2008年10月24日金曜日
ゴミの街〜
私がNY最初の年に住んでいた街はブルックリンにある黒人地区だった。
最初はオランダ人が作ったというヨーロッパ調の美しい街並にうっとりして気がつかなかったが、住んでみて足元に気づく。
汚い。
よくみたら街中ゴミだらけだった。
ダンナがタバコを道路にポイする。もう、どこに捨てたかわからない。そこらじゅう吸い殻だらけ(笑)。
道路の隅には、粗大ゴミが放置されっぱなし。
これがまた、どこをどうやったら、ここまで使いこなせるのか?というくらい、原形をとどめていない。ソファのファブリックはちぎれ放題、下のスプリングはスポンジを突き抜けて全部ビヨ〜ンと飛び出している。アンティークのテーブルは天板を思いっきり突き破られていた。
思わず「みなさん、長い間ご苦労様」と、声をかけたくなる。とてもじゃないが、「これを拾ってリサイクル〜」なんて発想も浮かばない。ニューヨーカーは、リサイクル上手なんていわれているが、それはマンハッタンのオシャレな場所だけの話。ここ黒人地区にリサイクルする(できる)粗大ゴミはないとみた。
緑の多い暖かな季節は、まだ心がなごむ。道路に決して目をやらず、目線から上だけなら、まだヨーロッパ調の街並に緑がいっぱいで「見られる」風景だ。
ところが、木枯らし吹きすさぶ冬に突入すると、風景は一変する。NYの木はほとんどが広葉樹なので、冬は街路樹がハダカになる。すると出てくる出てくる、樹々の下に隠れひそんでいたゴミ、タンス、冷蔵庫、原形をとどめていないバイク、わけのわからないモノがいっぱい詰まったビニール袋、得体の知れない塊....。ロココ調のビルとビルの間にいっぱいひしめいていたのだ。
ようは、緑に隠されていただけなのだ。ずっとそこにあったのだ。でも一体どうしてそこにいつまでも置いておくんだ!
人の心は目に見えるものに影響を受けるものではないだろうか。そうやって四六時中ゴミを目にしていて、美しい優しい気持ちを保っていられるもんなんだろうか。ふつー、心がすさむもんじゃないのか?
いや、ひょっとしたら、そこにゴミがある事に気がついていないのかもしれない。いやひょっとしたら、彼らにとってゴミは「存在していない」のかもしれない。でなきゃ、あんな街の状態を平気で生活できるはずがない..!と、思うのは、日本人の私だからなのかもしれない。
あ”〜、頭がぐるぐるしてきた。
絵:『Jill Chuchill』ミステリー・ハードカバー
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