2008年10月10日金曜日
正しいって何?
誰かとケンカしたら、「私は正しい。そうだ。あいつはまちがっている」という思いが、ぐるぐるとかけめぐる。けど、その”あいつ”にしたら、「私は正しい。つくしはまちがっている」となる。
その様子を、心の中が読める宇宙人がはたから見てたとしたら、さぞかしおかしいだろう。二人とも同じように自分が正しいといいはっているんだから。
「チキュー人とは、へんな生き物だな....」とあきれているかもしれない。
その宇宙人の視点から見ると、どっちも正しいのだ。それぞれの言い分があるのを知っているから。
人は生まれてくる場所も、環境も、親の考え方も、ぜーんぶ違う。そのバックボーンから生み出された考え方は、太陽一つとってもどう感じるのか、考え方が違うのだ。兄妹でさえも違っている(むしろ、親兄弟の方がケンカする)。それなのに、他人が同じ考えを持っている(はずだ)と思う事自体、ムリがある。
だから何かが起こった時、単にそれぞれの反応をしただけなのだ。その反応がたまたまいっしょだったら、ケンカはしないけど、たまたま違っていたからケンカになった。
人との間で、ケンカや心に動揺が走ったときは、ことの発端となる相手に問題があるんではなくて、むしろ逆で、今自分自身の中にある問題点を見せられているんではないだろうか。
気に入らない『あいつ』は、実は自分のいやな部分を見せてくれている「親切な人」なんじゃなかろうか。わざわざいやな部分を私に成り代わって、目の前で演技してくれている。
「ほらほら、あなたの今度の課題はここよ〜っ」て。
よく考えたら、そうでもしないと自分の問題点は気がつかないんじゃないか?もし、私にもあなたにも何も問題なくて、ホトケサマみたいだったら、きっと地球はおだやかな星に違いない。
でもどっかで「わたしはだいじょーぶ」って高をくくっているから、
「あーあ、しゃーないなあ、誰かに演技でもしてもらうか」
と、近くにいる知り合いが、その大役をまかされる。かくしてチャンチャンバラバラの始まり始まり〜。
世の中の、これは正しい、これは正しくないは、時代によってもコロコロ変わる。
それまでご飯しか食べてこなかった民族が、戦後いきなり「ご飯食べたらバカになる。パンを食べたら賢くなる」とおどされた。でも今じゃ「パンを食べるより、ご飯を食べる方が賢くなる」と言われてる(笑)。
地球人の視点に立つから、あっちゃこっちゃにふりまわされる。
このさい、宇宙人の視点に立ちましょう。宇宙にはいっぱい違った考え方があります(ホントか?)。
そーすると、「どっちも正しい」のだ。
え?早い話しが「どっちでもえーやんか」というコト?
そうそう、二元論にたつと「あちらがたてば、こちらがたたず」で、けっきょく結論は出ない。
おかげさまで、ずいぶん自分の問題点を発見しちゃった。
絵:志士 『幕末テロ』扉イラスト
0 件のコメント:
コメントを投稿