2008年12月30日火曜日
憧れる民族
先日、ニューヨークから友達が遊びに来た。彼女はNYに住んでかれこれ20年以上になる。その彼女いわく、
「あ〜、やっぱし日本はいいわあ〜。繊細で。それにくらべてアメリカと来たら!ニューヨーカーは原始人のようだわ!」おこたに入りながらつぶやいた。
「久しぶりに帰ってくると、合う人たびにNYから来たことを知ると、とたんに態度が変わる。『へ〜、NYですか。いいですねえ』とか、『すてきですねえ』とかいって、私自身を見るというよりも、『NY』を通してみる。それが気に入らない。でもどこから来た?っていわれたら、NYというしかない。もう、そんな目でわたしをみないで!」と。
彼女はあそこは原始人の住む世界で、日本人がおもっているような憧れるような世界ではないといいたいのだ。
日本人は憧れる民族である。
何でもかんでも憧れる。歴史を振り返れば、最初はお隣の韓国にあこがれ、次に中国に憧れる。シルクロードを経由して、今度はヨーロッパに憧れる。そして今はアメリカだ。
つい最近までは、その憧れる民族は雑誌やテレビでアメリカのすごい所をいっぱい聞かされて、「ああっ!すてき!」と恍惚感にひたってこれた。
ところがここにきてアメリカもいろいろほころびが出て来て、憧れる日本人は、どこかで「これはなんかおかしい.....」とおもいはじめた。けれどもあくまでも憧れたい民族だから、冷静によその国の事がブンセキできない。
アメリカ=大国。ニューヨーク=ステキ。と、形容詞のようにくっついてはなれない。
だからきっと今、日本人の頭の中で混乱しているに違いない。ステキなはずなのにひどい現状......?
ホントは最初っからアメリカは変わっていない。まさに弱肉強食の原始の世界。そのひどさが国内で隠しきれず、ついに外にあふれだしただけのことだ。それも世界を巻き込んで。
今回の発端のサブプライムローン問題は、内容を見れば、誰がそんなローン組むかと言いたくなるような内容。金利がいきなり上がる何年後かには破綻するのが目に見えている。貧乏人対象にしているのだ。突然ドーンと給料が上がるわけがない。アメリカの貧困層は日本の比ではないのだ。誰かが意図的にやったとしかおもえない。それを「そんなことが起こるなんて...」という事自体がおかしいのだ。テレビがいちいち騒ぎ立てる事を鵜呑みにしたはいけない。
探し求めていた青い鳥はどこにいる?グッチやエルメスの中に青い鳥はいない。
ちょうど今、一番日本らしさを感じられる季節。
じつは自分の一番身近なところに青い鳥はいるのかもしれない。
絵:『NEW YORKER』お買い上げ。いつ掲載されているのかわからない。(笑)
2008年12月24日水曜日
お初の仕事
なんか、畑のことばっかり書いてしまう..。
しょーがない、めずらしいんだもん。
ついにわが畑は、篠竹の根っこを凌駕し、葛の根っこもほぼ凌駕した。
思わずみんなでばんざーい!をする。700坪はある畑。よくぞここまでやりました。
あのうっそうとした野性の山は、真っ黒な大地が現われた畑の原型になった。江戸時代ごろの姿に戻ったにちがいない。これからイノシシよけの柵を作り、まわりの杉林も整理する。
うちのダンナは杉の枝打ちを生まれてはじめてやる。
3階ほどの高さまで枝を伝って上がり、上から枝を一本ずつ切り落としていくのだ。その枝の太さ、直径25センチ。もう枝とは言えないくらいに育ってしまっている。枝の中は芯まで出来てしまっているものだから、ものすごく固い。黙々と男らしく作業をしていたが、あとであまりの大変さに腰がぬけた。本当に昔の人はすごい、と体感したらしい。
植えられた杉の木も、山の人が誰も手入れをしなくなるとこういう姿になる。そのまま放っておいたら、雪の重みで木がバランスを崩し、そのうち倒れてくるようだ。その下に畑があったら、えらいこっちゃ。
男衆が杉の手入れをしている間、私はユンボでひっくり返ってでこぼこになった大地をクワを使って平らにしていった。まさにお百姓さんの気分。おもわずもんぺを履いてくる。
クワに、もんぺ。に、似あい過ぎる....。
棟梁いわく、「格好、八割だからな。なんでもまず、格好からだ。わしが大工になりたての頃は、白足袋はいて、びしっと決めたぞ」とのこと。
土の中にまだ残っている葛の根っこをほじくりだしながら、この単調な作業が楽しくなってくる。
そういや、生まれてはじめて『働く』ことをしたのは、幼稚園のときだったなあ。
ものすごい単調な仕事だった。お茶の葉っぱに紛れ込んでいる草を取り除く作業。たったそれだけのことが、ことのほか楽しかった。でもしたたかな私は、密かにもう一つの楽しみを待っていた。それはお茶の時間。いつもイチゴ味のシャーベット氷を2、3個もらっていたのだ。あの単調な仕事の楽しさは単にシャーベットのせいだったのか?ま、子供とはそういうもんだ。(なんだそりゃ)
畑の端っこに、「まだいけるかもしれない」と、きぬさやえんどうと、ほうれん草と、時なし大根の種を植えた。ここの畑の場所は、案外暖かいのだ。これからどうなるか楽しみ。
絵:coopけんぽ表紙『焚き火』
2008年12月18日木曜日
ばばあちゃんの手
私は人の手をみるのが好きだ。
手の形は、その人の顔なり体つきから受ける印象をくつがえしてくれるような要素を持っている。
ごっついお顔の人がすごく繊細な手をしていたり、とっても美人な女の人が、ごっつい手をしていたりする。
そのギャップをみるのが楽しい。「この人の内面はどんなだろう?」って。
私はからだ中コンプレックスでいっぱいだが、手の形は気にいっている。どんなかというと、まさに職人の手であーる。女らしさのかけらもない手である。高校の同級生に「つくしのおやゆびの爪、弁当箱みたいだ」と言われた(笑)。まさに言い得て妙である。私の親指の爪は、昔懐かしいアルミの弁当箱のようだ。縦長ではなく、横長。こんな爪にネイルなぞした日にゃ、お正月の重箱のようになってしまう。松竹梅の蒔絵でも描くか。
でもそこがいいのだ。まったくシャープで無駄のない形。ときどき、ほれぼれと自分の手を眺める。ひとりでぼそっとつぶやく。
「かっ...かっこいい...」
飾るためではなく、まさに使うためにある手なのだ。
使うための手と言えば、この世でダントツに好きな手があった。
それは母がたの祖母『ばばあちゃん』の手。
彼女は高知の長浜の大きなお屋敷に嫁いだ。360度見渡す限り、自分の土地という大地主の嫁。浜まで他人の土地に足を踏み入れることもなく行けた。
そこで彼女はものすごく働いた。彼女の指は一本だけ途中で切れていて、その先端が大きく膨らんでいた。人はそんな手を見ると、みにくく思うかもしれない。でもその特殊な形の指が大好きだった。いつでもその指を眺めていた。その手はなんでもする。その手は私に美味しいご飯を作ってくれる。その手は畑を耕し、庭にきれいな花を咲かせる。赤い毛糸もパンツも編んでくれた。大好きなわらび餅もその手で作ってくれた。新聞紙を三角に折って、そのくぼみの中にきな粉をまぶしたわらび餅を入れてもらうのだ。
夜中は夜中で、私はまっ暗くて恐ろしいお屋敷の便所に行けず、前の庭で「シーッ」と言いながら私を抱えておしっこをさせてくれた。
その大きくふくれた指は、機械の中にあやまって指を入れてしまったことでなってしまった。ちょっぴりさびしそうに私に教えてくれたことを覚えている。
おじいちゃんは、村人たちといっしょに戦争に行ったが、彼だけ帰ってこなかった。それからばばあちゃんは、少しづつ土地を切り売りしながら生計を立てた。私が生まれた頃には、屋敷以外はすべて他人の土地になっていた。
今ごろきっと天国で、おじいちゃんと大好きな蘭の花を育てていることだろう。おじいちゃんの亡くなったときと同じ年に若返って。
わが畑のリーダー、棟梁の手も左手が変わった形をしている。やはり機械にやられた。病院に行くと手首から切断するしかないと言われた。その時、彼は大工の弟子入りしたばかり。ここで片手をなくしたら、親に申し訳がつかないと思った。病院の待合室で、ふと他の患者さんが洩らした言葉を、彼は聞き逃さなかった。「温泉なら....」
棟梁はその足で湯河原にある湯治場に行き、一ヶ月こもってケガを直したのだ。
一見、不器用そうに見えるその手はあらゆる仕事をこなして来た。東京タワーの下地も作った。神社も作った。何千軒も家を建てた。その手はなんでもする。ちょいちょいってな感じで、なにげなく、すごいことをやる。畑になかった道もあらよっと一人で作ってしまった。これからその手で何をやってくれるのか。
余談だけど、東京タワーの土台は、地上に出ているのと同じ高さ分、深く掘られて土台が作られているんだそうな。震災があっても、東京タワーだけは立ってるんじゃないかな(笑)。あ、ここ東京だってわかるように。
まったくニンゲンってなんてすごいんだろう。
絵:ハーバードビジネスレビュー掲載
2008年12月16日火曜日
一瞬の無心
畑の仕事をしてると、何気ないことに感動させられる。
そりゃ、はたからみると、なんてことないんだけど。
高い杉の木全体に絡まった葛のツルを引っぱろうとしたときのこと。頑固なツルは杉の枝という枝に絡み付いて、引っぱっても引っぱってもてこでも動かない。
そこで棟梁はみんなを集めた。
「いいか、せーので一気に引っぱるんだぞ。せーの、ふんっ!」
大人五人と子供一人でせーので引っぱった。
ところがみんなそれぞれのペースで引っぱるもんだから、タイミングが合わず、うんともすんとも動かない。
何度か繰り返すうちに、タイミングも、引っぱる力の方向も、カラダがだんだんわかりはじめる。
少しずつ葛が杉の木からはずれ始めた。みんなの気持ちは一気に盛り上がる。
「せーのっ!」「せーのっ、ふんっ!」最後のひと力でズルズルズル〜ッと葛がはずれた。
そのあとのみんなの歓声ったらなかった。大の大人がみんなでおおはしゃぎ。大自然と綱引きしちゃった。
ある時、一人で草の根っ子が網の間に複雑にからみついたのを引っぱっていたが、どんなに馬鹿力出しても取れない。例の葛の綱引きを思い出して、「ねえ、あれやろ」と友達を引っぱって来た。
二人で息を合わせる。
「せーの、ふんっ!」ずるずるずる〜っ。一瞬で根っこが地面からはずれた。
これは単に、その友達に馬鹿力があるのか?
試しにもう一人の友達ともやってみる。やっぱりいとも簡単にはずれる。
おかしい。この二人にかぎってそんなに馬鹿力があるとは思えない。だって、はたで見ていると、二人とも一人でウンウンやっているもの。
ここになんか秘密がありそーな気がする。
二人で息を合わせた瞬間、なにかがおこっている。その引っぱった瞬間にはほとんど力を出した、という感覚がないのだ。
無心になる?
これが無心になるってこと?
引っぱった瞬間は、取ってやろうとか、引き抜いてやろうという欲の意識はなかった。ただ、いっしょに息を合わせることが楽しかった。一秒にもならない一瞬、二人の心とカラダが同じ動きをするのだ。その時、何かが働く......。
冒頭の葛のときもそうだった。最初は気持ちがバラバラ。引っぱる方向も、タイミングもまるで合っていなかった。けれども何度かやるうちに、だんだん息が合ってくる。ひょっとしたら、そのとき6人の力以上のものが出るのではないだろうか。
火事場の馬鹿力っていうのがある。おばあさんがタンス担いで家を飛び出した話とか。
あれは、「あたしゃ、こんな重たいもん、持てるわけないだろ」と思ったら、担げなかったに違いない。
でもおばあさんは、必死だった。ご先祖様から受け継いだ大事なタンスだったのかもしれない。必死が欲を越えた時、無限の力が発揮されるのかも。そして、その必死は無心の入り口なのかもしれない。
きっと、「二人で引っぱったって、抜けないわ」と思っていたら、抜けなかっただろう。
葛も「ああ、ムリだ」と思ったら、取れなかっただろう。
うちの母の背骨もそうだ。「背骨なんて集まるわけないでしょ」と思っていたら、集まらなかったはずだ。でも母はただ無心にイメージした(無心にイメージするって変か)。
911のときに第2ビルにいた私の友達もそうなのかもしれない。あの時、彼女の心に恐怖が走ったら階段を選んでいたかもしれない。だが彼女はあの時無心だった...。
人の心って何なんだろう。
なんだか、心がいろんなことをさえぎっている気さえする。心がいらぬ世話を焼いて、うまくいくことをさえぎっている気さえする。
ムリ。出来ないに決まっている。常識ではこうでしょ。なにやってんのよ、あなた!
まるで口うるさいおせっかいなおばさん。
たぶん人はみんな、こんな言葉が頭の中で飛び交っているのだ。だから仏教で教えるのは『無心になれ』なのだろう。
じつは最近私は、自分の中に住んでいる口うるさいおばさんを見つけてしまって、うんざりしている最中だ。
ああ、あの一瞬の無心がずーっと続いてくれたなら、私はきっとスーパーマンになってしまうに違いない。
棟梁は、めんどくさい人物だが、なぜか何かを知っている。
畑や山の作業をしながら、それを実体験で何気なく教えてくれる、不思議な人物なのだ。
本人は、まったく自覚していないのだけれど(笑)。
絵:coopけんぽ表紙『三年寝太郎』
2008年12月14日日曜日
ダークナイト
映画通の友達が『絶対おもしろいから!」というので、『ダークナイト』という映画を見た。単純な私は、暗い夜?まあ、地味なタイトルね。と思っていたが、ホントは『闇の騎士』だそうで(笑)。
アクションヒーローものにありがちな、勧善懲悪ではなく、アメリカ映画にしてはこちょっとこむずかしい深い内容だった。話の結末は、バットマンは光の騎士から闇の騎士に変わっただけで、言い方が変わっただけで、「あいかわらずヒーローはヒーローじゃん!」なのだが、悪のジョーカーと善のバットマンとのかかわり方がおもしろい。
ジョーカーは言う。『おまえを殺しちゃったらオモチャをなくしちゃうから、おもしろくない。だから殺さない』つまり彼は、バットマンと戦うことを楽しんでいるのだ。
彼は善人であるはずの人々にわなをしかける。そしてその善人がだんだん悪の意識に変わっていく。そうやって、ニンゲンは悪人にもなりえることを証明していく。そういう核心的なことをもりこんでいく映画はそうなかった気がする。なかなかやるじゃん。
私は小学校の時、人が残酷な意識に変わる瞬間を見たことがある。
その子はクラスで一番頭のいい子で、だれからも好かれる明るい子だった。口の両脇にくっきりとえくぼを作って笑う、美しい女の子。だが、その子は反面、クラスの子をあやつる権力も持っていた。
ある時、私は何かやっていて、何かの拍子に私の肘が彼女の顔に当たってしまった。意図的にやったことではなかったし、そんなに痛くなるほど当てた記憶もない。しかし彼女のプライドを傷つけてしまったようだった。
私は学校の体育館のウラに連れて行かれた。彼女の後ろには3人の子分がついてきた。
「私にやってくれたことを、あんたにお返しするわ」
彼女は後ろの子分を呼んで来て、
「私の変わりに、あなたがつくしをやってちょうだい」といった。子分が私の顔面を殴ろうとすると、彼女は『きゃあ怖い!』と言って、手で顔をおおい、べつの子分の後ろに隠れた。そして私は一発、顔面にお見舞いされる。
事が終わると、彼女は子分のうしろから顔を出して、こう言った。
「あら?もう終わっちゃったの?私、見ていなかったから、もう一回やって」
その言葉を聞いた瞬間、ニンゲンというものはなんて残酷なんだ、と思った。
私は小さい頃から、学校でいじめられ、殴られ、蹴られ、追いかけられ、家でもしつけとして、殴られ続けて来た。だから、人というものはそんなものかと思っていた。肉体的な痛みはその瞬間で終わる。一瞬意識を飛ばせばいいだけのことだ。そうやって切り抜けて来たが、このときほどニンゲンの局面を見た気がしたことはなかった。
彼女は小学生である。いつもコロコロ笑う美しい女の子だ。その子が自分の手を痛めず、他人を使い、そして自分で見ないようにしていたのに、それを見ていなかったと言って、もう一回殴らせる。
その心の動きにぞっとしたのだ。単純に殴る蹴るということの怖さよりも、その心の恐ろしさを感じてしまい、今だにはっきりと覚えている。しかしこれは彼女だけのことではない。私にもその残酷さはあるのだ。そしてだれにでも。
そこにニンゲンの底知れない恐ろしさとおもしろさを感じる。私は小学校の時その経験をして、ニンゲンの悪と善の両方はいつでもそなわっているものだと直感した。
だからそこを描いた『ダークナイト』は、アメリカ映画をちょっと越えてしまった気がする。
そしてもう一つは、ジョーカーは、バットマンと対になっているということだ。映画の中で「バットマンが出て来たから、世の中に悪がはびこった」というようなセリフがある。理屈ではあり得ないことだ。だがその言葉にはすごい説得力を感じる。『正義』というものがあると『悪』もあらわれるのだ。なぜなら、正義は、どこかに悪いものがない限り存在しようがない。悪なくして、正義はありえないのだ。
ニューヨークに住んでいると、日常の中に「悪だ、敵だ」というキーワードがはびこっているのを感じた。大の大人の大統領でさえ『EVIL(邪悪な)』と、いいまくる。ニンゲンというものは、どこかに敵を作ることによって、結束を固めさせられるようだ。911は、まさにそれを実体験で証明している。あのあとみんながその言葉に賛同して、結局戦争に持ち込んだのだから。
結局ジョーカーは死なない。(実際の役者は死んでしまったが)
心に正義と言うバットマンが住む限り、もう一人のジョーカーを育ててしまうのだ。
正義の意識におだやかさはあるのだろうか。正義を貫こうとすると悪を制する気持ちでいっぱいになるのではないか。そこには、裁きや評価や批判がつきまとう。正しいや間違っているという心でいっぱいになりはしないだろうか。その二元論的な物差しで、世の中や他人を測ろうとしないだろうか。
ニュースで見かける犯罪者は、自分以外の赤の他人のことなのだろうか。彼らは行動で裁きを表したが、私たちは、心の中で人を社会を裁く。あのブラウン管の中に登場する人物は、自分自身の中にも存在するかもしれないということを考えたことはないだろうか。
最近のテレビはとくに『悪者を憎め』といわんばかりにあおってくる。感情たっぷりのニュースのナレーションを聞く度にうんざりするほどだ。しかしそういうものを見て『そうだ、そうだ、あいつが悪い」と同調していていいのだろうか。それこそ、心にバットマンを作ってしまう。自分がバットマンになるのはさぞかし気持ちがいいに違いないもの。
でもジョーカーは、もう一人のバットマンなのだ。
これからの世の中にバットマンはもういらないのではないだろうか。
私はそこにニンゲンがニンゲンであるための答えはないような気がする。
絵:NHKドイツ語テキスト表紙
2008年12月12日金曜日
ふじだなコーヒーのバンダナ
2008年12月7日日曜日
偉大な畑
例によって土日は畑。
痛めた肩をかばうのも忘れてクワをふるう。またやらかしてしまいそうだ...。
ユンボで竹の根っこと、葛の根っこを掘り出す。それをすかさず横からクワでかきあげる。ユンボの扱いがまるで自分の手のように動かせる棟梁の操縦のよこでやっていると、ひっくりかえす、かきだす、ひっくりかえす、かきだすのテンポがものすごく速い。根っこの深い葛は途中で切らないといけないので、かまとクワとをとっかえひっかえで、もう動きがしっちゃかめっちゃかになってくる。
さすがに疲れた。
こんなことを昔の人は全部手でやっていたかと思うと、頭が下がる。
作業の途中でふとお墓に目が行く。ぐちゃぐちゃに倒れていたお墓はみんなで立て直した。10個近い古いお墓がずらっと並んでこっちを見ている。ちょっとした時代劇に出てきそうな雰囲気だ。
ここの畑にはまったくがれきがない。どんなに深く掘っても石が出てこない。どこまで行っても、ほくほくとした真っ黒い土だ。昔の人が、徹底的にがれきをこして、とりのぞいてきたようだ。ここはこの墓の持ち主か子孫たちが大事に作って来た畑だったのかもしれない。
軟弱な私たちの作業を見て、笑っているような気さえする。
民俗学者の宮本常一さんが言っていた。日本の山は、どんな所へ分け入っても、人の手が入っていない所はない。
昔の人々の名も知れぬ偉大な歴史を、畑を耕すという行為を通して今、教えてもらっている気がする。
いつのまにかお墓の前に、水仙が可憐な花をたくさんつけていた。
絵:『T&R』イラスト
2008年12月5日金曜日
母の背骨その3
私は、母ができるんだから、骨というものは集まって出来上がるものだと思っていた。でもどうも一般常識ではありえないらしいのだ。
その看護士さんに言わせると、一般的には彼女のようなケースは、全身麻痺で寝たきり...(!)になるしか道はないというのだ。彼女は一体何をしたのだ?
