2008年11月9日日曜日
自己嫌悪発令中
最近,私はだんだん楽になって来たという話。
朝起きても,前は『早く起きなきゃ!」とあせっていた。でも最近は何にも考えない。ただ「あ、朝だ」と思うだけ。たったそれだけのことなのに、この楽な気持ちは何なのか?
人はそれぞれ、心の中にある種のクセを持っている気がする。
そのクセは、気がつかないくらい本人に浸透していて、人の人生にチャチャを入れてくる。
実を言うと、私は自己嫌悪のかたまりである。自己嫌悪が服きて歩いているみたいに、四六時中自己嫌悪している(笑)。
たとえば、近所の人たちと楽しい会話をしたあと、ルンルンとうちに帰る途中、そのルンルン気分はだんだん、不安な気持ちに変わっていく。
「あんとき、私ああいっちゃったけど、彼女は傷ついていないだろうか?」
「あのとき私はあんなことしたけど、はたしてあれでよかったんだろうか?」
「あんなにニコニコして話してくれたけど、ほんとは頭にきていたんじゃないだろうか?」
と、あとで何でもかんでも「反省」してしまうのだ。
で、反省しているつもりが、どこかで
「反省しているんだから、私は大ジョーブ」みたいな、まるで責任を果たしたかのような気分になって、逆に安心するのだ。(なんじゃそりゃ)
ホントに反省する気があるんなら、次はもっと慎重に会話をするべきなのに、やっぱり同じ調子でしゃべりまくり、帰り道、また「反省」をする。懲りない私。
朝起きた時、「ああ早く起きられなかった。私ってバカ」と自己嫌悪。部屋の掃除が出来ていないと言っては自己嫌悪。仕事をすれば自己嫌悪。買い物すれば自己嫌悪。ブログを書いちゃ、自己嫌悪。
どうも、自己嫌悪は私の趣味らしい。
いちいち自分をいじめちゃうのだ。
これは子供の頃、さんざんいじめられたからか?
たぶん、自分に自己嫌悪することと、ちゃんとしなきゃ病は同じところから発生している。「ちゃんと出来ないから、自己嫌悪」するのだ。ところがはたから見てたら、ちゃんとしてたりする。でも自分の中では納得できない。もっと他の、どんなにかすんばらしいやり方で私は出来るのだ!とか思っているのかもしれない。これは、ある種の勝手な架空の美意識によって、それと違う自分が許せないのだ。だから自信がない。もっと自分に自信を持たなきゃ、と思う先から自己嫌悪。
これじゃいつまでたっても自己嫌悪から卒業することは出来ない。
そう、これが私のクセ。
なんかする→自己嫌悪→また同じことをする→自己嫌悪→また同じことをする....。
自己嫌悪はわたしの中毒なんじゃないだろうか?これをするとどっかで安心する。いじめられることによって、「ああ、私のようなけがれたものは、いじめられてちょうどいいのだ....」
これってマゾじゃあねえかあよお。
人のクセは自己嫌悪だけじゃない。
ある人は、これが私とは正反対の、世の中が私に何かひどい仕打ちをする。と思い込んでいる。私は何もしていないのに、唐突に何か問題が起こる。私はいつもそれに翻弄されるのだ。私は、繊細なのだ。こんな繊細な人間になんてことするんだ。と、考える。だから外に向っていつも戦々恐々としている。
その人は、外に向って許せない。私は自分に向って許せない。(これって、元を正せば、同じことなのかもしれないね)
人の心の中って、形に現われてこないから見えないけれども、ある種の同じパターンや法則でもって、同じ感情を動かしているだけなのかもしれない。
そこで私は考えた。「これ、止めてみよう」
それから私は、何かの拍子に自己嫌悪菌が活動を始めると、
「こらっ!」と、ハエたたきでペシッとやる。
クライアントとの電話でちょっと問題が起こる。あとであーだこーだとまた自己嫌悪警報が発令する。そこですかさず、ハエたたきでペシッ!
朝起きて『ああ、また遅くなっちゃっ.....」ペシっ!!
思いクセって、いったん考えはじめると、ブンブンとフル回転をしはじめる。で、止まらなくなって宇宙の果てまでいってQ〜になっちゃうのだ。
その時、先生が生徒をさとすように「こうだから、止めなさい」と、フル回転しようとする頭に理屈で講釈しても、「でも..」とか「だって..」とか言いはじめて、また、宇宙の果てまでいってQ〜、になっちゃう。
だから、ペシっ!が一番。
理屈なし!
こうやって、出てくる自己嫌悪菌をモグラたたきのように、ぼこぼこ消していった。
すると、だんだんあんまり考えなくなって来た。
前はうだうだ、ぐるぐる考えていたものが、どっかでいなくなっている。手作業の仕事をしていても、前のように、ネガティブな考えが起こらなくなってる。すると以前はいやいややっていた作業が、淡々とこなせるようになっている。
どうも、いちいちの行動にいろんな感情がくっついていたらしい。それだからなんでもかんでもいやになっていたのだ。でも自己嫌悪菌を取り除いている間に、ネガティブな感情も消えていくのだから、こりゃ、一石二鳥だわい。
きっと、これが『内的な作業』っていうやつなんだろうな。よくこむずかしい宗教哲学やなんかで言われることなんだけど、地味〜な作業かと思いきや、いやいや、これが案外、自分発見でおもしろかったりするのだ。
しかも自分の中に変化が起こる。おもしろいぞ〜。
自己嫌悪するそのこあなた、社会がお嫌いなそこのあなた、いっぺんやってみそ。
絵:レタスクラブ「お金の本」扉イラスト
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