2008年8月30日土曜日
雨上がり
おとつい、記録的豪雨!
この世が終わるってこんな風なのか?とまでおもった。
バケツをひっくり返したような大雨の音と、つぎからつぎへと鳴り響く雷。「どどどどどどーーーーっ」「ばりばりばりーーーーーっ」地響きでガラスが揺れている。ニンゲンってこうなったら、なにもなすすべはないのね。ただただ家の中で、じーっとするしかない。
恐る恐る窓の外を見る。家の前の川が気になる。真っ暗で何も見えない....とおもったら、いきなり稲光が。一瞬昼間のようになって、あたりの風景を浮かび上がらせた。目の前に横たわる濁流の帯!いつのまにか家の前の川は、いっきに水量をあげていた。
ひっえ〜〜〜〜〜っ、かんべーん!
いつもは足首くらいしかないちょろちょろの水量。今日は2メートル近くになっている。もうちょっとで、我が家の庭先にたどり着こうとしていた。
海育ちのくせに、私は水が怖い。いや、海育ちだからこそ、水の怖さを知っている(と、言っておいたほうがかっこいい)。高知の実家が床上浸水したこともある。海がどんなにその姿を一変させるのかも知っている。ついでにしょっちゅう洪水の夢も見る(関係ない)。
そんなもんだから、「かっ、かっ...かみさま、おねがい。水ここまで来ないでえ〜」と祈り倒す。おもわず震える手で、床に置いてあったパソコンのプリンターとスキャナーを机の上にあげた。それから一晩中雷は頭の上で鳴り響いた...。
よく朝、おかげさまで川の水位は庭までは達せず、何事もなく無事だったが、友人宅の裏が土砂崩れしていたのを知った。
その友人の彼氏が「雷がよく鳴ったその年は、豊作なんだってよ」といっていた。ああ、そうか。そういうはなしを聞いた事がある。
雷様は、ただ怒って鳴っているのではなく、ひょっとしたら、私たちにエネルギーを注入してくれているのかもしれない。ほら、フランケンシュタインが、モンスターに命を吹き込むとき、たしか雷のパワーを使ったじゃないか。ニンゲンは、どこかでそれを知っているのだ。だからあの話しにはどこか説得力がある。
あの日は日本のあちこちで雷が鳴り響いた。ということは、雷様は私たちやすべての生き物に、エネルギーを充電してくれたのかもしれない。
大自然は、私たちのようなちっぽけな頭で考えるよりも、はるかに越えた叡智を、日々私たちに送り続けてくれているのかもしれない。ただだまって。
こんな風に、自然の猛威を解釈してしまったが、被害に遭われた方には失礼でした。すみません。
絵:けんぽ表紙掲載
2008年8月28日木曜日
イノシシ
先日、近所の友人にイノシシの肉をもらった。裏の山に仕掛けてあったワナにウリボウのちょっと大きいやつが三頭かかったんだそう。
私はその貴重な肉をおすそわけしてもらった。
シシの肉なんてむかーしボタン鍋にしたのもを食べたぐらいだ。確かイノシシは臭いから、みそ鍋にしないと食えないんだといわれて、鍋を食べた記憶があるだけだ。
「塩焼きにしたらウマいよ」という。く...臭くないのか....?恐る恐る焼いて食べてみた。まったく臭くない。噛み締めるほどに肉の甘みが出て来て、嬉々として美味しくいただいた。
その土地で育った野性の動物の肉をいただく。なんと原始的で、力強いことか。ひょっとしたらあの肉は、ウチの家の前の川を毎晩走っていたイノシシだったかもしれない。ウチの前で川の石をひっくりかえし、沢ガニをボリボリ食っていたやつかもしれん。そうおもうと、命をいただいているという思いが深くなる。
なんだかそのイノシシ肉を食べただけで、この地と深くつながってしまったような気さえする。そりゃ、この近所の野菜をしょっちゅう食べて、私は野菜たちに体を作ってもらっている。そういう意味では「つながっている」。でもこのイノシシの肉を私の体に入れたことで、何かもっと深いところで、魂でつながったという気がしてならない。
