2008年9月25日木曜日
ユタを思う
「もう、ワンちゃんは飼わないの?」
1日のうちに、2度聞かれた。
あの、あっという間の出来事から2年たつ。
犬のオーナーには、だいたい2種類がいる。死んでは新しい犬を飼い、死んではまた飼い続ける人。そして一度死んでしまったら、あの思いは二度としたくないと飼わない人。
私はどちらかと言うと、後者の方にあたるのか。いや、二度と飼わないとは思わないが、まだ飼えないというべきか。
私にとって犬のユタ(ホワイトシェパードの雑種)は、宇宙一の名犬だった。賢くて、間抜けで、静かでにぎやかで。静と動をくっきりと合わせ持つ、面白い犬だった。それは、ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、そして人生の後半、日本の空気をも知ったせいなのか。複雑ではっきりとした性格の持ち主だった。
そんな犬を知ってしまったら、今度新しく飼う犬は、何でもかんでもユタとくらべてしまうのではないか?そんな気さえする。そんなの新しい犬に失礼じゃないか。
それに犬は大きな場所で大いに走らせて遊ばせてやりたい。思う存分走り回って、遊び抜いて、お腹いっぱいご飯を食べて、ふかふかのベッドでぐっすり眠らせてやりたい。
ブロンクスの大きな公園で育った彼は幸せだったに違いない。毎日犬同士が遊んで、ケンカして、走り回って過ごしていた。日本にやってきてからは、彼はずっと鎖につながれる日々だった。
こう言う考えだから、私としては日本で犬を飼うなら、人っ子一人いない山の中で、放し飼いにして犬を飼うしかないのだ。
だからもう飼わないの?って聞かれると、「はい。飼うなら山ん中で」と言いそうになる。はたして山ん中に住む日はくるのだろうか?
もうすぐユタの命日がやって来る。
あいつはきっと今ごろ鎖も首輪もない自由になった体で、あっちこっちの山を飛び回り、はてはニューヨークまで飛んでいって、しょっちゅうガールフレンドのゴダイバ(チョコレートラブ)やボスのダグア(ピットブル)に会いにいってるんだろうな。
私がつくしサンに、最初に話し掛けたのが…
返信削除ユタ君話でしたね。
我が家は…現在イヌ1・ネコ3です。
この31年、ペットがいなかった日がほぼありません。
病気・老衰・事故。全てを経験してしまいました。ネコが亡くなって高校入学の重要なイベントに出ない!とだだこねたり。イヌが亡くなって中学の保健室で朝から晩までギャーギャー泣きじゃくったり。今では笑い話ですね。
誰に言われたのか忘れていますが…
ペットが亡くなっても『かわいそう』って思っちゃいけないって。そうやって思っちゃうのが、かわいそうでしょって。
それ以来、ウチで飼われた犬や猫は世界一幸せだったねって、送り出しています。
尽くしサン車にイヌがくくり付けてあっても…私じゃないですからね。笑
いらっしゃいませ。
返信削除今日は私が言っちゃいます(笑)。
コメントありがとう。そんなにお宅はにぎやかだったんですか。ニンゲン動物いっしょになって生活するのは楽しいですよね。
そうそう、亡くなってもあんまりくよくよしないほうが、彼らのためにもいいそうですよね。彼らの方が、ニンゲンよりはるかに知っていることってあるんじゃないかな。だから「千の風になって」があんなにはやるのかもしれない。頭では死は悲しいもので、「かわいそう」なもので、悔しいもの。でも心の奥深くで、何か別のことを感じているのかもしれない。だからあの唄がヒットするんじゃないかな。
おとうぷさんちのペットたちはきっと幸せに旅立っていったでしょうね。
追伸:そうはいっても、ある日犬が車にくくりつけてあったら、真っ先に疑っちゃいますからね!