それからよくよくテレビを見ていると、腰椎がずれただけで、下半身が動かなくなった人とか、首の骨の一がチョットずれただけで、全身が麻痺して動けなくなった人の話とか、ごろごろとでてくる。背骨はいろんな神経や内臓とくっついているから、一個でも損傷があると、とてつもなくからだ中に支障を来すらしい。調べりゃ調べるほど、えらい複雑な仕組みになっていた。それが木っ端みじんに吹っ飛んでいたのだ。ずれる、とかのレベルではない。
彼女は体が弱く、私の小さい時からの記憶は、いつもふとんで寝ていたか、げろを吐いていた。
頭は四六時中割れるように痛く、ノーシン、バッファリン、セデスと頭痛薬を浴びるように飲んでいた。そんな彼女が薬漬けの日々を止めたのは、60代に入ってから。植物の力を借りるようになった。昔の本をひもといて、ありとあらゆる民間療法を勉強した。それからというもの、彼女の体は調子がいい。
今回も昼間はタマネギ、ショウガ、ケール、ニンジン、ゆずやはちみつなどを駆使して、カラダの調整を計っていたのだ。ドクダミのお風呂に入り、そして夜はちょこっと呪文をとなえる。
でもそんなことだけなら、誰でも出来るはずだ。一体何が違うのだ?
私はあの看護士さんのコトバに引っかかる。
母が骨は治るのかと聞いた時、「骨は、ねえ〜....」とだけ言った。
あの先には、「なかなか治らんきねえ〜..」と続いていたはずだ。
ところがその時、なぜかその先は言わなかった。
もし、なかなか治らんきねえ〜と言うコトバを母が聞いていたなら、母の心に骨はなかなか治らない、とインプットされたはずだ。
でもその『知識』は、彼女の耳には入らなかった。だから、勝手に骨は治るもんだと思い込んでいたのだ。
信じるものは救われる...ってこういうことをいうのか?
知識とは武器になるものでもあるが、同時にそれを持つ事によって、自然に治ろうとするモノをさえぎってしまうこともあるんではないだろうか。
最近はテレビでよく「ほんとは怖い.....」とか「これが危ない...」とかいって、肩こり一つでも死に至る病いの印だとかいっている。早く見つけないとたいへんなことになる!とうったえる。そのうちくしゃみ一つでウイルス感染を疑うかもしれない。それを聞いた視聴者はどう思うか。当然、体のあらゆる部分を心配するに違いない。肩こり一つで死ぬかもしれないのだ。きっと不安でいっぱいになるにちがいない。だって、誰でも肩こりやくしゃみの一つくらいあるはずだもの。
知識、知識と言うが、こんな知識は単に不安をあおるだけの単なる情報ではないのか。これは一種の洗脳なのでは?しかもテレビは『早く医者に行け、早く、早く!』という。ところが今は医者不足。ニュースではたらい回しのケースが叫ばれる。そんなものを毎日見させられ、右往左往させられたら、『ああ、この世はひどい!』という気分になるにきまっている。しかも番組の間には、健康保険に入れと言うコマーシャルが目白押し。矛盾だらけじゃないか!
私はこんなテレビを見てだんだん腹が立ってくる。
昔は「テレビを見たらアホになる!」と、母に言われてしぶしぶテレビを消したのに、いつのまにか、「テレビが言うことなら本当だ」ということになってきている。いつからそうなってしまったのだ?
しかもテレビを作っている人が
「おら、みんながテレビを信じていることに信じられなかった。あんなにいい加減なものを...」と言っていたの知っている。
もう一回テレビを疑ってみた方がいい。
は...話がまた飛んじゃった...。
ニンゲンのからだってそんなに軟弱な仕組みなのだろうか。そんな軟弱な仕組みの人類が、こんなに長く地球に繁栄できただろうか。先日見つけた江戸時代のお墓には、『永眠70歳』と彫ってあった。ちゃんと長生きをしていらっしゃったのだ。昔は病院なんてモノはなかったというのに。
昔の人は自然に治る自分のカラダの力を知っていたのではないだろうか。
まず、自分のカラダが自然に治っていくという叡智を知ることなんじゃないだろうか。背骨一本一本にくっついた神経や内臓の細胞一個一個が、それぞれの意志をもって、私たちの及び知らない所で活躍してくれている。臓器の一個一個が私たちの中でものすごいバランスでもって動いてくれているのだ。
母は、その叡智をどこかで感じていた。だから心は余計なことは考えず、ただ純粋に『骨よ、集まれ、集まれ』といったのだ。だから骨は集まって来た。そこにもし『骨なんか集まるわけないじゃないの』という思いがあったなら、何一つ集まってこなかっただろう。
先日、私が全身に痛みが走ったものが一日で治ったのも、そういうもののおかげなのだと思う。
私は生姜湯をたっぷり4回飲んだ。ショウガは炎症を抑えてくれるし、ひえをとってくれる。そしてひたすら寝た。するとカラダは自然にもとの姿に戻ってくれるのだ。これを宇宙の叡智と言わずして何と言おう。それのお手伝いをしてくれるのが植物の力ではないだろうか。
もし私が病院に行っていたら、もう少し治るのに時間がかかったかもしれない。痛み止めや、筋肉弛緩剤やそのための胃薬をもらって......。
ニンゲンはただそこにいるだけで、すでに叡智のかたまりなのではないだろうか。それを母の背骨事件が見事に証明してくれているような気がする。そこにニンゲンのエゴや、不安や、恐怖や、今の時代の知識がフクザツに組み合わさると、せっかく自然に治ろうとする力をさえぎってしまうのではないだろうか。
こんな不安な時代だからこそ、自分の中にある本来の力を見つけていくことが重要なんじゃないだろうか。それにはまず、わあわあとうるさい、テレビを消すことかも(笑)。
絵:『T&R』イラスト掲載
2008年12月4日木曜日
母の背骨その2
母はいいアイディアを思いついちゃったもんである。
たしかに粉々になった骨はカラダの外には出ていない。全部彼女の中にある。別に遠くからわざわざ持ってこなくてもいいのである。材料はここにある。だったら、それを集めりゃいいだけのことだ。
素人判断とはそらおそろしいもんである。時には医者の判断の領域を越えている。
母は、夜ふとんの中でこっそりと呪文を唱えた。
「骨よ、集まれ、集まれ.....」
彼女は絵描きだから、イメージ能力はある。一個一個米つぶになった骨のかけらを集めてくる。パズルを合わせるかのように一個の腰椎を作り上げる。
一つ出来たら、また一つ....。
そうやって、下から順番に骨が集まり、背骨になっていくイメージをしたのだ。
「べつに長いことやったわけじゃない。せいぜい5分ぐらいよ。ほんの軽〜い気持ちでやったのよ」と、彼女は後々その時のことを話してくれた。
毎晩5分間だけやって一週間が過ぎた。
コルセットも出来て、また病院でレントゲンを撮る。先生の手が震えた。
彼女の背骨はずらっと並んで写っていた。
「うん。まっすぐきれいに並んじゅう!えい!(いい、の意)」先生は大きな声で言った。
「けど、今度は中身詰めなきゃね」
背骨はまっすぐ見事に出来上がっていたが、よく見ると、骨は輪郭線だけであった。つまり中身がまだ透けているのだ。正常な骨はレントゲンに真っ白く写っている。しかし、母が集めた骨は、まだアウトラインだけが白く浮き上がっているだけで、中が透明になっていた。先生はそれを見て、母に次の課題を出したのだ。
今度は中身を詰めろ、と。
母はコルセットをもらって、また家に戻った。薬も同じものしかもらえない。
その晩から母は呪文を変更した。
「中身よ、詰まれ、詰まれ.....」
一週間が過ぎた。
今度はしっかりと中身の詰まった背骨が出来上がっていた。
レントゲン写真を見ながら先生は、
「えい!」といった。
母はこの次点ではじめて私に電話をくれたのだ。こんなことがあったのよ、と。
気丈な母は、私に迷惑はかけたくなかった。また来てもらっても逆に私に気を使う。その余分な労力も考えた。いざとなったら、姉妹も近くにいるのだし。
母は、事の次第をコロコロと笑いながら話してくれる。私はなんちゅう母親だと思いながらも、骨はそんなふうに、イメージすればくっつくもんか、とも思っていた。
「でもねえ、つくし。なんか背骨どうしがゴロゴロあたる音がするのよ」と母。
私は前に友達が椎間板ヘルニアで苦しんでいたのを思い出して、
「あ、確か骨と骨の間に、軟骨みたいなもんがあったんじゃない?あれがないと骨同士が当たるんじゃない?」
「ああ、そうか!そんなもんがあったか。ほんなら、今晩からそれイメージする」
こんな会話を医者が聞いたら卒倒するかもしれない。素人とはそらおそろしいもんである。
骨がくだけて3週間後、母はリハビリが始まった。
そして1ヶ月半で完治した。
骨密度を計ると、骨がくだける前より、治ったあとの方が密度は増していた。72才にして、40才代の骨密度になっていた。
後日この話をニューヨークに住む医者の私の友人にメールする。
すると彼女は「It's impossible!(不可能!)」とひとこと言って、二度とその話を私にしてくれるなと拒絶された。どうも彼女の長い医者としてのキャリアの中に、あってはいけないケースのようだ。
私はなんかへんなのかな?とふと不安に思い、近所の看護士さんにも確認する。
すると彼女は、
「ありえな〜〜〜〜〜い〜〜〜〜」といった。
つづく...
絵:『T&R』イラスト掲載
2008年12月3日水曜日
母の背骨
日頃、コンピューターのマウスぐらいしか持ったことのない超軟弱な私。
このところの休みの日には畑に通う。先日生まれてはじめて『クワ』というものを手にし、
うれしさのあまり、調子に乗ってふりまわした。
昨日、営業に出かけようと準備をするうちに、カラダがおかしなことになって来た。
右肩の後ろの方が痛い。その痛さはだんだんひどくなる。そのうち息をするのも痛くなった。
そうして立っているのも座っているのにも激痛が。
「ぎえ〜」「いで〜〜〜」「うわ〜ん、おかーちゃ〜ん」
人は痛いと声が出るものらしい。
ダンナにふとんを敷いてもらい、営業に行く格好のまま、痛みで大声をだしながら、ふとんにもぐる。
痛さで泣いたのは、何十年ぶりだろう。
泣く泣く、営業先にドタキャンの電話を入れる。本当に申し訳ない。
あのあと一日中爆睡してしまった。よっぽど疲れていたようだ。
こんなことがあると、母の背骨事件のことを思い出す。
彼女の苦悩に比べたら、私の痛みのなんと軟弱なことか。
思わず書いてしまおう。
あの、フジギな事件のことを。
あれは、2年前の1月15日深夜。
母は寝床から立ち上がってトイレにいこうとした。
寝ぼけていたせいで、カラダはバランスを崩す。よろっとしたところを体制を戻そうとして、まっすぐお尻から床に落ちた。重たい全体重が尾てい骨にかかる。ものすごい激痛がからだ中を巡った。
「ギッ、ギヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
真夜中に雄叫びがアパート中にひびきわたった。
「あの痛さは、生まれてこの方一度も味わったことがない」と彼女。
みぞおちが苦しくて息が出来なくなった。それで座布団を腰の下に引いて、はじめて息が出来るようになったと言う。痛みが地の底から這い上がってくるかのようだったそうだ。
不幸なことに次の日は行きつけの病院がお休みだった。彼女はその日一日痛みをガマンして、2日後に病院に行った。
レントゲンを見ると、腰椎の一番下から上に向って11番目までが消えていた。先生は3枚撮った。3枚とも同じ結果だった。
「ほら、これが下から5つ目の第1腰椎。それだけ残してあとは全部粉々になったんよ」
先生はレントゲン写真を指差してそう説明した。
首から下に向って半分までは背骨があった。でもそこから下はなかった。まん中あたりに一個だけ腰椎がのこっている。それが第1腰椎なのだろう。心細げに宙に浮いていた。
母の背骨は下半分があの晩尻餅をついた衝撃で木っ端みじんになっていた。母は72才。すでに老人だ。尻餅をついただけで、背骨は粉々になってしまうのだろうか。これが老化現象というものなのか。
彼女の背骨は、ひとつぶひとつぶが米つぶのように細かく見事に炸裂していたのだ。ゆいいつのラッキーと言えば、その無数の破片のひとつでさえ、脊髄に触れていなかったことだ。もしひとかけらでも触っていたなら、激痛で失神していたことだろう。
「先生、これ、治るが?」と、母。
「心配せいでも、あたしが治しちゃらあね!」
どこかイライラしたような口調だった。無理もない、母は、先生の母親が現役の医者だった頃からの患者さんなのだ。付き合いは長いし、母の体のことはよく知っている。
コルセットを作るために、べつの部屋に移った。横になって看護士さんに腰のサイズを測ってもらいながら、
「ねえ、骨って治るが?」と心細くなった母が聞く。
すると、看護士さんはため息をつきながら、
「骨は、ねえ〜......」といった。
母は、自分専用のコルセットができるまで、仮のものをもらい、湿布、痛み止めの薬、筋肉弛緩剤、そのための胃薬、そしてカルシウムの吸収をよくするビタミンGをもらって家に戻った。
はっきりいって、気休めの薬たちである。対処療法とは、こんなに心細いものなのか。骨を再生させるための薬などないのか。
母は痛みの中で、一人心でつぶやいた。
「あのバラバラになった骨は全部、今あたしのからだの中にあるがよね。
ほんなら、ただ集めりゃいいだけのことやないの....」
つづく.....