地のバランスをとるという役目を持った人たちが昔いたという。彼らはその地のバランスをとるために、最初にその地とコミュニケーションをとらなければならない。そのために、地に生えた野草を10種類以上かたっぱしから食べるのだそうだ。その中には毒草が含まれている場合もある。だからこそ、あえてたくさんの種類の野草を食べるのだそうだ。なかには毒を中和してくれるものもあるからだ。そうやって彼らは大地とつながり、調整をしていく。地とつながる、つまりコミュニケーションをとるとは、なんの人の手も加えられていない、野性そのものを体内に入れるということなのかもしれない。
現代は、菌やバクテリアやウイルスが怖れられている時代。そうおいそれとは野性に手をつけてはいけないのかもしれない。昔ほど人は強靭ではなくなった。しかしその一端を体で感じ取ることが出来たことは貴重だった。おもわず夜中にターザンしたくなった。
思わぬところで野性を口にして、いろんなことを考えた時間だった。
ありがとうごさいました。
絵:オリジナル絵本「はなたれさきち」より
2008年8月27日水曜日
コンプレックス
うちのダンナに「おまえ、よくそんな歯で、大笑いするなあ」と感心された。彼によると、私の歯は強烈なあらぐい歯で、普通ならコンプレックスの対象になるはずだぞと。ところが全然平気な私がいる。「コンプレックスというものは、人によってぜんぜん違うもんなんだな。本人が気にしないと、逆にまったく気にならないもんなんだなあと、教えられたよ」と笑っていた。私のような場合は、ふつうなら口を手で隠しながら「ほほほ」と笑うものらしい。なるほど。そういう考え方もあったのか。と、感心する私。でも自分じゃ外から見えないから、これが失礼なのかどうかわからない。一度カメラで収めてみてみるというのも手かもしれない、などとしょうもないことを考えるうち、「コンプレックスって何だろう?」と考える。
ここだけの話、この私のあらぐい歯に関しては、「芸術的な歯」だと思っている。たしかに歯医者に行けば、「つくしさんの歯は、ねえ.......」と奥歯に物の挟まったような言い方をしてくれる。でもその、ありとあらゆる方向から生えているこの歯並びは、私にとってどこか自慢なのである。一体この考えがどこから来たのか?
小学生の時、上の歯の中に、一本だけ、おかしなところから生えて来たのがあった。それを見つけた時、子供ながら、ちょっと心配したのだとおもう。母に「お母さん、こんなところから生えて来た...」と見せると、母はその時、何か言ったのだ。その、何か、が思い出せない。今聞いても、本人も思い出せないだろう。けれどもその時、肯定的な言い方をしたはずだ。ひょっとしたら「まあ!芸術的な歯...」といったのかもしれない。
ニンゲンというのもは、本当は、ものすごく単純な生き物かもしれない。まだ自分と言う考えが確立されていうちに、大人や他人に言われたことを、後生大事に持っていたりする。それはたいてい否定的なことを言われたことにおいて。私には体のあちこちにコンプレックスがある。それが発症(?)したのは、近所のおばさんの言葉から来ている。頭が絶壁だの、半分だの、受け口だの、スローだの、いろいろ言われた。今だにどこかで引きずっている。小学生の時に言われたことをだよ!!まったく....。私ってしつこい性格なのだ...。
おばさんは、いっときの憂さ晴らしに、私にいじわるをいったにちがいない。その他人のうさばらしを、私が後生47才まで大事に持っている事自体じつにアホらしいことだ。
同じ状況でも人によって反応がちがう。それは「みにくい」は、誰でも皆「みにくい」と感じているわけではないということだ。すべてはその人の反応いかんにかかっている。逆に言えば、反応を変えさえすれば、この世は違って見えてくるということかもしれない。
「あらぐい歯は、芸術的」、「絶壁頭は、那智の滝のごとく美しく...」なんて考えればいいのだ。ムリってか?
