2008年9月28日日曜日

高尾山事件



先日、家の前を救急車がたくさん走っていった。
山火事でもあったのかと思っていたら、自殺者が出ていた。山の中でテントを張ってその中で化学薬品を使っての早い死だった。30代の若者3人だそうだ。

高尾はそんな話をよく聞く。そりゃ、年間250万人も登りにくるお山だもの。死も確率的には多いのかもしれない。行方不明のチラシも時々電柱に貼ってある。
「山の上でヘリが飛ぶときゃ、そういうこった。今年はもう7回は飛んだぞ」地元の人たちはそんな現実を、淡々と受け止めている。

近所のじいちゃんは、私をいつもこう言ってからかう。
「おう。こないだ、あそこの沢で見つけたぞ。今からいっしょに見に行こうや」
彼によると、服毒自殺は、苦しいから、水を飲みに沢にやって来ると言う。そこで水を飲むと、それがあだになって、即死するのだそうだ。ほんとかどうかはわからない。
それで「やっこさんは、いつも沢にいる」んだそうな。

でもそんなひんしゅくを買うような彼の話を聞くと、なぜかほっとする。
生も死も、明るく受け止めているように見える。少なくとも、死が拒絶するほど忌み嫌うものではなくなる。それはこの高尾山のふもとで生きる人たちの、心の知恵なのかもしれない。

そんな彼がうちの犬が死んだ時、どんなに悲しがっていたのか私は知っている。何も言わずに背を向けた、あのときの彼を今でも覚えている。生を大切に思う人は、おいそれとは感情を口にしないものなのだ。

今日も朝からヘリが上空を待っている。
高尾のお山は、生も死もすべてをおおらかに包み込んでいる.....


と、ここで現実的な話をひとつ。
高尾山で死んだり、ケガしたりした人が出ると、お一人様につき、20人以上の救助隊が必要だそうだ。
人は倒れるとそうとう重い。仏さんならなおさらのこと。6〜8人がかりで運ぶのだそうだが、起伏の激しい山の中のこと、体力をいちじるしく消耗する。それで担ぐ人は交代しながら下山する。それについて医療チームも加わって異動するから、総勢22人は必要だと高尾のボランティアの人から聞いた。

死にロマンを求める気持ちはわからんでもない。しかしあとの人のことを考えてやってくださいまし。このボランティアさんの話しを聞いたら、とてもじゃないが、私は山で死ねません。

絵:ミステリーブックカバー/むきむきゲイのミステリーシリーズ

4 件のコメント:

  1. こんばんは~☆
    ニュースでバンバン出ていましたね。
    私はちょうど配達に行っていたため…
    それらの救急車達には出くわしませんでした。それにしても、緊急車両はこの細い道を、いくら急を要するにしても、スピード出しすぎだ~!
    っていっつも思ってしまうのは私だけ?

    死んだこと無いから分からないけど、やはり一人で自らの死を選んだり迎えたりするのは、困難なんですかね。
    高尾山に限らず、集団でって話をよく耳にします。そうやって聞くと、結局最後の決断まで自分で出来ないヒトねってなってしまって、人生の良かった事も輝いていた事も、全て忘れられてしまいそう。死んでしまうのだから、どうでも良いし!って言われたらそれまでですけど。

    今日は、板橋から友達が遊びに来ました。
    旦那さんは高尾が初めてで『良いとこだ~』って言ってくれました。嬉しいです。

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  2. おとうぷさ〜ん、いらっしゃ〜い(桂三枝のマネ)

    ニュースバンバン出てたのかあ。知らなかったです。
    たしかに狭い道をガンガン飛ばしてましたよね。おっかねーおっかねー。

    そういえば、昔から集団自決ってありましたね。「みんなで渡れば怖くない」んでしょうか。信号みたいになってきましたね。
    いや、じょーだんはさておき、ある自殺のパターンがはやると、みんな同じ方法でやりますよね。これもやっぱり「みんなでやれば怖くない」んでしょうか。(しつこい)

    私も自分が死んだときのことは覚えてないんですが、肉体を離れるときは、やっぱり一人なんじゃないんでしょうか。いっしょに手を取り合って天国に向うような都合のいいもんではないと思います。
    きっと、「あれっ?私死んじゃったの?」って、気がつくことぐらいじゃないでしょうか。単に肉体からはなれるだけのことで、意識はそこにある。もう肉体に戻れないだけのことで、生きているまんまの心持ちのまんまで、しばらくは生きてるのか死んでるのか実感がない状態だといいます。
    で、自分のお葬式とか見て、「ああ、死んだんだな」と知る。
    で、結局やり残した人生の問題点を思い出して、も一回生まれてこようとする...というのを聞いたことがあります。
    そんなんだったら、今やっておいた方が、また一から生まれ変わってくるよりは、楽だと思いますがねー。

    今の時代、感情が意識を上回ってしまうことが多いんで、「つらいつらい」「傷ついた傷ついた」の一点張りになっちゃうんでしょうなあ。

    おとうぷさんのいうとおり、せっかくの輝いていた事を忘れられないように、生きていって欲しいもんだね。

    その人の死にざまは、その人の生きざまが表われるって言うから。

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  3. 古い記事に恐縮ですが高尾山で死ぬ人はロマンをもとめてなどないですよ。
    賃貸住宅やホテルで死ぬと損害賠償を求められます。電車への飛び込み、ビルからの飛び降りも同じく。
    なので国有林で死ぬのが遺族に一番迷惑がかからないのです。運んでくださる方にはもうしわけないですけど仕方ないです。
    死ぬ以外救われないのに死ぬためには自殺しか方法がないんですから。

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  4. 匿名さん

    貴重な情報をありがとうございます。
    山でおなくなりになる方は、残された方を考えての行動だったんですね。おやさしいお心の持ち主なのですね。

    ほんでもって、山で死ぬことのロマンをもっていたのは、わたしだったんだな。
    気づかせてくれてありがとう、匿名さん。

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