絵:『T&R』掲載イラスト
2008年11月28日金曜日
9.11の時
これは私の友達が経験した9.11。あれから時がすぎて、彼女から直接聞いた話もだんだん消え入りそうになる...。だからぜひ書いておきたかった。
『9.11の時』
「あんた、今テレビつけてごらんなさい」
朝、日本の母からの突然の電話。テレビをつけると、そこには映画のようなシーンが広がっていた。ツインタワーの片方のビルが燃えている。一体何が起こったのだ?ぼーっと見ていると、もう一方のビルに何かが突っ込んだ...。
9月11日2001年の、あの朝のことは忘れられない。
私はニューヨークにいた。そしてあのビルには、同じアパートに住む友人が働いていた。
彼女は第2ビルの80階あたりにいた。となりのビルが燃えているのを職場の仲間と呆然と見ていたそうだ。そのときは、まさか自分のビルにも何かが起ころうとは夢にも思わない。しかし、とりあえず全員が避難するということになった。皆がそんな軽い気持ちだったという。
彼女は最初、ランチにでも出るようなかっこうで下に降りようとした。いったん歩き始めて、ふと所持品全部を持った方がいいような気がしたので、大事な書類も上着も全部持った。
緊急の避難と言えば、エレベーターより階段である。ところが階段は人でごった返していた。すると突然エレベーターのドアが開いた。中から、こっちこっちと手招きする黒人のおじさんがいる。彼女はその手に誘われるように、エレベーターに乗り込んだ。そのエレベーターはビルのまん中あたりの階で終わる。一階まで降りるには、そこから別のエレベーターに乗り換えなければいけない。降りると、すぐ下に向うエレベーターがドアを開けて待っていた。彼女は何も考えず、そのエレベーターに乗った。
一階のロビーに降りたとたん、突然上の方でドーンという巨大な破壊音がした。冒頭の、私がテレビで見たあの瞬間である。表にでると通りは大パニックだった。上からバラバラとガラスや何かの破片が降ってくる。人とぶつかり、転んで、膝から血を流しならがら、地下鉄とバスを乗り継ぎ、我が家までやっとの思いでたどり着く。事故のあった直後は、まだ交通機関は動いていた。アパートのテレビをつけると、さっきまで働いていた二つのビルは、跡形もなく消えていた....。
一体何が生死を分けるのだろうか。
「あの時、階段を選んだ人たちは、みんないなくなってしまった...」と彼女。
あの時、なぜおじさんが手招きしたのか。あの時、なぜもう一つのエレベーターは待っていたのか。あの時、なぜ地下鉄は動いていたのか。あの時、なぜ彼女は荷物を持ったのか.。あの時、なぜ....。
すべての偶然は、単なる偶然ではないのかもしれない。今こうして無事である彼女の存在が、何かをいい現わしているような気がするのはなぜだろう。
今はその『偶然』に感謝するだけである。
2008年11月26日水曜日
ナイフがナイフを呼んでくる
NYの友達に、へんなやつがいた。仮にビルと呼ぼう。
ビルはユダヤ人のいいとこのボンボン。親の金で株をやり、ひと財産あてたこともある。でも失敗して今はすっからかん。女優や俳優の運転手をしながら、次の一手を考えている。ふがふがとうるさいブルドックを連れて、よく私たちのドッグランにやって来ていた。
そんな彼が911のあと、とつぜんこなくなった。
「ビルのやろう、怖くなって今ごろベッドの下にもぐりこんで震えてるぜ」口の悪い犬仲間が言う。
案の定そうだった。ビルは、あれから世の中のすべてが怖くなった。一歩もアパートから出られなくなり、近所に住むおかあちゃんに、毎日ピザを運ばせていることを、風の便りに聞く。
ふしぎなことに、彼はいつも犯罪に巻き込まれていた。
「夜中、地下鉄に乗っているだろ。そしたら、みんなオレのところにやって来て、ナイフを突きつけ『金を出せ』って脅すんだ」
「そんな夜中の誰も乗っていない電車になんか乗るからよ」と私。
「違うんだ。まわりに人がいっぱいいても、なぜかおれんところにやってくる」
さっと腰から大きなナイフをとりだす。
「だからオレはこれで身を守るのさ」
私はその時、ナイフがナイフを呼んでいるのではないか?とおもった。
「あんたがそんなもの持ってるから、引き寄せられるように来るんじゃないの?そんなもの、捨てなさい」
「いやだ。これは高いんだから。捨てられねえ」
「じゃあ、おれが預かってやる」うちのダンナが言った。
ダンナはしばらくビルのナイフを預かってた。
刃渡り25センチくらいのりっぱなナイフ。これをいつもあいつはぶら下げているのか。カッターナイフの部類じゃねえぞ。まったくの凶器じゃねえか。簡単に人も殺せるぜ。ビルのナイフを二人で眺めがなら、このニューヨークがどんなに切迫感にあふれているのか、ビルの心を通して知るのだった。
「やっぱり返してくれ」
しばらくたってビルは言った。怖くておちおち街を歩けないというのだ。ナイフを持っているから心が落ち着くのだ。ナイフは彼の心の安定剤になっていた。
私はニューヨークの街をナイフなしでも歩ける。でもビルは丸腰で歩けない。この違いは何だ。心の平安はナイフで本当に得られるのだろうか。
いつも「脅される」と思って、ヒヤヒヤしていると、その思いは、「脅してやろう」と思っている誰かに伝達しはしないだろうか。ちょうど、ラジオのチューナーがあうと、音が聞こえるように。
「あ、あいつ、脅してほしいと思っているな」と、すぐ見つかっちゃう。で、たくさん乗っている人々の中で、彼を見つけ出す。
話が飛んじゃうけど、アメリカ人は、よく人の目線に気がつく。おもろい人だなあ〜と何となくなく眺めていると、必ずこっちを見る。おちおちニンゲン観察できない。
ウチのアパートのエレベーターが混んでいて、18階のボタンが押したくても押せないでいたとき、誰かが18階を押した。降りたのは私だけだった。あの時「あっ。18階!」って思ったのだ。そしたら、ふいに誰かの手が18階を押してくれていた。
そんなふうに、人の心や思いは、伝達されていくんじゃないだろうか。
それが宇宙の法則だったら?
いいも悪いもおかまいなし。恐怖は恐怖を呼び、笑いは笑いを呼ぶ。類は友を呼ぶっていうのも、同じ思いをしたモノたちが集まることじゃない?それは、まるで磁石のように引き合う力なんだろうね。
だからビルもナイフでもって、ナイフを引き寄せる。でもただ持っているだけじゃ、引き寄せない。ここに、「襲われる」とか「戦う」とかの恐怖の感情がのっかって、電波を発信するんだ。
で、いちゃもんをつけたい悪ガキたちが、その電波をキャッチするという寸法。
ビルは、この世は悪に満たされていると思っている。オレを襲うやつばかりがいると思っている。だから、ナイフがない事には耐えられなかったのだ。
その後、911がやって来た。
あれからビルに公園で会うことは、一度もなかった。
絵:『幕末テロ事件史』扉イラスト
2008年11月24日月曜日
敵?味方?
今日電車に乗ったら、社内は混み合っていた。
一個だけ席が空いていたが、その上には白いカバンが二つのっかっている。私はそれをどけてもらおうと、
「ここ、開いてる?」
と、そのカバンの持ち主であろうお姉ちゃんに聞いた。
おねえちゃんは、大きなグラデーションのかかったサングラス越しにこっちをむいた。ガムを噛みながら、なにもせず私をしばらく見ている。サングラスで表情はわからないが、どうも私を睨みつけている模様。
私はじっと待った。すると彼女はこれでもかというぐらいゆっくりとした動きで、大きな白いカバンを取り上げた。そうしてそれをクレーンで運ぶかのように、真横に移動させ、自分の目の前で手をいきなりはなし、カバンを落とした。ガチャン!中に入っていたものが床に当たって音を立てた。
私は一瞬ヤバイと思った。
よく見ると、彼女の座り方はふんぞり返り、キラキラ光る黒いエネメルのハイヒールのブーツの片方を、前に思いっきり投げ出している。ほら、よくその筋のお方がお座りになられるような、威嚇座りをなさっていた。
私はもう一個のカバンが異動するのも待った。お姉ちゃんはあいかわらず私を睨みつけながら、もう一つのカバンを膝の上に置いた。上に羽織ったニットのコートのすそが、まだ座席に残っている。私はそれを彼女の方に寄せながら、「ありがと」と言って座った。
人は人のとなりにくると、その人の何気ない雰囲気やオーラのようなものを感じる。彼女の横に座った時、それはすぐにやって来た。まるで赤ちゃんのような雰囲気。
小さな甘えるようなカワイイ高い声で、となりの彼氏としゃべっている。彼氏もまた小さな声でしゃべる。その二人のソフトなトーンに何とも言えないスイートな感じがあった。
「あのねえ、あたしねむけがさめちゃった」
そりゃそーだろー。おばさんがあなたを働かせたもんねえ...。
それにしてもさっきの彼女のトーンとはまるで違うではないか。月とスッポン、悪魔と天使。これが同じニンゲンか?ほんの5秒前と全然違うではないか。今、彼氏と話す彼女は、ホントにいい子だった。
彼らの意識の中には、敵と味方がいるのではないだろうか。
味方は自分を守ってくれる彼氏。でも外のニンゲンや社会は、全部敵。時には身内も敵になるのだろう。そうやって結界やバリヤーをはって生きている。
日本に帰って来て、テレビで最近よく聞くセリフで気になるものが。
「信じているから」
「仲間だから」
「味方だから」
いつの間にこんな言葉がはびこったのだろう。私がいた96年まではそんなセリフはしょっちゅう聞かれるものではなかった。
ニューヨークにいた頃、じつはこの言葉をよく聞いた。
「I can believe you.(あんたを信じられる)」
なんでわざわざそんなことを言うのだ?と聞くと、だって、君ら二人は信じられるゆいいつの友達だといった。
前の日本では、人に対して「君を信じられるから」なんて言ったこともなければ、言われたこともない。だって、信じるもなにも、友達なら信用しててあたりまえだったのだもの。わざわざいうなんて、どっかおかしーんじゃねえの?という感覚だった。
だから「アメリカ人って、おっかしー」って、一笑に付していた。
ところが帰ってくると、面と向ってマジ顔でそんな言葉を言われる。私はきょとんとする。ニッポンがアメリカ化していた。
つまり、この世には信じられるものがない、という前提なのだ。信じられるものや人がいないから、信じられる人を求める。だから私たち二人は、信じられる貴重な存在だと。
そんなことを言われて「はいそうですか」と喜べる私ではない。褒められているとは思えない。なぜならその言葉を発する彼らの背後に、例えようのないさびしさを感じるからだ。
前に書いたアメリカの「平等」や「自由」もそうだ。そんなものはないに等しいから平等だ、自由だと叫ぶ。
だから「信じられる」や「仲間」や「味方」は、すでに見失っているからあえて叫ぶコトバなのだ。
ある島では、しあわせというコトバがないと言う。それは、すでにしあわせだからだ。それをあえて意識する必要もないのだ。
冒頭のかわいいおねえちゃんは、彼氏以外には、全身でトゲを出しているのだろう。だがその彼氏だって、いつか、信じられない敵になる日が来るかもしれない。それはたぶん、なんてことのない出来事で。その時彼女はいったいどうなるのだろう。自分以外は、全員敵になるのだ。
ガチャン!とカバンを落とした時、私の顔や態度が彼女を責めるようなモノに変わっていたら、彼女は敵をここにまた一人見つけ出しただろう。あるいは(たぶん無意識に)それを狙っていたのかもしれない。あれは彼女の自己表現だ。こんな悪いことをしている私を、おばさんはどうする?と挑発して来た。
しかし私は顔色一つ変えなかった。彼女への非難めいた気持ちは何もなかった。ただ待った。そして「ありがと」といった。
彼女にとって私は、敵でも味方でもなかった。そんな人もこの世にはいるのだ。世の中すべての人が敵じゃない。それを見た彼女はちゃんと応対をした。そしていつもの温かいふわふわした心で彼氏としゃべり始めたのだ。そんなシーンが彼女のまわりで少しずつ増えてくると、彼女の態度も変わってくのだろうな。
ケバい格好で態度はあばずれ風でも、心の中はいたって素直でいい子たち。ただただ、赤ちゃんのようにこの世を怖がっているだけなのだな。今日、そんなことを知って、やっぱりそうかーと、うれしかった。
電車を出る時、彼女が床に落としたカバンを持って歩く彼氏に、コロコロとくっついていく彼女がかわいかったなあ。
今は人の心が異常に過敏になっているのではないだろうか。傷つけられた、傷ついたといつも思っている。そこには、自分を絶対傷つけない味方が必要になってくる。仲間が必要になってくる。傷つけない相手は「信じられる」のだ。でもそんな条件付きの関係は、なんでもないことで破綻しないだろうか。
その「信じているから」の「から」に何か引っかかるものがあるのは私だけだろうか。
信じているなら、「信じている」だけでいいではないか。でも最近のことばには、よく「から」がついてくる。
そこには、ことばにしないもう一つのコトバが隠されている気がする。
「信じているから、(オレを裏切るなよ)」
「仲間だから、(みんなを裏切るなよ)」
「味方だから、(あたしを傷つけないでね)」
ほとんど脅迫だーっ!
言っている人が、言われている人にむかって、おまえ裏切るんじゃねえぞ、傷つけんじゃねえぞと、確認をとられているような、そして脅しをかけられているような、妙な圧力がある。
これこそ、条件付きの仲間であり、味方なのではないのか?それってホントの仲間?
この世は信じられるとか、信じられないとか、敵だとか、味方だとかという単純なものなんだろうか?
二元論的な物差しで計りきれるものなんだろうか。そこにどこかムリがあるから、しだいにひずんでくるんじゃないのだろうか....。それはまるでこの世の色を、黒か白で表せと言っているようなものかも。黒と白の間には、何千、何万、何億色というグレーゾーンが広がっているのに。
私はその巨大なグレーゾーンの中に秘密があるような気がする。
絵:ANA動物診断 「ひつじ」
2008年11月22日土曜日
懐メロと畑
今日は近所でイチョウ祭り。小仏関所ではたくさんの人が来ていた。
相変わらず、高尾は人気もの。
で、私は今日も畑の開墾中。
関所からの音楽がよく聞こえる。懐メロ、演歌、フォークソング、懐かしのヒットメロディーが次から次へ。「近所の人はこんな音楽一日聞かされるんだ。ひゃー。たいへーん」と、気の毒がる私。
最後の砦である篠竹と葛をばったばったとなぎ倒し格闘していると、知らないあいだに関所から流れてくる音楽を聴いている。そして知らない間に口ずさんでいるではないか!
いけない、いけない。私としたことが。
赤ん坊の時から、スピーカーの横に寝かされ、大音響でクラッシックを強制的に聞かされていた私のお耳なのだ。
思春期には、カーペンターズやビートルズを聴き、(ここら辺から狂ってくるが)、ストーンズに目移りし、ハードロックに移行、当然ヘビメタをむさぼり、いきなり飽きて、ヒュージョンへ。それがきっかけになって、ジャズに。そして京都でダンモのズージャ(モダンジャズ)の喫茶店に入り浸る。
そこからブラコン(ブラックコンテンポラリー)、R&Bへと、まったくの黒人音楽の世界に入ってからキャリアが長い。
そんなおしゃれでかっこいい横文字音楽の世界にいた、この私なのだ。そ、そんな懐メロなんて知っていてはイケナイのだ。
「お〜い、なっかむっらく〜ん。ちょいとま〜ちた〜ま〜え〜」って、なんでしっているのよ、あんた。
「み〜さき〜、め〜ぐりの〜、バスは〜は〜しる〜...」って、唄ってんじゃねえよ!
ああ、やっぱし私は日本人。日本人の血は音楽にまで浸透する。篠竹に絡み付いた葛のツルを引っぱりながら、フルコーラス唄ってスッキリする私。うれしくなって思わず笹を空中で振り回すありさま。
いっくらおしゃれに外身をよそおっても、結局ニッポン人なのだ。最後はここに帰ってくるのだ。ニッポンの音楽はニッポン人の生理にそって生まれでてくるのだ。知らん顔してても、カラダに入って、おぼえちゃっているのだ。
畑で笹を振り回し、演歌を口ずさむ私に、ニューヨーカーだった面影はない。
絵:ミステリマガジン掲載
2008年11月19日水曜日
ガマンってなに?