2008年8月26日火曜日
梅茶
近所でよく通っている焙煎コーヒー屋さんの店先にウメの木がある。
今年、ご主人にたくさんのその梅の実をいただいて、生まれてはじめて梅干しというものを作った。
我が家にはハカリというものがなくて、何キロかもわからない。それでも電話で、高知の母の遠隔操作で奮闘しなんとか作った。出来てみたら、こりゃまた予想外に塩加減が強く、友人に言わせると「男前の味」だそうな。
ま、はじめてにしては上出来。その男前の梅干しを、毎朝起きがけにお湯でといて梅茶にして飲む。何ともいえない風味と、いいあんばい(塩梅)のお茶。体にしみわたってくるのがわかる。まいったな。これでまたまた元気になっちゃう。
たとえ不完全だろうと、きっと人はその梅干しの栄養素だけではなく、その梅が育った場所の雰囲気や、ご主人の様子、そして私と母が悪戦苦闘した日々までも味わっているにちがいない。梅干しという一個の小さな物質の中には、あやゆる思いや、エネルギーが満ちていて、すごいパワーを秘めていることを体は知っているのだ。それはスーパーで「高級品」として売っている和歌山の梅干し(私には手が出せない)よりもなによりも、燦然と輝く、超逸品の男前の梅干しなのだ。
絵:レタスクラブ「お金の本」掲載
2008年8月25日月曜日
イルカと銀河
そうはいっても(きのうの続き)、そうおいそれとは「監視人」をクビには出来ない。だって、知らず知らずに雇ってしまっていたのだから、本人がクビにしたつもりでも、知らない間にまた雇ってしまっているのかもしれないのだ。そうすると、勝手に「監視人」さんは居座って、あそこがいけないの、ここがいけないのと、またいちゃもんをつけてくる。
「ほらほら、朝はちゃんと起きなきゃイケナイでしょ。仕事はちゃんとしなきゃイケナイでしょ。遊び?ああ、遊びもあなたの義務の一つだから、ちゃんとこなさなきゃ、イケナイに決まってるじゃないの」口酸っぱくいってくる。
こういう存在を雇ってしまう原因は、「自分で自分が信用できない」からだ。オリンピックの選手たちは「自分を信じている」という。この自分を信じるという言葉、そうとう難しい。あそこまで練習に練習を重ね、追いつめた彼らだからこそ、言える言葉であって、フツーに生活している私にとって、いったいどこまで追いつめたら自分を信じれるのか?ああ、私もあんな風に「自分を信じている」と言ってみたい。でも信用できるところまで行かない限り、この監視人さんは、「わしは終身雇用じゃ」と、いつまでたっても居座ることになってしまうのだ。
なぜか。それはずっと同じ反応をくり返して来たからなのだ。根底に私には強烈な自己嫌悪がある。自分のやることなすことが気に入らないのだ。だからいちいち自分に文句を言い始めた。それがこの監視人を作ってしまった最大の原因。親にああしろこうしろと言われ、それが出来ないと怒られる。でも出来ない。だから自分がいやになる。そうしていちいち出来ないことを責めはじめるのだ。
私が集中していることは、「出来ないこと」なのかもしれない。ところが、出来ることはしらっとしている。出来て当たり前じゃん、と思っている。
日本人は叱って育てる。悪いところを直して育てる。だから私の幼児期のあり方も、他の家とたいして変わらないに違いない。するとみんなも多かれ少なかれ似たような気分を抱えているのかもしれない。だからひょっとしたら、日本人には「ちゃんとしなきゃ病」が蔓延している可能性もある。そうすると、出来ないこと、劣っていることばかりに集中して、自分を責めている人がいるのかもしれない。だからキレルのか?もしくは自分を追いつめて自殺するのか?
この星は「感情の星」だといわれている。今、色々な感情のほとばしりが世界にあふれている。それはすばらしいことだ。けれども反面、危険な感情にひっぱられもする。
私は自分の感情のクセというモノに気がついた。そのクセのせいで「監視人」なるものを作ってしまった。けれども、まずはこれに気がついたことをほめてあげよう。プラトンの学校の入り口には「汝自身を知れ」と書いてあったらしい。まさに私は自分の一端を見つけたのだ。きっとここから、本当の自分の旅が始まるに違いない。
2008年8月24日日曜日
地下室の扉
私は最近、自分が「ちゃんとしなきゃ病」という病にかかっていることに気がついた。
この聞いたことのない病いとは、心の中で「ちゃんとしなきゃ。ちゃんとしなきゃ」と言い続けることである。
困ったことに、息をするように四六時中言っている。24時間態勢だ。朝一発目の目覚めの瞬間に、「あ、起きなきゃ」という。
「ふとんたたまなきゃ」「朝ご飯作らなきゃ」「洗濯しなきゃ」「掃除しなきゃ」「仕事しなきゃ」「仕事先にメールしなきゃ」「庭の草むしりしなきゃ」道を歩いていると「あ、ご近所さんに挨拶しなきゃ」「町内会の行事に出なきゃ」...。
エスカレートすると「お酒飲まなきゃ」「旅行いかなきゃ」「友達の家に遊びにいかなきゃ」「たっ.....楽しまなきゃ!」と、なってくる。楽しむことまで強迫観念のように、「そうしなければいけない」という義務感になってしまうのだ。これでは人生の楽しみ方ができない。この心理状態の根底には、「ちゃんとしないと怒られる」という恐怖がどどーんと横たわっている。
誰がそんな恐怖を与えたのだ?
