまたそのギフトのひとつ。


こっちだよ。

と教えてくれる道しるべ。




私たちは、物理的なものが手に入ったことで喜ぶ。

現象が良いものを見せてくれると喜ぶ。

だから現象を変えようとする。

現象が先にあると思っているからだ。

これは結果。

原因は心。

何を信じているか。



「私は知っている」

という信念を解体していく。



ずっとフリーランスで生きてきた。

これだけ働いたらこれだけのお給料が入るという保証のようなものが一切なかったから、

「どうやったら仕事が手に入るか?」をずっと考え続けてきた。


どうやって営業するか?どうやって人に価値を見つけてもらうか?

どうやって、どうやって。。。


ところが自分が思うやり方でやっても仕事は入ってこなかった。

集中的に営業をかけても

「ああ、いいですねえ」と言われ続けるだけで一向に仕事にならない。

ところが全然思いもしないところから突然仕事が入ってくる。

まるで営業のできない私。


なんで?

これはきっと頑張って営業している私にご褒美をくれたんだろうと思うことにして、

ひたすら空振り営業を続けてきた。

苦あれば楽あり戦法、めくら営業。(枕営業ではない笑)


だんだんわかってきたことがあった。

私は仕事が入る方法やお金が入ってくる方法など、

さっぱりわからないんだと。


それだけ聞くとただのバカだ。

バカで結構。


でもそれがかえって私を自由にした。

こうやったらこうなるという風に成功していたら、人はそれを信じる。

その信じたものを手放さない。

いや、手放せないのかもしれない。

手放すのは難しいとも言える。

だが失敗することで教えてもらっていた。

「そういうことではないから」と。




コースはいう。

あなたは何も知らない。

体の仕組みとか、世界の仕組みとか、知った気になっているが、

そんなものは「無」だ。

知る価値もない。

それが無だということを知れ。





ぐるぐる頭の中が回っている時、

ふと思った。

「私、なんもわかんないんだ。。。

あれ。これって、なんか自由。。。」


世の中を知らなきゃなんない、大人として知ってて当然。

が、いきなり反転して、

知るわきゃない!知らんのがほんと!


その時の安堵感といったら!


この世界を離れて、

世界を垂直の位置から眺めていた。

無を必死で変えようとするその状況を外から見ていた。


そしてその時の心持ちが、本当のものだと確信する。


喜び。


こっちが元々の私だ。

何かを得たから喜ぶわけでもない、

何もしなくても、何も変えなくても。

わからないからこそ、喜びなのだ。


物理的に見えている世界がリアルだと思っていたが、

それよりも喜びの方がリアルになってきている。

見えないし、聴こえないし、触れもできない。

だけどこっちが本当の私。


喜びで世界を見る。

喜びがあたりに散らばっているのが見え始める。

だから喜びでものを作る。

すると喜びが人の手に渡って広がって、さらに喜びになる。

喜びの連鎖が動き出す。




変わることを求めて喜ぶのは得策じゃない。

それはこの世界をよくして喜ぼうとしているから。


現象はほおっておいたらいい。

だってそれがいいか悪いか、

なーんて私たちにはわからないのだから。









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