「夜中にお腹がすいたら、コンビニ行って何か買えばいいんだもん。我慢しろって言う方が説得力ないよなあ」
珈琲屋のマスターは言う。
ほんの30年前までは考えられなかったことだ。24時間お金さえあれば何でも買える。そのお金だって、100円持ってりゃ、小腹ぐらい満たしてくれる。そのくらいそこらの子供たちは持っている。
そんな子供たちに「ガマンしなさい」という方が説得力がない。
「なんでえ〜?」となる。
「夜中に食べたら、メタボになるわよ」
「お父さんなってんじゃん」
「お、お父さんはいいのよ..」
「なんで〜?」
「お、お父さんはお仕事で、しかたなくなるのよ」
「じゃあ、僕はお仕事じゃないからメタボにはならないよ」
「ちっ..違うのよ。そういう意味ではなくて....」
「いってきま〜す」
これが夜中にお店が開いてなかったら、我慢するしかない。モノも今ほどなかったら、もっと我慢することをしてたかもしれない。そうやって、現状が我慢の程度を作って来たのかもしれない。
アイヌの人が食べるウバユリは、根っこを臼でつき、発酵させ、乾燥させて3年間待ち、それを削って粉にし、水に何度もさらしてきれいにして、やっと食べられるのだと言う。アイヌの人たちだけではなく、私たち日本人もそうやってじっくり食物を作って来た。コンビニなんてないから、自分で調達しなければならない。知らないあいだに根気やガマンを知る。
だから、
「おっかあ、はらへった」
「あー。舌でも噛んでな」となる。
ニンゲンというものは、環境の生き物という。その時その時の環境や状況によって感じ方や、考え方が変わる。
昔は、なにもないがゆえに死が身近にあり、どうしようもない切迫感があった。説得力以前の問題だ。
今はこんなに品物が溢れていて、ガマンを勉強させるのはむずかしい。「未来は食糧難かもしれないのよ!ガマンしなさい!」と言われても、「それがなにか?」と想像もできない。
衣食住というニンゲンの原点がすべて満たされて、動物的緊迫感がなくなると、旗本退屈男になっちゃって、頭だけがぐるぐる回ることになるのかもしれない。まさにバーチャルに生きる人種。
昔読んだ本で、ニンゲンは洞窟で、一切の太陽光線を遮断して生活すると、勝手に1日は25時間サイクルでまわっているのだそう。地球の1日は24時間。この1時間の差はいったいなんだ?
私は勝手に、この1時間の時差によって、何かニンゲンにある種のストレスを生み出し、それが進化の道をたどったのではないか?と考えた。
江戸時代、飛脚は長距離を走らなければいけない前日は、何も食べなかったそうだ。ウシを引かせるのも、前日には何も食べさせなかったと言う。なぜか。
生き物は食べられないことによって一歩「死」に近づくと、俄然「生きよう」として、普段よりすごい力を発揮するという。昔の人は実体験によって、生き物の秘密を知っているのではないだろうか。
ニンゲンの25時間サイクルに、1時間のストレスを与えることによって、進化が成り立って来たとしたら...。
この衣食住満たされた現代の子どもたちは、いったいどこに向っていくのだろう。
絵:ANA「動物診断』子鹿
2008年11月18日火曜日
雑誌コスモポリタン
昨日、今は休刊となったコスモポリタンの編集部にいた人々にあった。懐かしい顔ぶれに「ああ、私の仕事の始まりはここからだったんだなあ...」とあらためて思う。
コスモポリタンは私のあこがれの雑誌だった。
創刊された頃は、私が美大生だったとおもう。京都の小さな本屋さんで見つけた真新しい雑誌。大胆な女性のボーズの表紙。お色気ではない、何かにいどむようなオーラが溢れていた。その頃の女性誌と言えば、女性の優しさや控えめでいて強いというのが主流だったような気がする。
その中で「これからの新しい女はこうよ!」と堂々といい放った、ふてぶてしいまでの女性誌。女性の方が本来は強いと思っていた私は、こりゃイケてるわ、と密かにほくそ笑んだものだった。
フリーになったあと、コスモに営業に行き仕事がはじまった。強い女、大胆なポーズ。コスモに負けないように制作する。本当のところ、私のイラストの根本的な発想は、編集部の人々のおかげで作られたんじゃないだろうか。
じつはニューヨークのアートディレクターに私の絵が受けた理由はここにあった。私はラブロマンスの表紙はいつも意図的に女性が男性に挑むような絵に仕掛けたからだ。
あれからしばらくたって、私は懐かしい人々に会う。コスモから始まってグル〜ッとながい旅をして、そしてまたコスモにやって来た。神保町の駅に降りた時「出発点にまた立ったなあ〜」としみじみ思った。
私は今まで過去を振り返らないで前ばかりを見て走って来た気がする。でも今の自分は過去あっての自分。今はその大事さを触覚でつかんでいる。
今、あのコスモはない。みんなそれぞれの道を歩んでいる。そして時代のトーンも変わった。
ぐるっと一周して同じところに戻ったように見えるが、それは一段階上の場所に来ている。縁は螺旋階段のように、上に上にあがっていくのだ。
これからの新しい時代の女性は、どんな姿をしているのだろうか。
絵:ラブロマンス表紙
2008年11月16日日曜日
畑開拓
最近、近所で荒れ地になっていた畑を友達と耕し始めた。
耕すというより、開拓に近い。5、6年も放置してあった畑は、まったくの自然に帰ろうとしていた。
篠竹が生え広がって、その上を葛のツルがおおう。まわりのケヤキや杉にも絡み付いて、畑と山の境界線がなくなっている。まるで一面うねうねとひろがった葛の葉のじゅうたん。一見そこがかつて畑だったなんて誰がわかろうか。かろうじて木が生い茂っていないことによって「ひょっとして前は畑...かな?」と勘ぐるぐらいだ。これじゃ誰も手をつけないはずだ。
さて「開拓」がはじまった。
固い竹を地面すれすれに切る。上におおいかぶさっていた葛の葉の5、6年分の枯れ草が頭の上に降ってくる。「ひえ〜」ほこりまみれになる。葛の重さで篠竹は弓のように曲がっている。
下を覗くと、篠竹の下には、別世界が広がっていた。暗い森の中にトンネルがあった。それはひたひたと続き、あちこちに枝分かれしている。その先には大きな穴。疲れた体をそこにうずめるにはちょうどいいお椀型をしている。そう、そこはけものの世界だった。
まるでトトロが住んでいそうなけもの道。そのトンネルは向こうの杉林に続いている。杉林の奥には大きなケヤキの樹がある。そこがトトロの住みかなのか?
友達の子供たちはわあわあいいながら、その中を駆け抜けていた。
私もやりたかった。ほんとは私が一番やりたかった。でも大人になってしまった私は、あとのめんどくさい作業を思い出してしまっていた。
近所に自然や動物をこよなく愛する友達がいる。私はイノシシやハクビシンたちの住みかを壊している。こんな現状を見たら、彼らはさぞかし嘆くだろうな。ひょっとしたら、恨まれちゃうかもしれない。ナイショにしておこう。
畑なんか作らなくても、私たちは食べていける現実がある。スーパーに行けばいくらでも買える。わざわざ彼らの住みかを侵してまでも畑は作ることはないかもしれない。けれども私は自然の中にニンゲンの領域を作ることとはどんなことなのか、自分の手で知りたい。自然から遠くはなれてしまった私の感覚は、昔の人の気持ちを知りたがっている。そんな気持ちがあっちに行ったりこっちに行ったりする。
そうこう考えながら篠竹と格闘するうちに、ほとんど開拓し終えた。
すると杉林の近くに古い墓石を見つける。
それらは横に倒れ、うずもれ、忘れられていた。まわりをイバラが覆い、まるで人を一切寄せ付けないかのようだった。腕や足にイバラが刺さり、ひーひーと痛い思いをしながらとりのぞくと、墓石が現われた。
横に刻まれた文字には、「文政」「享和」そして「宝暦」とある。なんのことやら。調べてみると、200年から250年も前の墓だった。近所のお年寄りに聞いても誰も持ち主はわからない。きっと子孫の畑を見守るかのように当時は立っていたのだろう。
この畑はまわりの土と違って、がれきがなく、ほくほくとしている。この墓の子孫たちががれきをいちいちふるいにかけていたにちがいない。大事に作っていた様子が分かる。まだ始まったばかりの開拓だが、土にほんの少し触っただけで、昔の人々の気持ちが少しつたわってくる。
「まっすぐ立ててきれいにしよう。そうすりゃ、なんかいいことあるさ〜」この開拓のリーダーの棟梁は言う。ここだけの話、彼はくせ持ちでまわりは大変だが、私は彼のそんな信仰心が好きだ。
さて、どうなりますことやら。
絵:COOPけんぽ表紙「あかとんぼ」
2008年11月14日金曜日
肉体はコンピューター?
この肉体は、ホントはコンピューターなんじゃないか?と、おもう。
電源のいらないパソコン。机の上に鎮座していなくて、一人でぶらぶらほっつき歩けるパソコン。
電気の変わりに食べ物。足りなくなったら、勝手にバッテリーを補給している。
コードがない完全に独立したコンピューター。
まだ生まれたばかりの新しいパソコンは、何でもかんでも吸収する。
一番身近にいる親が、情報の吸収源。親のやることなすこと考えること、全部、真っ白なデータにインプットする。何を食べるか、どうやって寝るか、どうやって生活するか、いつも何をしゃべっているのか。人が、ニンゲンという種類で生きていくのに、ひととおりのルールを身につけるのは、たいてい親からだ。
オオカミ少女や少年は、その素材がニンゲンという種類であっても、オオカミに育てられると、オオカミのような動きをするし、オオカミの感性を手に入れる。これもインプット。カルガモの赤ちゃんが最初に見たものを追いかける。これもインプット。
だからその人が、あることに対する反応は、たいてい小さい時に親からもらったり、身近な人がやった反応をマネして身につけたもんじゃなかろうか。で、最初にインプットされちゃったもんだから、後生大事に保管して、ずっと使われ続けているんではないだろうか。
だから似たようなことが起こると、インプットされたデータによって、「これは以前、似たケースがあったから、これが有効だろう」と、前と同じように反応をする。
私の友達のお父上は、政治家が大嫌い。常に社会のここがいけない、あそこがいけないと憤慨している。今の教育はなっとらん、今の社会はなっとらんといつもいっている。
で、案の定、友達も憤慨する。小さい時から聞いて来た言葉だ。しっかりインプットされた。
私は、父や母から、社会がなっとらんとは聞いたことがない。だから社会に対する不満はあまり持っていないようだ。しかし、両親に「ちゃんとせんかあ〜ッ!」って、怒られてばかりいたから、逆に、私は「ちゃんとしていないんだ」とインプットしてしまった。
で、幼い頃にインプットした反応や感情はそうやすやすとは取れない。なぜなら、すべては無意識の中に奥深くはまり込んでしまってるのだろう。そのインプットを意識もしない。ところが、大きくなって小さい時に身につけた反応は、だんだん有効ではなくなってくる。
「おっかしいなあ、この感情は今まで使えたのになあ...」と、葛藤が起こる。
あたりまえだ。それはもう古いのだ。何しろ30年から40年も前に入れたデータだ。
ところが、もうすでに入ってしまっているジャンルに新しいデータを入れようとすると、
「ここはすでに満室です」と入れてくれない。
で、新しいファイルを作っていれても、
「社会=憤慨する」とインプットされたもののパソコンに、
「社会=憤慨しない」という相反するものを入れるとなると、コンピューターはどっちにいっていいのかわからず、こんがらがるのだ。
なので、とってもややこしいが、昔入れたデータを消去しなきゃいけない。
そうじゃないと、太いパイプでつながったなじみ深い反応に、勝手につながってしまうのだ。
私も「ちゃんとしていない」とインプットされた太いパイプでつながっている無数のデータを、少しづつ消去している最中だ。
でもそう考えると、じつは人の感情や反応は単純なところから来ているのかもしれない。
単に体の一番上の丸いボールの中にある、有機的なコンピューターが、ある法則にもとづいてすべてを動かしているだけだ...としたら?
そのマシーンの理屈がわかれば、個人で奥深く抱え込んだ感情も、外から見られるようになるかもしれない。
絵:けんぽ表紙「秋」
2008年11月9日日曜日
自己嫌悪発令中
最近,私はだんだん楽になって来たという話。
朝起きても,前は『早く起きなきゃ!」とあせっていた。でも最近は何にも考えない。ただ「あ、朝だ」と思うだけ。たったそれだけのことなのに、この楽な気持ちは何なのか?
人はそれぞれ、心の中にある種のクセを持っている気がする。
そのクセは、気がつかないくらい本人に浸透していて、人の人生にチャチャを入れてくる。
実を言うと、私は自己嫌悪のかたまりである。自己嫌悪が服きて歩いているみたいに、四六時中自己嫌悪している(笑)。
たとえば、近所の人たちと楽しい会話をしたあと、ルンルンとうちに帰る途中、そのルンルン気分はだんだん、不安な気持ちに変わっていく。
「あんとき、私ああいっちゃったけど、彼女は傷ついていないだろうか?」
「あのとき私はあんなことしたけど、はたしてあれでよかったんだろうか?」
「あんなにニコニコして話してくれたけど、ほんとは頭にきていたんじゃないだろうか?」
と、あとで何でもかんでも「反省」してしまうのだ。
で、反省しているつもりが、どこかで
「反省しているんだから、私は大ジョーブ」みたいな、まるで責任を果たしたかのような気分になって、逆に安心するのだ。(なんじゃそりゃ)
ホントに反省する気があるんなら、次はもっと慎重に会話をするべきなのに、やっぱり同じ調子でしゃべりまくり、帰り道、また「反省」をする。懲りない私。
朝起きた時、「ああ早く起きられなかった。私ってバカ」と自己嫌悪。部屋の掃除が出来ていないと言っては自己嫌悪。仕事をすれば自己嫌悪。買い物すれば自己嫌悪。ブログを書いちゃ、自己嫌悪。
どうも、自己嫌悪は私の趣味らしい。
いちいち自分をいじめちゃうのだ。
これは子供の頃、さんざんいじめられたからか?
たぶん、自分に自己嫌悪することと、ちゃんとしなきゃ病は同じところから発生している。「ちゃんと出来ないから、自己嫌悪」するのだ。ところがはたから見てたら、ちゃんとしてたりする。でも自分の中では納得できない。もっと他の、どんなにかすんばらしいやり方で私は出来るのだ!とか思っているのかもしれない。これは、ある種の勝手な架空の美意識によって、それと違う自分が許せないのだ。だから自信がない。もっと自分に自信を持たなきゃ、と思う先から自己嫌悪。
これじゃいつまでたっても自己嫌悪から卒業することは出来ない。
そう、これが私のクセ。
なんかする→自己嫌悪→また同じことをする→自己嫌悪→また同じことをする....。
自己嫌悪はわたしの中毒なんじゃないだろうか?これをするとどっかで安心する。いじめられることによって、「ああ、私のようなけがれたものは、いじめられてちょうどいいのだ....」
これってマゾじゃあねえかあよお。
人のクセは自己嫌悪だけじゃない。
ある人は、これが私とは正反対の、世の中が私に何かひどい仕打ちをする。と思い込んでいる。私は何もしていないのに、唐突に何か問題が起こる。私はいつもそれに翻弄されるのだ。私は、繊細なのだ。こんな繊細な人間になんてことするんだ。と、考える。だから外に向っていつも戦々恐々としている。
その人は、外に向って許せない。私は自分に向って許せない。(これって、元を正せば、同じことなのかもしれないね)
人の心の中って、形に現われてこないから見えないけれども、ある種の同じパターンや法則でもって、同じ感情を動かしているだけなのかもしれない。
そこで私は考えた。「これ、止めてみよう」
それから私は、何かの拍子に自己嫌悪菌が活動を始めると、
「こらっ!」と、ハエたたきでペシッとやる。
クライアントとの電話でちょっと問題が起こる。あとであーだこーだとまた自己嫌悪警報が発令する。そこですかさず、ハエたたきでペシッ!
朝起きて『ああ、また遅くなっちゃっ.....」ペシっ!!
思いクセって、いったん考えはじめると、ブンブンとフル回転をしはじめる。で、止まらなくなって宇宙の果てまでいってQ〜になっちゃうのだ。
その時、先生が生徒をさとすように「こうだから、止めなさい」と、フル回転しようとする頭に理屈で講釈しても、「でも..」とか「だって..」とか言いはじめて、また、宇宙の果てまでいってQ〜、になっちゃう。
だから、ペシっ!が一番。
理屈なし!
こうやって、出てくる自己嫌悪菌をモグラたたきのように、ぼこぼこ消していった。
すると、だんだんあんまり考えなくなって来た。
前はうだうだ、ぐるぐる考えていたものが、どっかでいなくなっている。手作業の仕事をしていても、前のように、ネガティブな考えが起こらなくなってる。すると以前はいやいややっていた作業が、淡々とこなせるようになっている。
どうも、いちいちの行動にいろんな感情がくっついていたらしい。それだからなんでもかんでもいやになっていたのだ。でも自己嫌悪菌を取り除いている間に、ネガティブな感情も消えていくのだから、こりゃ、一石二鳥だわい。
きっと、これが『内的な作業』っていうやつなんだろうな。よくこむずかしい宗教哲学やなんかで言われることなんだけど、地味〜な作業かと思いきや、いやいや、これが案外、自分発見でおもしろかったりするのだ。
しかも自分の中に変化が起こる。おもしろいぞ〜。
自己嫌悪するそのこあなた、社会がお嫌いなそこのあなた、いっぺんやってみそ。
絵:レタスクラブ「お金の本」扉イラスト
2008年11月6日木曜日
越えられない問題はやって来ない
「越えられない問題はやって来ない」
ニューヨークに今も住む友達はこう言った。経験豊富な彼女ならではの言葉。説得力があった。
この言葉は、私を含めてNYに住んでいた友達が、呪文のように心でとなえていた言葉だった。
とにかく、ニューヨークは問題の多い街だった。とつぜん電光石火のように事件が起こる。
ある日こんな手紙を受け取る。
「高速道路の料金所で、あなたは、時速180キロでぶっ飛ばして逃げました。ついては罰金1000ドルと、◯月◯日に出頭してください」
は?なんで運転免許取りたてほやほやの私が、料金所で、しかもいつも混み合っているニュージャージーの料金所で、180キロでぶっ飛ばして料金を踏み倒すことが出来る?よーくかんがえてごらんなさい、あなた。それって、まわりの車を全部飛び越えるような神業でも使わないかぎりムリ。
ちょっと考えれば、無茶なことぐらいわかるはずのことが、この国ではわからないらしい。
でもあの融通の利かない、一方方向しか知らない国に、母国語でもない英語で、言いたい事を伝えることの大変さはとても口では言い表せない。まるでおんぼろの船の上に、荒波にゆられながら生活しているような感じ。
大家にお金をチョロまかされる。電話料金が尋常じゃないものが送られてくる。クレジットカードの請求書には買ったこともないものがいっぱい入ってくる。突然、夜中にピストルを持った男が家の中に人が押し入ってくる.....。
数え上げればきりがない。
そんなシッチャカメッチャカなニューヨーク生活は、あの言葉なしでは生きていけない。
「越えられない問題はやって来ない」
そう。ありとあらゆる唐突に降りかかってくる問題は、その人が越えられるよ、と思われるから、やってくるのだという思想。そう思わないとやってられない、というか、それなしでは精神がヤラレル!