「ちゃんとせんかあ〜っ!」と父。「ちゃんとしなさい!」と母。自分に向って最初にこの発言をするのは、親という存在に決まっている。ところが親に罪はない。だって、ちゃんと育てないと、なにしでかすかわからない。とりあえずは親の義務だ。
ところが、私はその両親からのしつけを、今度は自分自身でやり始めたのだ。高校を卒業して親元を離れ、怒ってくれる人がいない、監視してくれる人がいなっくなっちゃうと、心の中でもう一人の自分をつくる。その名も「監視人」。この監視人が24時間態勢で目を光らせている。その存在によって、冒頭の「なになにしなきゃ」というある種切羽詰まった状態に自分を置いてしまうのだ。その監視人を置いてしまう心理は「自分は野放しにしたら、なにしでかすかわからない」というものだ。
さて、その監視下に置かれた状態が47年間も続いた。私はある日、その監視人という存在に気がついた。
「あれっ?これって、ちっとも人生を楽しんでないんじゃないの?」それにも気がついた。遊ぶことさえも、義務にしてしまう私がいたからだ。でもこれは、ひっくりかえせば、自分ひとりでやってたことだから、自分でなんとでもなることなのだ。「しなきゃ」は、「しちゃえ」や「っちゃお!」にも、いかようにも変換できるということだ。
「楽しんじゃえ!」「旅行行っちゃお!」「掃除しちゃお!」「草むしりやっちゃうぞ〜」「よ〜し。仕事やっちゃうぞ〜!」となんだか、前むきで、楽しげじゃないか。
自分の行為をいやいややるのではなく、るんるんしながらやろうという姿勢に変わる。なんだか、この違いは大きくないか?
案外、そういう人他にもいるように見える。しかめっ面をして庭掃除するおばさん。人生最悪...みたいな顔をしたおじさん...。ひょっとしたら彼らは別な種類の病いを抱えているかもしれない。
「何にもしてくれない病」?それとも「オレだけ不幸だ病」?
たしかに監視人がいてくれたおかげで、私はここまで人並みに生きてこれたのだと思う。しかしこの存在はもう私には必要なくなったのだ。だから、その存在に気がついたのだと思う。
バイバイ、監視人さん。私は、あなたの目がなくとも、もう自分で楽しく生きていきます。
絵:ミステリーマガジン掲載
2008年8月22日金曜日
盆栽じいさん
一日中コンピューターに向って制作していると、からだ中に磁気がたまってくる。こんなときは裸足になって庭に出て、両手両足を土の上につけ、四つん這いになって、いっぱつ大声を出す。「ほうで〜〜〜ん!」こうすると、体の磁気が地面へと放電され、リラックスする。ちなみに庭のない人は、水道から水を出し、そこに手首から先を水で流す。すると手から磁気が出て行く。
迷信と言われればそれまでだが、実際やってみて、人体に打撃が来るわけでもないので、信じるものは救われる。コンピューターの前にいて、なんだかだるいなあと思われる方はいちどおためしあれ。やってソンはない。夜泣きでぐずる子にも水で手を流すやつはいいと聞く。この世は電気やモノだらけだから、知らないうちに何かがたまっているのかもしれない。
人が大自然にむしょうに行きたがるのは、体の底の方が、無意識に「放電」したいという欲求からなのか。それは磁気だけじゃなく、感情や思いやストレスやあらゆるものを外に放出しようとしているのだ。
絵:雑誌へるすあっぷ21 掲載
2008年8月20日水曜日
ナナと私
父は警察官だったので、高知県の田舎をしょっちゅう引っ越しした。そのほとんどが海に面したところ。
私には2才違いの犬がいた。ナナと言う。散歩も餌やりも私の仕事。ナナはヨークシャテリアの雑種。子犬の時にもらわれてきた。ケモクジャラのその様子は、近所のおばさんに「この、汚いモップ!」とよく毛嫌いされた。でも目の上にかかった髪の毛がとっても愛らしく、長い毛の感触が肌にやさしい。なでてやると耳をたらして喜ぶ姿が、私は大好きだった。私はいじめられっこだったので、ゆいいつの友達は、ナナだったのかもしれない。ナナは私が悲しいときや、いじめられたときや、うれしいとき、いつもいっしょにいた。学校や家でいやなことがあった時、散歩しながら時々彼女にあたったりもしたけれど、彼女は怒ることは一度もなく、ただ耳をたらしてうしろをとぼとぼついてきた。
浜はそんな私とナナの歴史が刻まれている。太平洋に夕日が沈む時、私は裸足になって砂浜に立ち、赤く染まった海を眺める。ちょうど旅客船のサンフラワー号が九州に向っているところだ。わたしのうしろの屏風のようにそそり立つ山のむこう側は、大阪や東京につづいている。でも心は目の前の大海原にひきつけられる。あの水平線の向こうにはどんな世界が広がっているのだろう。そう思うと胸の奥から何かが湧きあがってくる。じっと水平線を凝視しながら、
「あっちがオーストラリアだ!!」と、叫んでいた。
そんな幼少の思いが、私を異国の地に向わせたのかもしれない。
それはまるでニライカナイに思いをはせるように...。
2008年8月19日火曜日
パウエル国務長官
インターネットとはおもしろい生き物だ。あることないこといっぱい書いてある。中にはテレビのニュースで言っていることと、正反対なことまで書いてある。こういう別の視点から見たニュースの一端を見ると、ホントかどうかは知らないが、テレビや新聞で書かれている内容は、決して対等でえこひいきのない冷静な内容とは限らないかもしれない、と思いはじめる。
すると、それまで歴史の教科書で書かれていた出来事は、ひょっとしたらウソも入っているかもしれない。敗者は自分の汚点をあんまり文字にして記録に残したくないものだが、勝者は、なんだかうれしくなっちゃって、大いばりで我が国や、わが軍隊の活躍ぶりなんかを書き立てるに違いない。すると、あることないことまで妄想しちゃって書いちゃう怖れがあるわけだ。記録者は冷静な人だけとは限らないし。
でも歴史に残ってしまうのは、文字と言うものや壁画というもののように、そこに歴然と物質として残されたもので推し量っていくしかない。両者の視点から書かれたものがあればいいが、そうすべてがそろっているわけでもない。そうすると「書いたもん勝ち」「残したもん勝ち」ということになってしまう(と、思っているのは私だけか?)。こんなアンバランスで、歴史は語れるのだろうか...?
けれども過去の偉大な民族のいくらかは、いや、偉大なればこそ、一子相伝をつらぬき通す文化や民族だってあるのだ。言葉は単に言葉だけの意味ではない。そこで人と人が向かい合って伝えていくその瞬間に、言葉だけでは伝えきれない何かが伝えられていくのだ。(シビレるなあ〜)
インターネットを知ることで、物事にはあらゆる視点があるということを知った。またそれを見て、ニンゲンとはどんな行動をする生き物か、何かそこにはある種の動物学的単純なパターンがあるかもしれん、などど探ってみる楽しみもある。
ネットは不思議な生き物だ。この先どう成長していくのか、これも楽しみ。
え?そんなことしてるヒマがあったら、さっさと仕事しろってか。
絵:コリン・パウエル国務長官 ハーバード・ビジネス・レビュー掲載
2008年8月18日月曜日
絽の着物
京都でいる時、北野天満宮の骨董市によく行った。そこで古着のきものをよく買った。その中でお気に入りは、絽のきものだった。
日本人は夏の過ごし方をよく知っている。透けた絹織物は、見た目にも本当に涼しげ。
それにしても日本のものっておもしろい。
洋服を着慣れた現代人にとって、きものは拷問に等しい。あんな直線断ちの服を、よく曲線だらけのニンゲンの体に着せられるものだとおもう。西洋人の洋服の仕立て方は、体の曲線に会わせて作られているからそのままの体のカタチでいい。ところがきものは、こっちがそのカタチにあわせていかなければならない。実に不合理。けれどもどんな体系の人にも着せられるし、ほどいて作り直す事も出来る。それになにより、ある種の緊張感が身のこなしを美しくする。先日、盆踊りのためにゆかたを着たが、なんだか心が豊かになった。見た目にも華やかだ。
道具にしてもそうだ。お箸は細長い二本の棒をあやつって食べる。フォークとナイフは手で握りしめるだけでいいが、お箸は指の先に神経を使う。ここらへんにも日本人の指先の器用さが出ている。西洋の道具は誰でも使えるように作られている。しかし日本の道具は、使いこなさなければイケナイのだ。それを使いこなす間に、何か、単にフォークを握りしめるだけではない、洋服を体の形に合わせてただ着るだけではない、何かが入り込んで来るのだと思う。
不合理は、たどっていけば、真の合理性につながっているのかもしれない。
2008年8月17日日曜日
バスタブでゆうれい