だからあの手紙がやって来た時、
「こっ.....、こえられない、もんだいは、やって...こない....!」
私は免許取り立てのこと、いつもあの料金所が混み合っていること、どう考えても、180キロという時速は出せないことをつらつらと書いて、送り返した。
後日、「検査の結果、あれはまちがいでした。あなたの罰金と失点は取り消されました」という手紙を受け取る。やはり、越えられない問題はやって来なかった。(ちなみに、アイムソーリーとは絶対いわない)
あとで、その料金所は、最近新しいカメラを取り付けて、それがウマく作動せず、私みたいな手紙を、そこらへんのみんなが受け取っていたことを知る。
そんなの、そっちでおかしいって、気がつけよ!って?
気がつかないんだな、これが。
この言葉は、今も日本に住む私の中で生きている。
日本はアメリカみたいに、ドッカーンと外から問題はあまり降りかかっては来ない。でも、じんわ〜りとやってくる。(お国柄なのか?)
そんな時、いつもこの言葉で励まされる。
「越えられない問題はやって来ない。これは、今私の人生にとって、必要な問題なのだ。必ず越えられるはずだ」と。
絵:『GRACE』カットイラスト
2008年11月3日月曜日
2つの脳みそ
私はニンゲンには、二つの脳があると思っている。
それは右脳と左脳?
いやいや、それは頭の中に入ったしわくちゃの脳みそと、
胸の中心の奥にある脳みそ。
いや、脳みそっていっちゃうからこんがらがる。
アイディアというべきか。
あるアイディアが浮かぶとする。
すると私はそのアイディアが、頭の中から来るのか、胸の奥から来るのかをチェックする。
この二つの場所はまるで種類が違う。
頭の中から来る物は、「常識」や「法律」や「こうしなければならない」という思いを通してやってくるものが多い。例の私の「ちゃんとしなきゃ病」もここからくる。
人様にご迷惑をおかけしないように、とか、大人でしょ、あんた!とか、どっちかっちゅうと、自分を押し殺しちゃうようなアイディアが満載。
ところが、胸の奥からやってくるのは、常識を飛び越えている。突然思いついちゃうと、
「ええ〜っ!」とか「何でえ〜〜〜〜〜っ!」とか、心がウチ震えちゃうくらいおっかないアイディアだったりする。でもその後ろで、すごく小さな声で「ウフ.....ワクワクする...」という自分自身の声が聞こえる。
そう。胸の奥からやって来るアイディアは、地球上の(いや、ニッポン人としての?)常識を超えているのだ。だからおっかないのだ。「そ、そんなのあってはイケナイ事なのだ」とか「いやいや、わしの人生で、こんなことを考える事自体、あり得ないのだ」とか、心はおろおろしちゃう。
そりゃ、そうだ。それは地球圏外から来るアイディアだからだ(?)。
私がニューヨークに行った理由もそこからくる。
阿佐ヶ谷のアパートで、毎日近所の犬の鳴き声を聞かされていた。その犬が散歩に連れて行かれるところを見たことがない。犬好きの私としては、とてもいたたまれないものがあった。
そして「犬に未来のない国に、はたして明るい未来などあるのだろうか?」などど思ってしまった。
すると突然、誰かが
「ニューヨークに行け....」といったのだ。
その言葉は、私の中から聞こえた。
すでに行った事のあるニューヨーク。現実を見て「こんなとこ、住めねえ..」と、悪態をついていたくらい、住みたくもない魅力のない街だった。
「ええ〜〜〜〜〜〜っ!あんなきったない町?誰がいくのよ〜〜〜」と、かなり動揺をした。それから一週間、私の様子がおかしいのに気づくダンナ。「おまえ、なんかおかしいぞ」
ことの次第を伝えると、それまでジーッと黙ってたダンナが、口を開いた。
「よし、行こう」
これはまさに、胸の奥から来たアイディアだったのだ。
おかげさまで「この国に未来はある!」ということを、7年半のNY生活を通して、痛感させてくれた。
あの時、あの声に「ジョーダンじゃないわよ〜」って笑い飛ばしていたら、今の私はいなかった。いつまでも日本に愚痴をこぼして、それを理由にうだうだしていたかもしれない。
昨夜、ある友人から、
「こんなことを思ってしまったんです...」と電話があった。彼も常識とそのアイディアのはざまで心が揺れている。私は、冒頭の二つの脳の話をする。
「そのアイディアがどっちからきているのか、自分で静かに聞いてみたら?」
すると彼は迷いもなく、
「はい。これは、胸の奥からのものです」と、いった。
彼の人生が、また新たに始まりそうだ。
ニンゲンは地球とつながっていると同時に、宇宙ともつながっている。地球上の今の常識は、ちょっと前は常識ではなかったかもしれない。そして未来も。
心の奥の脳は、何か偉大なものを見つめているのかもしれない。
絵:ANA「動物診断」さびしがりやのオオカミ
2008年11月1日土曜日
UFOさわぎ
先日、一部のマニアックな人々が、ちょっとばかりコーフンした。
10月14日から3日間、世界の空を巨大な宇宙船が空をおおいつくすというもの。
世界中のネットやブログで大騒ぎした。
「ついに来ます!ついにやって来ます!カメラもって外に出てください」
日頃からヒマな時がありゃ、空をぼーっとみてる妄想族の私。こんなオイシイ話に飛びつかないわけがない。その日を指折り数えて持っていた。「も〜い〜くつ、ね〜る〜と、う〜ちゅう〜せ〜ん〜」と。
で、その日がやってきた。
何にも来ない。
「おかしいなあ、今日じゃなかったのか?」
二日目。
雲に覆われて何も見えない。
「まさか雲の上に出ちゃっているのか?」
ネットで調べる。
誰も見ていない。
三日目。晴れた。
やっぱり空はいつもの空。
「お〜い、宇宙船、どこにいる〜?」
呼べど叫べど返答はない。
「UFOが来ます」と言っていたブログがあった。
そこでのコメントは、
「いつも楽しみに見ています」「あなたのブログは愛に溢れています」「心がすくわれます」「ああ、その日が来るのをワクワクしています!」と書いていた人ばっかりだったのに、その日のあとは「死ね!」とか「ニンゲンやめろ」とか「信じていたのに、もう誰も信じられません」に変わってしまっていた。
おかげで、そのブログは「お休みします」となってしまった。
それを見て「あ、こりゃ、一敗やられたわい」と気づいた。
これは何かに依存したい集団的な無意識の心が、そんな『予言』を生み出したんじゃないだろうか。
10月14日にそれを見ることによって、意識の変革が起こるとか、これまでの社会的なシステムが変容するきっかけとなるのだ、とかなんとか言われていた。こりゃ、霊感商法とほとんど変わらないんじゃない?壷を買うお金はいらないないけど。
人はどこかで自分を変えてくれるのは外の何かであってほしいと思っている(私も)。
だからヨーグルトキノコがはやると飛びつくし、納豆がいいと聞くと、スーパーの納豆がいきなり品切れになる。ところがそれもブームが去るとどこ吹く風。今ではスーパーの納豆はいつでも買える。そうやってブームはいつでもはやってはすたり、はやってはすたりをくり返す。
つまりこの世には、これさえ食べれば、これさえ使っていれば、健康で心が安定する絶対的なものなど存在しないのだ。
つまるところ、自分は自分でしか変えられないのだ。他力的に、人が変わったり、社会が変わったりすることはないのだ。
それを痛感したのが今回のUFOさわぎだった。
みんなが瞬間的に同時に意識が変わったり、元気になったりすることはない。すべては個人個人にゆだねられる。
私の知り合いでUFOを目の当たりに見た人たちがいる。不思議なことに、彼女とその友人にしか見えなかったという。まわりにいる人々にはまったく見えなかった。空をおおうほどの巨大な宇宙船が出現したというのに。
そうやって本物の宇宙船はやってくるのかもしれない。一人一人に、その人がいちばん大事な時にメッセージとして目の前に現れる。それは「ジャジャジャジャーン!」と、ハリウッド映画のように劇的に表われるのではなく、音もなくその人の前にふっと、静かに出現するのだ。
ミーハーな私としては、ドッカーンと現われてほしい。
指差して「でっ...でたーっ」っておおさわぎしたい!
でもそんなUFOの出現は、日頃の鬱憤をはらしてくれる一時的な遊びみたいなアイテムにしか過ぎない。
そのブログで反転した人たちも、私も、自分を変えるのは、心の中の、静かで、地道な努力でしかないのだ。
ちぇっ。
絵:ECC英語教材絵本『ゾウの目方』より
2008年10月31日金曜日
ニッポンってすごい!
ニューヨークに住んで1年め。
「ニッポンってすごいっ!」って気がついた。
経済大国だの技術大国だの、そんなこむずかしいことはようわからん。
だけど単純に、スーパーマーケットに行くだけで、全然ニッポンの方がすごいっておもう。種類も豊富で、そして美しいのだ。
日本の野菜売り場にいけば、みずみずしい野菜がていねいにビニール袋に収められている。(英会話のおばちゃんが、生まれてはじめて日本のスーパー「ヤオハン」に行き、野菜が一つ一つビニールに入っていてとってもきれいだった!とコーフンしていた)アメリカはビニールには入らない。そのままだから乾燥してヨレヨレ。だいたい野菜を買う人が少ない。ほとんどの人は洗う手間もない四角い箱に入った料理済み冷凍野菜を買う。そんなもんだから、野菜売り場の野菜はいつのかわからない。キュウリにいたっては、てかてかのワックスがかかっていて、年中『放置』されたままだ。
山のように積み上げられたフルーツは、傷んだものもごちゃ混ぜだから「自分で新鮮なのもを選ぶ」という自己責任。
肉売り場はものすごい巨大なスペースを使うが、サカナ売り場は、ネコの額くらい。ネコがかっさらっていったらなくなってしまうほど。
魚の宝庫、高知生まれの私にとって、この現実は屈辱的でもあった。
日本のお菓子売り場は種類が豊富。棚に置かれた一列一列に違うお菓子が並ぶ。そんなのあたりまえだとおもっているでしょ、そこのあなた。
アメリカはすごいぞ。お菓子売り場は巨大で、さぞかしたくさんの種類のお菓子があると思いきや、オレオクッキーやナビスコリッツなど、同じものがヨコにずら〜ッと並んでいるだけ。
「そんなにいっぱい置いてどーする!」と、突っ込みたくなる。
私が仕事で、お菓子のパッケージのデザインをしていたころ、毎週毎週お菓子の新製品が開発されていた。日本の商品は、毎日凄まじく新発売されているのだ。
これがアメリカはといえば、M&M's のいろんな色のチョコレートに、ピンク色ができました!というだけで、おおさわぎだ。
たぶん40年前のお菓子の種類と比べても、ほとんど変わってないんじゃないか?と勘ぐってしまう。超保守である。
賞味期限ももちろん自己責任だ。うっかりしていると、腐って糸引いた商品を買ってしまう。私なんか、賞味期限を確認したものでさえ、カビだらけのヨーグルトをつかまされた。
レジのおねーちゃんは、ガムを噛みながら、あごで私をあしらった。
「べつの、とってきな」
昨今、食品業界でいろんな問題が起こっている。
でも発展途上国アメリカ(?)から戻って来た私にとって「そんなこと十分あり得るだろうな」とおもう。大量にモノを作って大量に消費する。手が行き届かなかったり、ごまかしたり、バンバン保存料を使ったりするのは、私がその立場だったらやってしまいかねない。ましてや今の時代、何かあったらすぐ訴えられるんだもの。
悪いとこばっかり見つけてはおおさわぎするメディア。視聴者もそれにつられて、おおさわぎをしたり、怒ったり、過剰に心配をする。
でもよく他のお国様を見てみたら、比べちゃ悪いのかもしれないが、ダントツにニッポンは良心的。アメリカのマックバーガーは、何日も腐らないというが、きっと日本のマックバーガーは、腐ることが出来るはずだ(笑)。
ちなみにアメリカで5年間住めば、人の一生のうちに摂取する保存料の、半分を摂取してしまうという。そこで7年半住んでしまった私の体は、もう腐らないのかもしれない。
アメリカは保存料大国なのだ。
グローバリゼーションというカッコイイ言葉があるけど、何も世界にみならえって言う意味だけじゃなくて、世界の現状を公平に見ろっていう意味なんじゃないかなあ。
悪いとこばっかり探したら、きりがない。
「ニッポンっていいよ」と私がいうと、
「そんなことないよ。あそこが悪いし、ここも悪い...」と、友達はいう。
そんな言葉をくり返して、その人にどんな得なことがあるんだろう。
つまるところは「ああ、こんな世の中なんか捨てちまえ」という心になるぐらいがオチじゃないか?
世界はもっと悲惨な状態でも、明るく生きる人々がいる。それはすばらしい知恵なんじゃないだろうか。
その知恵の宝庫が、この国にはいっぱい埋もれている。
絵:絵本『The Drums of Noto Hanto』より
2008年10月25日土曜日
ある事件
ある晩、叫び声を聞いた。
そのうちサイレンの音が聞こえたので、ああ、何かあったなとわかった。
表に出てみると人だかりが出来ている。そこで私は生まれてはじめて死体というものを見た。3軒となりのアパートの前で黒人のおじさんはうつぶせになってたおれていた。胸からはどす黒い血がとうとうと流れだし、そこらへんを血の海にしていた。
土曜と日曜の夜は、必ずどこかでパンパンという乾いた銃声の音が聞こえる。流れ弾に当たらないかとおっかなくって、チンタラ街を歩けない。
おじさんは流れ弾にあったのか、恨みを買われて殺されたのかはわからない。その後、ニュースを目を皿のようにして見ていたが、一度もその事件がニュースに流れたことはなかった。
たかが黒人の貧しい地区で起こった殺人事件。ニューヨーカーにとって、それは日常茶飯事。ニュースにもならないというわけか。私はなんだか腹立たしかった。
日本にいた頃もっぱら映画と言えば、アメリカ映画を見ていた。殺人、ドンパチ、流血、爆発、追跡、みんなスリリングでスピード感があって、平々凡々な日々のストレスをどこかスカッとさせてくれる。そんな気軽な気分で見ていた。どこかでそのスクリーンに映される世界は、バーチャルで、あり得ない世界を描いたものだと思っていたものだ。
しかし、実際アメリカという世界に足を踏み入れたとたん、それはバーチャルではないとわかる。あのスクリーンに映し出される世界は、現実なのだ。ドンパチも殺人も日常茶飯事なのだ。
だから私はアメリカでアメリカ映画を見れなくなった。「あまりにもリアル過ぎる...」のだ。日常で展開される悲惨な世界を、わざわざスクリーンでも見る必要もないんじゃない?貴重な時間を2時間もつぶして。
きっと日本人が見るアメリカ映画とアメリカ人が見るアメリカ映画は、見る心持ちが違うんだろうな。
日本人は「こんな世界があったら面白いよね」と見て、アメリカ人は
「ふんふん、この場合、こうやって解決するのか」と生き方のお手本にする....?