昔は、8月15日と16日は川や海に入っちゃいけなかった。
夏休みになると、毎日一人で海や川につかりに(高知では泳ぐとは言わない)いってたが、その二日間だけは、じーっとウチで遊んでいた。
小学生が一人で川や海にいくっていうのも、今じゃ考えられないことだろうなあ。監視のお兄さんがいるところでもないのに。
それでもその二日間だけはちゃんと守った。
なぜかというと「その日はエンコウが出るから」なのだ。エンコウとは、全身緑色をしたカッパだ。
何でもエンコウは、川や海で泳いでるニンゲンの後ろにそーっと回り込み、ケツの穴からその長い腕をつっこんで、お腹の中にある腸をずるずるずる〜っとひきだしてしまうからだそうだ。そんな話しを両親や近所のじいちゃんから聞いた時にゃ、背筋がぞぞーっとして、夜中にうなされる。だもんだからぜーったいお盆には水辺には近寄らなかった。
このところニュースで水難事故があるのを聞くと、「本州はお盆に水に入ってもいいのか?エンコウはいないのか?」と思う。ひょっとしたら、お盆にそんないたずらをするエンコウは、高知の田舎にしかいないのか?
誰か私のギモンにお答えくだせー。
絵:ラブロマンス・ブックカバー
2008年8月16日土曜日
「浦島太郎」
冷房もつけず、毎日ウンウン唸るコンピューターの前でがんばっている。
別に誰も冷房つけるなとは言っていないのに、なぜかこだわってつけない。あとで家の中で熱中症になってもしらんぞ。
というわけで、今日は涼しげな海の中の浦島太郎。
私にとって亀は身近。歌の文句じゃないが、私は波の音を子守唄に育った。我が家の目の前は海。後ろは即山!ほとんど平地がない。国道に沿って点々と、人の住む家が山のふもとにへばりついている。そんな大自然に囲まれた(囲まれ過ぎ)すばらしいところにいた。
夏は夜になると、近所の人たちがこぞって遊山をしに浜にでる。真っ暗闇で飲んで食べて遊んでいると、ふと何かが横を通り過ぎるのを感じる。でっかいウミガメだ。彼女は村人を気にするでもなくゆっくりと浜を縦断し、気に入った場所を掘りはじめる。そこにぽっとんぽっとんとピンポン球くらいの大きさの真っ白い彼女の卵を産みつける。顔は、目からでる「涙」で砂まみれだ。大事業を終えると、またゆっくりと海に帰っていく。彼らの計り知れない行動を目の当たりにすると、私たちニンゲンは、本当にこの地球におじゃまさせてもらっている、幼い生き物なんだなという思いにかられる。そういうものに触れて、人は大自然に対して謙虚になれるのかもしれない。
朝浜にでると、砂の上に戦車が走ったようなあとが海の中からついている。「あ、ウミガメさんが産卵したな」とわかる。私たちは生まれたての卵を掘り起こしてそっとバケツにいれ、小学校の校庭の片隅に作ってある砂場にもっていく。そこでふ化させるのだ。二ヶ月くらいたつと、ピンポン球を押し破って、ちっちゃな子ガメがあらわれる。あっという間に砂場は、うじゃうじゃと元気な子ガメでいっぱいになる。それをいったんいけすに離したあと、まとめて海に放流するのだ。なんで分かるのだろう。子ガメはまっすぐ海に向う。この何百匹という彼らが成長したのち、この浜で卵を産んでくれるのは、この中でいったいどのくらいいるだろう。今、海の中で悠々と泳ぐ大きな亀たちは、幾多の災難を乗り越えて生き延びて来たエリートたちなのだ。
ウミガメの目はうるうると潤んでいる。その瞳の奥は、ニンゲンが想像もしないような、深遠な世界をのぞいて来たに違いない。私はいつかその目の奥の物語をつかんでみたいと思う。
2008年8月15日金曜日
大前研一
「この広大な宇宙の中で、たった一つの惑星、地球にしか生命はいない。」
小学校の理科の授業でこの言葉を先生から聞いて、私は耳を疑った。
「なぜなら、他の惑星には酸素がないからである」
びっくりした。「そりゃ先生、ニンゲンにかぎっての事だろ?」とツッコミを入れたくなった。
それから理科の時間がおもしろくなくなった。小学生の私は、こんなに広い宇宙の中でこんなちっぽけな惑星にしか生命は住んでいないの?そんなの絶対あり得ないと思った。でも先生は勝手に話しを進めていく。すべてが「地球にしか生命はいない」という前提で理科は進んでいく。科学は進んでいく。研究は進んでいく。まるで地球は平らだという前提で航海をするようなもんだ。きっとどこかでほころびがでるんだろ。そう見限ったもんだから、理科の通知簿は1か2だった。