さて、よく朝、死体はなくなっていたが、おじさんの流した血はそのままだった。
地下鉄のホームまで行くにはどうしてもその道を通らなくてはいけない。私は出来るだけ踏まないように歩いた。
誰もそれを洗い流してきれいにしたりする人などいなかった。これが日本なら、アパートの住人かその知り合いがその場を清めきれいにし、献花の一つも手向けられていたはずだ。しかしここはアメリカ。血はそのうち乾き、かたまり、雨風にさらされ、やがて無数にある道路のシミの一つとなっていった。(これをドライと言う)
ニューヨークの道路には、そんないろんなイワクがしみ込んだ、無数の模様が描かれているんだろうな。
(そんな模様はいらねーよ)
教訓:アメリカの道路は素手で触っちゃいけません(笑)。
絵:ミステリーハードカバー掲載
2008年10月24日金曜日
ゴミの街〜
私がNY最初の年に住んでいた街はブルックリンにある黒人地区だった。
最初はオランダ人が作ったというヨーロッパ調の美しい街並にうっとりして気がつかなかったが、住んでみて足元に気づく。
汚い。
よくみたら街中ゴミだらけだった。
ダンナがタバコを道路にポイする。もう、どこに捨てたかわからない。そこらじゅう吸い殻だらけ(笑)。
道路の隅には、粗大ゴミが放置されっぱなし。
これがまた、どこをどうやったら、ここまで使いこなせるのか?というくらい、原形をとどめていない。ソファのファブリックはちぎれ放題、下のスプリングはスポンジを突き抜けて全部ビヨ〜ンと飛び出している。アンティークのテーブルは天板を思いっきり突き破られていた。
思わず「みなさん、長い間ご苦労様」と、声をかけたくなる。とてもじゃないが、「これを拾ってリサイクル〜」なんて発想も浮かばない。ニューヨーカーは、リサイクル上手なんていわれているが、それはマンハッタンのオシャレな場所だけの話。ここ黒人地区にリサイクルする(できる)粗大ゴミはないとみた。
緑の多い暖かな季節は、まだ心がなごむ。道路に決して目をやらず、目線から上だけなら、まだヨーロッパ調の街並に緑がいっぱいで「見られる」風景だ。
ところが、木枯らし吹きすさぶ冬に突入すると、風景は一変する。NYの木はほとんどが広葉樹なので、冬は街路樹がハダカになる。すると出てくる出てくる、樹々の下に隠れひそんでいたゴミ、タンス、冷蔵庫、原形をとどめていないバイク、わけのわからないモノがいっぱい詰まったビニール袋、得体の知れない塊....。ロココ調のビルとビルの間にいっぱいひしめいていたのだ。
ようは、緑に隠されていただけなのだ。ずっとそこにあったのだ。でも一体どうしてそこにいつまでも置いておくんだ!
人の心は目に見えるものに影響を受けるものではないだろうか。そうやって四六時中ゴミを目にしていて、美しい優しい気持ちを保っていられるもんなんだろうか。ふつー、心がすさむもんじゃないのか?
いや、ひょっとしたら、そこにゴミがある事に気がついていないのかもしれない。いやひょっとしたら、彼らにとってゴミは「存在していない」のかもしれない。でなきゃ、あんな街の状態を平気で生活できるはずがない..!と、思うのは、日本人の私だからなのかもしれない。
あ”〜、頭がぐるぐるしてきた。
絵:『Jill Chuchill』ミステリー・ハードカバー
2008年10月23日木曜日
ゴミがあるワケ
きのうの『ニューヨークのゴミ』のつづきです。
ちょっと重たいけど、まあ、読んでやってくださいまし。
2:『ゴミの理由』
どうしてこれほどまでに街にゴミがあるのか、最初私には理解できなかった。しかしだんだんアメリカ人の考え方を探っていくと、ある事が判明してくる。
『ゴミを捨ててやっているから、それを拾うという行為が出来る。だからゴミを拾うという仕事を作ってやっているのだ』という考え方.....。
これって、メイドという仕事に似てないだろうか。それはタクシーやレストランのチップに共通する上下関係にも似ている気がする。なんとなく奴隷制度のにおいがしないてこない....?
アメリカ人の中流クラスには、どこでもメイドさんがいる。私の英会話の先生のお宅にも、いつもメイドさんがいた。だから部屋中ピカピカ。いつも授業はキッチンでやっていたので、その家の流しの様子がよくわかる。お鍋におこげ一つついていない。
私にとって、他人さまが自分の家でそうじをしてくれていると思っただけで、なんだか居心地が悪い。手抜きをしているような罪悪感に陥って、さっさと自らそうじをしてしまう。何より自分で汚したものを人様に洗ってもらう....ということへの抵抗もある...。しかし彼らにとって寝室でハダカでいて、そこにメイドさんが用事で入って来ようが全く気にしないのである。これはメイドさんを人間としてみていないのではないか?とまで思ってしまうのである。ちなみにそれら仕事につく人々は、決ってcolorsだ。黒人や中南米人。ブルーカラーの仕事についた白人はほとんどみたことがない。
だが日本人にとって、そうじをするという行為は、たんに部屋をきれいにするという物理的なものだけではなく、心をきれいにするという精神的なおそうじにもつながってくる。 その根底には、『清め』という日本独自の美しい文化がみえてくるのだ。
日本人の私たちがはじめて公の場でそうじをするのは、学校の教室。授業が終わると、最後に必ず席をうしろによせて全員でそうじをする。自分たちが汚したものは、自分たちできれいにする。はっきり言って、その頃は面倒くさかったけれど、今になって思えば、そうじが終わったあとのなんともいえない開放感は、喜びにまで変わる。こういう行為が、日本人ののちのちの行動や、思いやりという形で影響を与えている気がする。
ところで、アメリカ人は授業が終わってそうじをするのか?
答えは、「ノー。」
英会話の先生に聞いた話。彼女はその道30年のベテラン国語教師。
「先生、日本では子ども達が授業が終わった後、自分たちで教室のそうじをするのよ」
「そうなの!? アメリカじゃ、そうじは清掃員がするものよ。でもそれを子ども達にさせるってのも、いいアイディアね」 だそうだ。
はなっから『自ら、そうじをする』という発想はない。アイディアの一つにされてしまった。
こんな小さなところからも文化の違いというのは見えてくる。欧米を讃歌する授業もいいけれど、そんな日本の何気ない行為について誇れる英会話が出来るようになってくれたら、もっと世界を公平な目で見る事が出来るのではないだろうか?
エッセイ:東京書籍『教室の窓』掲載
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカは平等の国といわれているが、住んでみると、まったく逆。
日本のあり方の方がよっぽど『平等』と言われるものに近い。
じつは『平等』という言葉は、そこにはホントに平等というものがないから「平等!平等!」とうったえていいるんだけなんじゃないか?ともおもえてくる。
平等なら、白人がメイドになってもいいはずではないか。見た事がないもん。
ゴミから、こんな話にまでいってしまった。
絵:女性誌『Grace』掲載
2008年10月22日水曜日
ニューヨークのゴミ
『ニューヨークのゴミ』
ニューヨークの街はきたない。どこもかしこもゴミだらけ。
いきなりこんな現実的なお話をしてしまって、もうしわけない。もしお時間を許すなら、私のニューヨーク生活7年半の『現実』を、ちょっとのぞいてみてください。
1:『地下鉄のゴミ』
さてニューヨークに観光客としてやって来ると、エンパイヤステイトビルや自由の女神に眼を奪われていそがしいので、ゴミを見るどころの騒ぎじゃないかもしれないけれども、ちょっとひと呼吸ついてベンチにでも座り、落ちついてまわりを見回してみれば、客観的にこの街がみえてくる。
ニューヨークは、昔よりは治安がよくなり、街もずいぶんきれいになったという。なったというが『先進国』ニッポンからやってきた私には、お世辞にもきれいとは言えない。マシになったというだけかな?
57th Columbus Circleの地下鉄ホームのレールには、汚水が満ち満ち、ネズミが走り回る。新聞、紙くず、ビニール袋、フライドチキンの食べ残し。色とりどりのお菓子の袋が、モノトーンのレールの上のゴミをよけいに際立たせる。
「なんでー?」と思って上から覗いていると、見ている先からみんな平気でポイポイ捨てる。親が捨てると、その後ろで子も一緒になって捨てる。まるでレールの上はゴミ捨てるところとでも思っているかのよう。おまけに日本のようにそこかしこに冷房があるわけでもないので、駅のホームは蒸し暑い。そのため夏の地下鉄は生ゴミや汚水の匂いで臭くていられない。
日本から観光にやって来た友人は、「ココ、工事中なの?」という。
Times Square 42nd st.の地下鉄のホーム。工事などやってはいない通常の状態だったのだが、労働者のニューヨーカーは、なにもかもがやっつけ仕事だから、壁も床もタイルもつぎはぎだらけ。日本のきれいな地下鉄が、基準となっている彼女の目には、それが工事中と映ってしまった。
ストリートでは、紙ナプキンが風に舞う。据え置かれたゴミ箱はいつも満杯。そのまわりはコーラやジュースの残り水があたりをべとべとにする。
一体誰が清掃するのかというと、真夜中に巨大な掃除機がやって来て、ごう音を立てながら、散らかったゴミを、大きなモップで水といっしょにかき回し、吸い上げていくのだ。
マンハッタンの夜はうるさい。救急車の音が絶え間なく、そのピークを過ぎると、明け方にゴミ清掃車とその巨大な掃除機が街中をかけめぐる。
慣れない私は、毎夜その音で飛び起きた。
エッセイ:東京書籍『教室の窓』掲載
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2年前に書いたんだけど、今あらためて読むと暗いなあ〜。
そのころまでは、よっぽどニューヨークに頭にきていたらしい(ニガワライ)。
今は高尾にやってきて心落ち着いてトラウマも消えて来ている。人って厄介なもんだね。
これには続きがあるが、のっけるかどうかは考え中。
それにしてもNY生活でトラウマ作った人は、他の日本人にはいないんかね。
軟弱なのはわたしだけかあ〜。
絵:『ニューヨークのゴミ箱』
2008年10月19日日曜日
ニューヨークのお化け
日本なら、夏と言えば怪談もの。
だけどなぜかアメリカは冬が本番。とくにハローウィンのこの時期は、その手の話にあふれている。
今日は、別の場所で掲載された私のエッセイをのっけます。
『ニューヨークのトワイライトゾーン』
夏なので、ニューヨークのちょこっとだけ恐い話を。
私の友人が、ニューヨークに遊びに来た時、ミッドタウンのあるホテルに泊まった。寝苦しい夜を過ごすうち、夜中にふと目をさます。真っ暗闇、部屋の中を人が歩いている。それも一人ではなかった。ビックリした彼は、目を凝らして暗闇をみつめた。
すると、ベッドから見ると右側の壁から、たくさんの人がわさわさとあらわれでてくる。と、おもうとそのまままっすぐ反対側の壁に消えていくのだ。その数、十人やそこらではない。
「そんなもん、数えられしまへんがな。何十人、へたすりゃ、百人単位ですがな」と、興奮している。彼らはみんな泥にまみれ、疲れた顔をした労働者だった。そして友人には、はっきりとアジアのどこの国の人たちかがわかったという。
「そんなの、なんでわかるのよ」と私。
「いや、ほんまでんがな。なんでか知らんけど、はっきりわかるんやて」
その後、何日か同じシーンを見続け、最後にメイドらしきおばあさんが出て来た。そして彼のベッドのところに来て、ポン!っとふとんの上から彼の足を叩き、にやっと笑ったらしい。それから一切出なくなったという。
何年かたって、別の友人との対話の中で、そのホテルの名前が出た。
「知ってる?あそこは強制的に連れてこられた人たちに、無理矢理作らせたホテルなのよ。そのせいで、出るらしいわよ〜」
私はぞっとした。まさにあの友人が言っていた、あの国の人たちだったのだ...。
ニューヨークに長いこと住む知り合いは、「そんなの常よ」と、こともなげにいう。
あるカップルが引っ越しをしたその日、大量の本を本棚に収めて一息ついた。「さあ、お昼でも食べにいきましょうか」と、後ろを向いたとたん、大きな音がした。振り返ると、棚に収まっていたはずの大量の本が、全部床に落ちていた。地震でもなく、ゆらしたわけでもないのに...、と思いながら、また本を棚に収める。「さて...」と向きを変えたとたん、また音がする。振り返ると、もとのもくあみ...。「なんでー!?」といいながら、意地になって本を入れていく。入れ終わって後ろを向く...と見せかけて、ばっと本棚を振り返った...。
「本が、宙を飛んでいたのよ...」
大量の本が鳥のように飛んだと言う。彼らがその日のうちに、アパートを逃げ出したはいうまでもない。
たしかにニューヨークの建物は古い。そこにはいったい何人の人たちが、何を思って、どういう暮らしをして来たのか、知るよしもない。ましてや日本のように「お祓い」なんて習慣もない。暗い事件は、暗い事件のまま放置されるのだ。それでも全然オッケーな人たちが、そこに長々と住むことが出来るという寸法だ。
ニューヨークには、そんな歴史がごまんと埋もれているに違いない。現に最近のタイムズスクエアーの新開発にともなって、地面を掘りおこしたら、おびただしい数の人骨が出て来た。黒人のものだったという。そんな悲しい事件の闇の部分を明るく照らす意味でも、あの場所はいつまでも明るく華やかであって欲しいものだ。
ところで、そのホテルの名前を知りたい?でも言わぬが花ってところでしょうか。
絵:ミステリーブックカバー掲載
エッセイ:東京書籍e−net掲載
2008年10月17日金曜日
花咲か爺さん
父は、警察署に出勤する時、わざと真っ赤なアロハシャツを着ていくような、ちょっとすっとぼけたところがある。
私に話す警察の話と言えば、白バイで暴走族を全速力で追っかけていて、カーブを曲がりきれず、白バイをハデにひっくり返しちゃったこととか、海から引き上げられた車の中に、巨大なカニが2匹住んでいて、それを部下が美味しそうに食べていた話など、どれもへんな話ばかりである。その車の中には白骨化した死体が2体いたそうだ。その丸々と太ったカニの主食が何だったかは一目瞭然である。
「部長!これどうですか。めちゃくちゃうまいですよ」
「おまえ、よくそんなもの食えるなあ」といってやったという。
ウチにやってくる警察官はみんな面白い人ばかりで、いつもおかしなことを言って、私を笑わせる。『ピャッピャッ』とかいうあやしげなトランプ遊びも教えてもらった。お酒を飲んでバカ話をする彼らを見ていて、子供心に警察の人って変わっているなあ...と心のどこかで思っていた。今から思えば、日々のプレッシャーを切り抜けるための、彼らの知恵だったのだろうな。
そうかとおもうと、お中元やお歳暮の頃にウチにやってくる美味しそうな箱は、一度も開けられた事がない。「全部返すからそのままにしておけ」と厳しい。私へのしつけも相当厳しかった。
ある日、小学校で、「大きくなったらお家を継ぐ」という話しを聞いた。同級生のほとんどの家はお百姓さんか漁師だった。先生は「いいですか、みなさん。あなたたちが大きくなったら、お父さんのお仕事を継ぐんですよ」と言われた。私はその頃看護士になりたいと思っていたから、寝耳に水である。世の中にそんな決まり事があるのかとビックリした。
学校からの帰り、田んぼのあぜ道を辿りながら、私はじっと考えた。
「よし、お父さんの仕事を継ごう」
家に帰ってみんなで夕食を食べ終わってから、私は意を決して切り出した。
「お父さん。今日学校で教わったの。先生が言うには、みんな、大きくなったらお家を継がないといけないんだって。それで、私もお父さんのお仕事を継がないといけないんで、私、婦人警官になります」
一瞬、みんなの顔がかたまった。そして次の瞬間、吹き出すような笑い声が。
「アホか、おまえ。お父さんの仕事は稼業じゃないから、おまえ、べつに警察官にならんでもいいんだぞ。好きにしていいんだぞ」
母と父は、私の決死の覚悟を、あろうことか大声で笑い飛ばしてくれたのであった。
今思えば、父はあのとき、よくそういってくれたもんである。
あのとき、「よし、継げ」なんていわれてたら、このニッポンはアヤウイことになっていたかもしれん。私はこの世で最も警察という仕事に向かない、とてつもなくいいかげんな性格だったからだ。父と母は、私の特性をよく知っていたに違いない。
そんな父は今年の秋、叙勲をもらうこととなった。
私には何も言わない、彼だけのいろんな苦労があったに違いない。これはきっと神様からもらった彼への大きなプレゼントなのだ。
親孝行のちっとも出来ない私は、密かに心からお祝いするだけである。
「おめでとう。おとうさん」
絵:『花咲か爺さん』COOPけんぽ表紙掲載
2008年10月16日木曜日
カメムシとのおつきあい
ニューヨークから引っ越して来たその日、なにげなく部屋の隅を見た。
カメムシがいた。ずら〜っと。
「....!」
よく見ると部屋の隅という隅に、軍団を作って仲よく並んでいるではないか.....!
そういえば最初から、そこはかとなくあのニオイはしていた。
しかし「ここは山のすぐ近くだから、まあ、カメちゃんの1匹や2匹いたって、ふしぎじゃあないわよねえ〜。ふはははは〜」と、平静をよそおっていた私。だが、ほどなく「それは数えきれない」という現実を知る。
「こっ.....ここはカメムシ館だ!」
ニューヨークにカメムシという昆虫はいなかった。7年間あのニオイの事はすっかり忘れていた。あのカメムシ旅館事件も。トラウマが一気に浮上。
この家は私たちがやってくるまでの7ヶ月間、人が住んでいなかった。その間にカメちゃんは暖かい場所を求めてやって来ていた。天敵のニンゲンもいないし、天国だったに違いない。「ここは人間様の住むお屋敷であるぞ。この無礼者!」とはいってはみても、高尾山にへばりついている家。彼らにとって、家も山もおなじである。人が住まなくなった家は荒れるというのはこういうことなのか。
その頃は3月。100匹くらいはすでに死んでいたが、まだごぞごぞうごめいているものもいた。私は震える手で、1匹1匹処分していった。さすがに生きていたカメちゃんは殺すには忍びない。殺さずに
「はい、あんたの住む場所はそっち」といいながら、外にポイポイした。
それからカメムシの季節がやってきた。
窓を大きく開けているとぶーんと飛んでくる。私は「ハイ。あんたのお家はあっち」と外にポイッと出す。そうやって、他の虫たちも外に出す。ゴキブリも、アリも、ハエも、ハチも、カナブンも、コオロギも。さすがに蚊だけは外に出せないけれど。
そうすると不思議なことに、ほとんどウチの中に虫は来ないのだ。こんなにまわりを自然に囲まれていて、庭ではブンブンと元気よく飛んでいるというのに。あの引っ越した当初のカメムシ館状態は跡形もなく消えていた。
「お宅、虫いないわねえ」と近所の人にもいわれた。
じゃあ、高尾にカメムシはいないのか?と思いきや、近所の人はカメムシの多さに悩んでいる。「殺しても殺しても入ってくるんだ」と文句をいう。
この違いは何だ?
ひょっとしたら、殺さずに「お宅のお家はそっち」と外に出したのが良かったのか?
虫さんは「あ、そ。うちはこっちね。ハイハイ」と納得したんだろうか。
でも殺しちゃったら「このヤロー」と、また入ってくるというのか?
んなアホな、ともおもう。しかしこの現実は何をいわんとしているのか。
私は、犬は言って聞かせれば分かると信じているが、まさか虫もそうなのか?まてよ、母の栗の一件がある。ひょっとしたら、聞いてるのかも....。
人と虫は「住み分け」が出来るのかもしれない....?
絵;「山辺の道」けんぽ表紙掲載
2008年10月13日月曜日
カメムシの失神
カメムシの失神は、ニンゲンにも言えそーな気がする。
人って、けっこう心の中で毒舌していない?
たとえば、
街で見かけた人の行動をいちいちチェックして
「なんて行儀の悪い子。電車の中でお化粧なんかしちゃって」とか、
せんべい食べながら、テレビに向って
「そうよ、政府が悪いのよ。こんな食糧難の世の中にして」とか
「ああもう、うちのダンナったら。この粗大ゴミ!」とか。
気がついたら、心はブーたれオンパレード。一つ気に入らない事を見つけると、それに意識は集中する。
集中すると、心はもっとネガティブな事を見つける事に忙しい。これはどう?あれはどう?
あっ、あっ、そうそう、あれあれ、あれなのよ〜、ととめどもない。
オモテじゃ見えないから、何言ってもバレないし。言っている本人は『自分は正義の味方』な気分。世の中の悪を見つけて指摘するエライ人。(これは、じつは快感だったりして....)
でも、べつになにをするわけでもなし。
だから、何も解決しない。かくしてそのブータレは、延々と言い続ける事になる。
ところがその毒は、どこかに噴出するわけではないので、密閉された体の中でたまることになる。
ちょうど、カメムシさんの密閉容器実験と同じ状態。自分で自分の毒にやられる....。
最近は結構イライラした人が多いのも、そういう言葉を心の中で噴出しまくっているからなのかもしれない。
で、自分の毒に当てられて、具合が悪くなる。わちゃ〜。
そういう私も自分の毒に当てられて、失神状態になった(笑)。
カメムシさんを見て、我ふり直す、だな。
もし、カメムシさんが噴出するものが、しあわせ攻撃だったら、密閉容器の中でしあわせにあふれた空気の中で、恍惚状態になったんだろうな。
絵:『雪女』ECC英語絵本教材掲載
2008年10月11日土曜日
カメムシのやど
私はカメは大好きだが、カメムシは苦手である。
キンモクセイが街じゅうに匂いたつこの季節は、ついでにカメちゃんのニオイも登場する。
私は人より鼻の穴がでかい。鼻の穴がでかい人は許容量があると言われているが、私のばあいは、鼻くそをほじりすぎて大きくなった。鼻くそをほじり過ぎると、結果的に許容量が大きくなるんだろうか。そうなりたい方には、ぜひ鼻ほじりをお勧めする。
おかげさまで、からだの中で一番嗅覚が敏感になってしまった。そんなわけであのニオイは私の弁慶(?)の泣き所なのだ。
昔、意図せずしてカメムシ旅館に泊まってしまった。そこは山深い自然の中に、すっぽりと埋もれるように建てられたひしなびた(『ひなびた』ではない)温泉旅館。部屋に入ってがくぜんとする。何百匹というカメムシが、部屋中で暴れ回っていたのだ。
「こっ.....ここで、寝るんですか...?」やっとの事で口を開く私。
「はい。この時期はしかたないですね。カメムシさんたちは昔っからここに住んでおられるんです。私たちはあとから来た、いわば新参者ですから」若いお兄さんは、ニコニコしながら、こともなげにそう言った。
ブーンブーンとカメムシさんが飛び交う中で、夕食をする。煮物の上にとまったカメムシをあやうく口に入れそうになる。コントロールを失ったカメさんが私のほっぺたに激突する。「ビシッ!」
「こっ...このヤロ...!」思わず手が出そうになる。しかしつぶせば思いっきり例のニオイで猛反撃を食らう....。理性がそれを押さえる。天井という天井、縁という縁にびっちりとうずくまっているのだ。こやつらがいっせいにブーイングをすれば、私の無敵の嗅覚がどういうことになるのか、目に見えてあきらかだ。
恐る恐るこっそりとふとんを敷き、足元に注意をしながら、誰にも粗相のないよう床につく。(温泉旅館とはくつろぎにくるところじゃないのか!)しかし、それでもどこかで私たちを気に入らないやつがいるらしい。ニオイは一晩中続いた。
次の日泣きながら帰ったのは言うまでもない。
しかしカメムシは、あのニオイは自分で平気なんだろうか。じつは一度テレビで実験を見た事がある。同じことを考える人はいるもんだ。
カメムシを密閉された容器の中に入れておいて、上から突っついてわざと怒らす。すると見えない敵に向かってニオイ攻撃を発射!が、その秘密兵器はどこにも行けず、狭い容器の中で充満。
カメムシさんは、自分のニオイで失神した。
これは、自分の武器は諸刃の剣というふかーい教えでもあった。(ちっとも深かーねーよ)
スカンクでもやってみたいなあ。
絵:サルのいる温泉宿 『けんぽ』表紙掲載
2008年10月10日金曜日
正しいって何?
誰かとケンカしたら、「私は正しい。そうだ。あいつはまちがっている」という思いが、ぐるぐるとかけめぐる。けど、その”あいつ”にしたら、「私は正しい。つくしはまちがっている」となる。
その様子を、心の中が読める宇宙人がはたから見てたとしたら、さぞかしおかしいだろう。二人とも同じように自分が正しいといいはっているんだから。
「チキュー人とは、へんな生き物だな....」とあきれているかもしれない。
その宇宙人の視点から見ると、どっちも正しいのだ。それぞれの言い分があるのを知っているから。
人は生まれてくる場所も、環境も、親の考え方も、ぜーんぶ違う。そのバックボーンから生み出された考え方は、太陽一つとってもどう感じるのか、考え方が違うのだ。兄妹でさえも違っている(むしろ、親兄弟の方がケンカする)。それなのに、他人が同じ考えを持っている(はずだ)と思う事自体、ムリがある。
だから何かが起こった時、単にそれぞれの反応をしただけなのだ。その反応がたまたまいっしょだったら、ケンカはしないけど、たまたま違っていたからケンカになった。
人との間で、ケンカや心に動揺が走ったときは、ことの発端となる相手に問題があるんではなくて、むしろ逆で、今自分自身の中にある問題点を見せられているんではないだろうか。
気に入らない『あいつ』は、実は自分のいやな部分を見せてくれている「親切な人」なんじゃなかろうか。わざわざいやな部分を私に成り代わって、目の前で演技してくれている。
「ほらほら、あなたの今度の課題はここよ〜っ」て。
よく考えたら、そうでもしないと自分の問題点は気がつかないんじゃないか?もし、私にもあなたにも何も問題なくて、ホトケサマみたいだったら、きっと地球はおだやかな星に違いない。
でもどっかで「わたしはだいじょーぶ」って高をくくっているから、
「あーあ、しゃーないなあ、誰かに演技でもしてもらうか」
と、近くにいる知り合いが、その大役をまかされる。かくしてチャンチャンバラバラの始まり始まり〜。
世の中の、これは正しい、これは正しくないは、時代によってもコロコロ変わる。
それまでご飯しか食べてこなかった民族が、戦後いきなり「ご飯食べたらバカになる。パンを食べたら賢くなる」とおどされた。でも今じゃ「パンを食べるより、ご飯を食べる方が賢くなる」と言われてる(笑)。
地球人の視点に立つから、あっちゃこっちゃにふりまわされる。
このさい、宇宙人の視点に立ちましょう。宇宙にはいっぱい違った考え方があります(ホントか?)。
そーすると、「どっちも正しい」のだ。
え?早い話しが「どっちでもえーやんか」というコト?
そうそう、二元論にたつと「あちらがたてば、こちらがたたず」で、けっきょく結論は出ない。
おかげさまで、ずいぶん自分の問題点を発見しちゃった。
絵:志士 『幕末テロ』扉イラスト
2008年10月8日水曜日
心の暴走
私はよく心の中で、これは正しいんだろうか、それとも間違っているんだろうか?と考える。心は忙しくいったりきたり。
先日まである知り合いのことで、心は千々にみだれていた。あれは正しかった、これは正しくなかったと心の中は大にぎわい。一大カーニバルを大開催中だった。
でも、そういうことをやっている自分にほとほと疲れる。1日24時間のうちの、ほとんどがそのことについやされている。
はたと気がつく。
「わしゃ、ヒマなんか?」
人の心とは面白いもので、仕事をやっていても、同時に別のことを考えられる。絵はとくに、いったん方向性が決まると、あとは流れ作業になる。手は忙しく動いていても、心は自由時間に入る。
すると、今一番の感心ごと「マイブーム」に、思考は突入するのだ。いったん考え始めると、点から始まったものが、水面になげられた石の波紋のようにどんどん広がって行く。妄想族の私は爆走し、宇宙の果てまで行ってQ。
「止めて止めて、キャー誰か私を止めて〜」と、自分が気がつくまで止めないのだ。
思考でへとへとになった頃に、夕飯の支度が待っている。晩ご飯は、さぞかし妄想の味がするのだろう。
さて、そうやってマイブームを徹底したところで、はたして解決はするのか。これがちっともしない。むしろ、悲観的になる。世界は私に対して背を向けているような気さえする。
私の場合、いいアイディアは、眉間にシワをよせて、うんうんうなりながら考えても、ちっとも浮かばない。むしろ、ぽけっとお風呂に入っているときに「あれっ?」と浮かぶ。かのアインシュタインも言っている。「なんでシャワーを浴びている時に限っていいアイディアが浮かぶんだ!」
ひょっとしたら思考の暴走は何の役にも立たないのかもしれない。
だからお寺で座禅をくんだ時、しつこいくらいに「何も考えるな!」と言われたのか。考えたところでたかがあんたの脳みそ、知れてる知れてると。
でも考えないとアホになるという恐怖心もおこる。だから、ひたすら考えることに没頭する。それは裏を返せば「私、アホじゃないもんね」と、自分に納得するためじゃないのか。
『無心になる』とは、雑念を飛ばすことだ。立派な選手がよくいう『自分を信じること』と、無心になることは同じことを言っているのじゃないだろうか。
ところが私のような凡人は、自分が徹底的に信じられないから、「私、考えているからアホじゃないもんね〜」と自分に説得をしている。これこそが雑念かもしれない。
人間って無意識が同じ言葉をくり返して心の中でしゃべっているんじゃないだろうか。「私は体が弱い。ああ、またこうなった。ああ、やっぱり体が弱いからだわ」と常に同じことを考え、自分はこうなんだ、こういう人間なんだと言い続けていないだろうか。それは無意識に自分に『説得』をしている行為かもしれない。
そういうことをやめろよと、あえて言ってくれたのが、お釈迦様だったのではないだろうか。
まあ、そんなふうに心が暴走しているのは、私だけかもしれない(きゃー、はずかしー)。
絵:「梨の木」ECC英語教材絵本掲載
2008年10月5日日曜日
Double Fantasy
アイヌと現代音楽が融合したユニット「リウカカント」の第2弾『Double Fantasy』のジャケットを制作しました。
試聴できますので、ぜひ聞いてください。
http://takeshikainuma.com/music/index.htm
イメージはアッシリア時代に出てくる巨大な人頭有翼牡牛像。私はこれにもう一つ、神社の入り口にいる獅子も合体させました。
人、鳥、牛そして獅子。この4つが融合した存在です。まるでこの陰陽二つの存在が守護しているかのように。
それにしてもなぜ古代の彫刻や神話には、ニンゲンと牛が合体したものがあるのだろうか。
エジプトにもハトホル神という牛と人が合体した神がいる。それにミノタウロスや牛頭天王.....探せばもっと出て来そうなけはい。
先日ふとみたテレビで『件(くだん)』という名の妖怪がいるのを知った。それは未来のことを知っていて人々にふれ回るもののけだという。この漢字(ニンベンに牛)にある通り、やはり顔が人で体が牛なのだそうだ。
くだんといい、アッシリアの像といい、この種類のものたちは、なにか尋常ではない能力をもっているようにみえる。
単にこれとこれをくっつけちゃいましたー、とは言い切れない深い意味があるのかもしれない。
と、丑年の私は思わずひいき目に見てしまいました。
2008年10月4日土曜日
栗は聞いていた
昨日、母からの電話。
「お友達から栗をもらったの。
でも『一週間も手元においてあったから、大丈夫かどうかわからないけど、いる?』と聞かれて、せっかくのご好意を受け取らないのはいけない。
『いいわよ。一週間くらいだったら大丈夫。栗は大好きだから」
と、もらったそう。
開けてみると、やっぱりひからびていた。振ってみると、からからと音がする。中で乾燥してしまったようだ。
しかしせっかくもらったもの、捨てるのもしのびなくて、彼女はボールに一杯水をはり、栗をつけておいた。栗は全部水の上に浮き上がっていて、中に空気が入っているのがわかる。
「一晩置いたらなんとかなるかな?」
と、母はかすかな望みを持った。
翌日。試しに一個よさそうなものをはいでみる。中はほとんど真っ黒。食べられた状態ではない。もう一個開けてみる。やっぱり同じ。
普通なら、ここで人は栗を捨てる。
だが、私に似ていやしい母は(反対だろ)、もう一晩つけておいた。
朝、懲りない母は、また一個はいでみる。やっぱり黒い。
母はそこで、ちょっとイラッとした。(イラッとする方がおかしい)
水に入った栗をぐるぐると手で混ぜながら、
「あんた。ちょっといいかげんにしなさいよ!今度こんなに真っ黒かったら、捨てるぞね!」
と、大きな声で、栗に向って真剣に怒った。
この光景を外から見たら、さぞかしあやしげにちがいない。
そしてその日の夕方4時頃、彼女は捨てるつもりで、栗を一個持ち上げた。
「あれ?」
今までと違って、ずっしりと重い。
はいでみると、まっ黄色いきれいな栗の肌が見えた。それはほくほくの栗だった。
おかしいな...と思いながら、別のをはいでみる。やっぱりほくほくの栗。じゃあ、これは?やっぱり黄色いカワイイ栗。
これは?これは?といいながら、生栗をはぐこと30分。気がついたら、全部の栗をむき終えていた。
彼女はそれを甘く煮て、美味しい甘露煮をつくった。
「ねえ。こんなことってある?」と私に聞く。
最初の3個だけが真っ黒ということは、わざわざ腐っていたのを取り上げただけなのか?そうとはいえない。「ひからびた栗の中でも、一番良さそうなものを選んだんだよ!」と彼女。
では、栗は聞いていたのか?
きっとそうにちがいない。
彼女に脅されて、捨てられちゃかなわんと、必死で元の姿に戻ろうとしたにちがいない。せっかく頑張って栗の実として成長し、この世に出て来たのだから、腐って捨てられるのは、彼らの本望ではないのかもしれない。
なんてけなげなんだ。
母は、この現実をそのまま受け入れることに不安があって、
「甘露煮にしたよく朝、4時頃ふいに目がさめて、ひょっとしたらあの栗はいなくなっているかもしれないと思って、お鍋のふたを開けて確認したのよ」そしたら、ちゃんとお鍋に甘露煮はおさまっていたそうな。
後日そのお友達から「ごめんなさ〜い。あんなのあげちゃって!」と、おわびの電話があった。でも母の栗とのいきさつを聞いて
「ああ〜よかった〜。これで今夜は眠れる」といったそうな。
不思議な友人関係である。(ふつー、信じないだろーっ!)