最近、元宇宙飛行士のエドガーミッチェルという77歳のおじいさんが、「NASAは、宇宙生命体の事を隠している」とカミングアウトした。NASAは「何寝ぼけたことを言っている」と知らん顔した。たしかに77歳というご高齢では、少々認知症が入っていたのかもしれない、夢でも見たのを勘違いしたのかもしれない....とは、私は思えない。彼は相当覚悟を決めて公表したのだろう。
そんなニュースを日々目にしている今の小学生は、どんな感覚をもちはじめるのだろう。少なくとも私が小学生の時感じた「違うだろ」と言って閉じてしまった心とはちがうはずだ。この惑星以外に、何かもっとすごい物たちがいるかもしれないというワクワク感で、つぎの科学が動き始めるのかもしれない。それは地球は丸い、という前提によって航海するように。
大前研一:ハーバード・ビジネス・レビュー掲載
2008年8月14日木曜日
月夜の天狗
私は小さい時、目の前にあるものはすべてハリボテだと思っていた。
私が360度自分の周りをぐるっと回ると、それに合わせて人も風景もパタパタパタと展開する。まるで劇場の後ろのセットのような感じ。世の中とはそんなふうに成り立っているのもだと思っていた。目の前にいるお母さんはハリボテで、後ろは真っ平ら。そして今立っている私の後ろには三次元的な物質はなく、真っ暗か曖昧な世界が広がっているんだと。でも幼い私にとってそれはつまり、この世界には、自分しかいないのではないかという寂しさと繋がっていた。だから人に会うと、何気なく背中を触ってみる。そこには人の背中の物質的な肉を手に感じたものだ。視覚でない触覚ならそれを確かめられる、という考え自体がおかしいのであるが、それでもそうやって確かめて、子供ながらどこかでホッとしていたのだ。
大人になっていろんな勉強をするうち、この三次元の世界に見えるものは、単にその人が見たいように見ているのだ、という思想を知る。なんのことはない。お釈迦様がおっしゃった。「この世はマーヤ(幻想)である」と。だから目に見えるものに惑わされるなと。
目に見えるものは絶対的なものではなく、じつは曖昧なものなのだ。
宮本武蔵も言っていた。「見を弱く、観を強く」。目の前に展開する物事に惑わされるな、その目の前にあるものの奥深くの本質を覗けと。
雷が鳴り響いて、大雨が降り、ヒョウまでボコボコと落ちて来た今日のお天気を味わいながら、何となく思い出した事だった。
2008年8月13日水曜日
シヴァ神
シヴァ神は壮大なスケールを持ったインドの神様。
頭からはガンジス川に流れ落ちる水をふきだしているし、後ろに太陽と月を持っている。おまけ首にはコブラを巻き付け、腰にはトラの皮。手には三つ又の鉾を持ち、これ以上強気の神はいない。その彼を怒らせたら、大地は簡単にひっくり返る。日本の神様と比べるのも失礼な話しだが、私には彼がスサノオに似ているような気がしてならない。
私はこういう神様が大好き。やんちゃグレで、子供みたいで、女好き。西洋のイエスキリスト様のような聖者とはほど遠い。でも人間ってホントはここまで好き勝手にやってみたいという衝動があるんじゃないだろうか。ヘタに大人ぶった今の社会のノリは、大人しすぎて、人間の衝動を押さえつけているような気がしてならない。最近のわけの分からない犯罪も、そんな無意識の社会の抑圧感によって、しわよせが来ている気がする。
今はお盆の真っ盛り。きっとうわ〜っとあふれでるパワーがみんなの心の中に隠れているに違いない。夏はそういうものなのだ。そういうときは、近所の夏祭りでも出向いて、盆踊りを踊りまくってフィーバーしゅちゃうってのはどうですか。太古の昔から人々は知っていたんだと思います。だからお祭りがある。足をどんどん踏み鳴らして、地球という偉大なお母様にエネルギーをうんと注ぎ込もうじゃないですか。
え?わたし?しっかりうちの町内会で夏祭りの盆踊り踊っちゃいました。
2008年8月9日土曜日
ティファニー
「ティファニーで朝食を」という映画のタイトルを聞いて、そういう名前のレストランかなにかがあるんだと思っていた。
それが高級な宝石店だと知ったのは、日本の友人から「一万円くらいで指輪買ってきてよ」と頼まれたときである。確か映画は昔見たはずだったのに、私は何を見ていたんだろ?