今日も電話があって「お茶といっしょに美味しく食べた〜」と、喜んでいた。
いやしい心は、山をも動かすに違いない。
絵:ききょう けんぽ表紙掲載
2008年10月2日木曜日
地球のため
今朝の分別ゴミは、ビン類とアルミ缶。
今は八王子市は、各家庭の家の前に燃えるゴミと燃えないゴミを出しているが、一カ所に収集していたとき、近所の人たちがちょっとしたいさかいをしているのを見たことがある。
ビニール袋とペットボトルは、燃えないゴミにまとめて出していいのか、それともリサイクルに出すのか。燃えるゴミを入れるビニール袋は燃えないゴミじゃないのか。新聞紙と雑誌はまとめていいのか悪いのか。それぞれの意見が対立する。一人は元お役所の人、もう一人は色々リサイクルについて考えている人。どっちも「地球のため」に戦っている。
その頃、私はニューヨークから戻って来たばかりだったから、ちんぷんかんぶん。日本を越境した96年とはリサイクルの事情が変わっていた。
しかもアメリカからときている。もっとちがっていた。
NYもリサイクルについて法律が色々二転三転したが、私が帰る頃には、ビン類も子供用のプラスチックの自転車も、ほとんどが燃えるゴミに「おさまって」いた。アルミ缶以外だったら、プラスティックも、ワインのビンも、生ゴミも、紙もどんどん50センチ角の広さのダストシューターに放り投げていたのを覚えている。今はどうなっているのかは、わからないが。
そんなお国柄から戻ったものだから、長野の義理の姉に「タバコの紙とビニール袋まで分けるのよ」と聞いた時には、びっくらこいた。それをやっているか、やっていないかちゃんとチェックまでされるという。
これで冒頭のご近所さんの戦いもわかろうというものだ。
あれから八王子のリサイクルの条件をいろいろ勉強して、とりあえずはいさかいにはならないように出しているつもり。でも本当のところは、あっているかあっていないかわからない。その条件は地域によってちがう。そんなことでいいのかどうかは知らない。
でもなんだなあ。こんな小さな国の中で、このビニールがあの紙類が、って言って口やかましく言われて細かく種分けをしている一方で、巨大な国でビニールでもプラスティックでもビンでもゴミをガンガン燃やして、訳のわからない気体を出してもらって、ついでに燃えないものはガンガン地面に埋めて、妙なものを地面に流してもらっている。
いくら小さなことからコツコツと、地球のためにと思ってタバコも紙と、ビニールを分けていても、横でボンボンゴミの山が出来てたら、あんまりおもしろくはない。
おまけにそのことで、近所の人がケンカをする。いったいなんのこっちゃ。
国によっても県によっても、そして時代によっても色々変わってしまうリサイクル条件。そんなあいまいなものに人々は振り回されている。これって無駄な心労してない?なんだかそれだけいいかげんなものにケンカなんかするのはもったいない気がする。だから私は臨機応変にそのつど「ハイハイ。こうですか。ではそのように」と、てきとーに(聞こえが悪いなあ、いや、それなりにです)対処することにしている。だって世界はまったく違う考え方、生き方をしているのだから。
地球のためって何だろう?
ゴミを出さない、妙な液体を出さない、という物質的なことだけやってればいいんだろうか。その事でケンカして、争いになって、憎しみあう。そういや土地や宗教やものの考え方の違いでいざこざが起き、果ては戦争になるのが、歴史のつねじゃなかったっけ?
戦争は、じつはこんな何でもない些細なことからはじまるのかもしれない。こっちの方が、地球さんのためにはよくないことじゃないんだろうか。
そう思ったら、地球のためになるのは、ほんとうはみんながお互いを理解して仲良くすることなのかもしれない。
なあんて、ゴミ捨てながら、えらい飛躍してしまった。
絵;coopけんぽ表紙「ピクニック」
2008年9月30日火曜日
不思議な母
「県展入選したよ」
今朝早く、高知の母からうれしそうな電話があった。
日本画をはじめて30年近くになる。県展に出品し始めてから、連続9回目の入選。
そろそろ1等賞をとってもらいたいもんだが、謙虚(?)な母は「やめてよ〜」という。
私はいろいろコンプレックスがあるが(歯並びだけはのぞく)、この母にはぜったい勝てない。彼女の感覚の鋭さ、センスの良さ、料理のうまさ、そして彼女の体全体からただよってくる気品。自分の親をそこまで持ち上げてどーする!とも思うが、しょうがない。客観的に見てもそう思う。
しかも妙な能力ももっているからたちが悪い。
同じ日本画仲間が、絵の制作に行き詰まると彼女に電話をする。
「ねえ〜、絵が描けないの...。どこをどーやったらいいのか...」
「ああ、あんた今コスモスの絵を描いてるね。右の方は力入れているけど、左が弱い。空の色はこうやって...」と、指示する。彼女は友達がコスモスの絵を描いていることは聞いていない。
「ほーらやっぱり!ちゃんと見えちゅうやいか!」と、友達。
また、べつの日本画仲間から。
「ねえ、聞きたいことがあるから、描きかけの絵お宅にもっていっていい?」
「ああ、いいから、もってこないで。今電話で言うから。
手前に大きな木があるね。まだ描ききれていない。それがメインじゃないの。それは緑青を入れてこうやりなさい。....それから、プラスチックの机があるね。それは白じゃなくて、いろんな植物の色が写り込んだようにしたほうがいい。赤や黄色やピンクを入れなさい...」
もちろん、彼女の絵も見ていない。どんな絵かも聞いていない。
母が言うには「別に見えているわけじゃない。ただ、わかる」と、しらっという。
結局、その2人も今回入選した。1人は15年ぶりの入選だという。
そんなに絵を教えるのうまいんだから、教室でも開けば?と思う。現に日本画仲間からは、「おしえて〜おしえて〜」とおねだりされている。「私、第一期生になる!」と言う人たちもいる。
私としても日本画の材料は高いので、少しでも足しになればとも思う。
でも...こーやって電話で教えてたら......
お月謝、取れませんから〜〜〜〜〜っ。
不思議な母である。
2008年9月29日月曜日
のんべえのオヤジ
前世の記憶なんてちっともないが、一度だけ変な感覚になったことがある。
あれはイタリアのミラノでのこと。街のシンボルであるドゥオーモの中に入った時のことだ。
最上階に上がったのち、石作りの狭いらせん階段を下りてくる。その薄暗い階段をとんとんと下りている間に、めまいがして来た。足元がおぼつかなくなった時、ふいに頭の中に映像が飛び込んで来た。
それは、雨上がりの北イタリアの夜だった。私の視点は石畳の上にあった。あたりは真っ暗で、飲み屋の入り口の灯りだけが、しっとりとぬれた石畳を浮き上がらせている。
つまり、私は北イタリアに住むのんべえで、つい今しがたさんざん飲んだ酒代を支払う金がなく、飲み屋のオヤジに蹴っ飛ばされて放り出され、地べたにスッ転んだ、という状況だった。
はっと我に帰った時、私はここにいた!という実感が、ぐわとよみがえったのだ。
おいおい。これは前世の記憶なのか?
ふつー、前世の記憶って言ったら、クレオパトラかナポレオンか、はたまたどっかのヨーロッパのお姫さんじゃないといけないんだぞ。それをただの酔っぱらいのオヤジとはどういうこっちゃ。あまりにリアル過ぎるじゃないか。しかも私はお酒好きときている。に...にすぎている...。しかもそのオヤジがどういう性格で、どういう職業を持っていたかまで、何となくわかっているのも気持ち悪い。
ということは、今回ニッポン人の女の子に生まれ変わって、酒は飲み過ぎたらいかんぜよ、と戒められていたということなのか。小さい時からいつもお酒は近くにあって、酒を飲むということはどういうことかということも客観的に教えられもした。おかげさまで、酒代を払えなくて、酒屋のオヤジに蹴っ飛ばされることもない。
でも、客観的に考えると、たまたまそこにいた飲んべえのお化けが、飲んべえの私にとりついて、自分の姿を見せた、ともいえる。つまり、また飲みたくなったお化けが、「ふんふん。こいつにとりついて、酒をかっくらおうぜー!」と、計画たてていたのかもしれない。その計画はあえなく失敗に終わったが。
この世は不思議だ。
目に見える世界だけがすべてじゃないような気がする。あっちの世界=お化け、という単純な構造ではない、とてつもなく広い世界が待ち受けているように思う。
この頭のまん中に二つくっついている『目』という道具で見えている世界は、ホントは豆粒みたいにちっこい世界なのかもしれないね。
2008年9月28日日曜日
高尾山事件
先日、家の前を救急車がたくさん走っていった。
山火事でもあったのかと思っていたら、自殺者が出ていた。山の中でテントを張ってその中で化学薬品を使っての早い死だった。30代の若者3人だそうだ。
高尾はそんな話をよく聞く。そりゃ、年間250万人も登りにくるお山だもの。死も確率的には多いのかもしれない。行方不明のチラシも時々電柱に貼ってある。
「山の上でヘリが飛ぶときゃ、そういうこった。今年はもう7回は飛んだぞ」地元の人たちはそんな現実を、淡々と受け止めている。
近所のじいちゃんは、私をいつもこう言ってからかう。
「おう。こないだ、あそこの沢で見つけたぞ。今からいっしょに見に行こうや」
彼によると、服毒自殺は、苦しいから、水を飲みに沢にやって来ると言う。そこで水を飲むと、それがあだになって、即死するのだそうだ。ほんとかどうかはわからない。
それで「やっこさんは、いつも沢にいる」んだそうな。
でもそんなひんしゅくを買うような彼の話を聞くと、なぜかほっとする。
生も死も、明るく受け止めているように見える。少なくとも、死が拒絶するほど忌み嫌うものではなくなる。それはこの高尾山のふもとで生きる人たちの、心の知恵なのかもしれない。
そんな彼がうちの犬が死んだ時、どんなに悲しがっていたのか私は知っている。何も言わずに背を向けた、あのときの彼を今でも覚えている。生を大切に思う人は、おいそれとは感情を口にしないものなのだ。
今日も朝からヘリが上空を待っている。
高尾のお山は、生も死もすべてをおおらかに包み込んでいる.....
と、ここで現実的な話をひとつ。
高尾山で死んだり、ケガしたりした人が出ると、お一人様につき、20人以上の救助隊が必要だそうだ。
人は倒れるとそうとう重い。仏さんならなおさらのこと。6〜8人がかりで運ぶのだそうだが、起伏の激しい山の中のこと、体力をいちじるしく消耗する。それで担ぐ人は交代しながら下山する。それについて医療チームも加わって異動するから、総勢22人は必要だと高尾のボランティアの人から聞いた。
死にロマンを求める気持ちはわからんでもない。しかしあとの人のことを考えてやってくださいまし。このボランティアさんの話しを聞いたら、とてもじゃないが、私は山で死ねません。
絵:ミステリーブックカバー/むきむきゲイのミステリーシリーズ
2008年9月27日土曜日
「ちゃんとしなきゃ病」
あれから、「私もちゃんとしなきゃって思ってる」という感想をいっぱいもらった。
みんな同じこと考えてるのね。
『ちゃんとしなきゃ病』は、返して言えば、『アリにならなきゃ病』ともいえないだろうか。
汗水たらして働くこと。それがニッポン人の美徳の一つかも。世間に後ろ指さされるようなことはしてはいけない。はずかしくない生き方とは、汗水たらして一所懸命働くこと、みたいな。
たぶん、ニッポン人には「アリにならなければいけない」という強迫観念が他の国よりも強いんじゃないかな。少なくとも、私の知っているアメリカ人には、「アリにならなければいけない」という切羽詰まったモノはなかった。そういうアイディアはない、ともいうべきか。
一所懸命働くことはとても大事なことで、いいことなのだけれど、問題は、どこかで「私、一所懸命じゃないんじゃないか?」と思ってしまうことなんじゃないだろうか。
後ろ指さされないようにしなきゃ、
ちゃんとお天道様の下で暮らせるような生き方をしなきゃ、
人に迷惑をかけないようにしなきゃ....と。
それがかえって強迫観念のようになって、私じゃないけれど、「勝手に監視人」を作っちゃう人もいるかも。
そういう人はきっとまじめな人(私以外)だから、人のやり方も気になったりする。自分にきびしいし、人にもきびしい。ましてやこんな物騒な世の中。「他人は何しでかすかわからない」という思いが膨らむ。行き着くところは、お互いが監視しあうことになりかねない。何となく窮屈なかんじがする。
とくに最近「ゆるせない」という言葉を耳にする。
その言葉は、言った本人も他人も窮屈にするんではないだろうか。
「じゃあ、ゆるせっていうのか?あいつがあんなことをしたことをゆるせと?」と言うかもしれない。人は人それぞれの思わくがあって行動する。極悪人のあいつだって、人の子。いろんな考えがあってやっちまったこと。そのやっちまったことのおとしまえは、その人がテンツバ(因果応報)でどうしようもなく帰ってくることだと思う。カルマや見返りはその分野の専門科、お天道様にまかせておくのが一番。そんな分野にニンゲンの私たちがかかわってしまったら、ミイラ取りがミイラになってしまうかもしれない。
大事なのは、自分がその気持ちに取り巻かれないことだとおもう。「ちゃんとしなきゃ病」も「監視人」も「ゆるせない」も、その気持ちの中に取り巻かれてしまっていることなのかもしれない。
まずは自分でつけた鎖や呪縛を取り払うことじゃないかな。ひとつ、ひとつ。
2008年9月25日木曜日
ユタを思う
「もう、ワンちゃんは飼わないの?」
1日のうちに、2度聞かれた。
あの、あっという間の出来事から2年たつ。
犬のオーナーには、だいたい2種類がいる。死んでは新しい犬を飼い、死んではまた飼い続ける人。そして一度死んでしまったら、あの思いは二度としたくないと飼わない人。
私はどちらかと言うと、後者の方にあたるのか。いや、二度と飼わないとは思わないが、まだ飼えないというべきか。
私にとって犬のユタ(ホワイトシェパードの雑種)は、宇宙一の名犬だった。賢くて、間抜けで、静かでにぎやかで。静と動をくっきりと合わせ持つ、面白い犬だった。それは、ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、そして人生の後半、日本の空気をも知ったせいなのか。複雑ではっきりとした性格の持ち主だった。
そんな犬を知ってしまったら、今度新しく飼う犬は、何でもかんでもユタとくらべてしまうのではないか?そんな気さえする。そんなの新しい犬に失礼じゃないか。
それに犬は大きな場所で大いに走らせて遊ばせてやりたい。思う存分走り回って、遊び抜いて、お腹いっぱいご飯を食べて、ふかふかのベッドでぐっすり眠らせてやりたい。
ブロンクスの大きな公園で育った彼は幸せだったに違いない。毎日犬同士が遊んで、ケンカして、走り回って過ごしていた。日本にやってきてからは、彼はずっと鎖につながれる日々だった。
こう言う考えだから、私としては日本で犬を飼うなら、人っ子一人いない山の中で、放し飼いにして犬を飼うしかないのだ。
だからもう飼わないの?って聞かれると、「はい。飼うなら山ん中で」と言いそうになる。はたして山ん中に住む日はくるのだろうか?
もうすぐユタの命日がやって来る。
あいつはきっと今ごろ鎖も首輪もない自由になった体で、あっちこっちの山を飛び回り、はてはニューヨークまで飛んでいって、しょっちゅうガールフレンドのゴダイバ(チョコレートラブ)やボスのダグア(ピットブル)に会いにいってるんだろうな。
2008年9月23日火曜日
Grace & Favor mystery
いつも仕事をくれるジルチャーチルのブックカバー。
ニューヨークから戻って久しぶりの紙を切っての作品。コンピューターになれると、細かい絵の部分的な作業は、紙なら目を絵に近づけて拡大する作業を、コンピューターがやってくれるから楽だ。でもそうすると、目はある一定の距離だけで固定されてしまう。こうやってコンピューターにあぐらをかいていると、ついに目が退化してしまった。細かい紙を切る作業が、今は虫眼鏡がないと出来ない!
ニューヨークを発つ時、長いことお世話になった英会話のおばちゃんが、最後のお別れに
「これ、プレゼント」と言ってくれたものが、虫眼鏡だった。
内心「これがお別れのプレゼントお〜?」って引いた。
でもおばちゃんは、わかっていたのだ。「つくし、これからはこれが役に立つのよ」
今はコレが手放せない。
2008年9月20日土曜日
宅急便のプロ
いつも荷物を持って来てくれる宅急便のお兄さんはプロだ。
「あの人は、ぜったい荷物の持ち帰りがないんですよ。ぼくなんかいつも荷物を持ち帰ってしまう..。」と、土日配達の若いお兄ちゃんは、彼のことを尊敬する。
お届け時間に、受取人がいるとは限らないからだ。荷物を配達しきって手ぶらで帰るのはそうとう技術がいるらしい。
「ちわーっす。生もののお届けでーす。お届け時間が午後2時だったけど、お宅に車があったんで、持って来ちゃいました」と、午前中に持って来てくれる。いつもたむろしているコーヒー屋さんにも「やっぱりここにいた」と、届けてくれる。
この臨機応変さに頭が下がる。こういう人が荷物を配達してくれるのは心強い。
彼は、この田舎で住む人々のすべてのパターンを、まるで全部知りつくしているかのようだ。都会ではとても考えられないパターンを。
チャイムを鳴らしたら怒る人がいる。
チャイムを鳴らしても聞こえない人もいる。
そんなときは玄関を開けて、本人の耳元で「お荷物でーす」という。
家の中よりも、いつも畑にいる人もわかっている。裏口に回り、畑の向こう側に大声で呼びかける。
彼は、ウチが午前中車がないと、山の中に水を汲みに行ってることまで知っている。最近、彼は私たちがよくいくその山の入り口で車を止めて、お昼をとっている。ここならまわりに気兼ねすることもなく、休憩が取れる。
彼はいつもニコニコしている。この間孫の話しをうれしそうにしてくれた。おじいちゃんだったとは。若く見えてわからない。
ニューヨークのアパートに配達に来ていたお兄さんが、いつもぶっちょうづらしていたことを思い出す。彼は自分の仕事に誇りを感じてはいなかったのだろう。
彼は自分の与えられた仕事を大事に思っているのを感じる。そういう人がいつまでもこの町に荷物といっしょに、元気や明るさを配達してくれることを願う。