NYの五番街にあるティファニーで、その頼まれ事がどんなに無茶な事だったのか思い知らされた。そんな安い値段の代物なんか、どこにもなかった。店内はいかにもお金持ちそうな人たちがゆったりと歩いている。田舎もんの私がうろうろと物色するにも限界がある。正直言って香水の匂いがぷんぷんする店員さんに聞くのも抵抗がある。しかし背に腹は代えられない。大事な友人の頼みだ。
「いっ...一万円...くらいで指輪ありますう...?」
一瞬、けげんな顔をした超美人のお姉さん。
「は?一万円ですか?」「はい...」
しばらくあれやこれやと考えたあげく、「ちょっとお値段越えますが、これがあります」と、無造作に出されたのは、へびの形をした指輪だった。一瞬「あいつにへび?イメージ違うなあ...」と思ったが、この小憎らしい頼み事しやがったあいつには似合っているかもしれんと思い、即決。「こっ...これください!」
あれから数年たって、ティファニーに勤めていた知人から聞いた。
「最近、一万円台の宝石類をティファニーが作ったのよ。あんまり日本人観光客がその値段でほしがるものだから」
「....!」
2008年8月8日金曜日
ナポレオン
ポートレイトを描く仕事は、一番キャリアが長い。イラストレーターになり初めの頃から描いていた。
始まりは実はソープランド嬢の似顔絵を描く仕事だった。毎週受け取るお嬢様方の写真を見ていると、彼女たちの生い立ちや生き方が私の心に入ってくる。しかし出来るだけ楽しい雰囲気の絵にした。
そういうところからきているのか、似顔絵の仕事となると、机の上に描く本人の写真をずらっとならべ、彼らの内面を見ようと意識を集中させる。すると、ふわっと何かの印象が私の脳裏に上がってくる。それは一般的に知られている有名人の印象からはまったく違ったものがやって来る事が多い。
ナポレオンもそうだった。華麗な肖像画の裏に彼の悶々とした複雑な想いが浮かび上がってくる。この人はあまり背の高い人ではなかったのではないか?なんておもいがよぎる。どのみちあまり幸せそうな顔はしていなかった。
そんな私なりの印象を描かせてもらえる仕事のありがたさ。ちょっとクレイジーな私でも役に立つ感性があるのだ、なんておもいながら、似顔絵を描く喜びを味わっている。
ナポレオン:ハーバード・ビジネス・レビュー掲載
2008年8月7日木曜日
夕日の砂漠
「つきの〜さばくを〜は〜る〜ば〜ると〜...」
と、おもわずうたいながら作ってしまいました。月じゃなくて夕日なんですが。
デズバレーという場所がアメリカにあります。長野県と同じ面積のでっかい国立公園です。そこは「火星」という設定で映画のスタートレックのロケ地に使われたところだそうです。まさに「ここはどこ?わたしはだれ?」といいたくなるような不思議な場所です。黄金色に輝く砂丘地帯があったり、5色の砂の色が混ざりあったペインティングデザートと呼ばれる美しい場所があったり、悪魔のゴルフコースなんて塩のかたまりが針のむしろのようにつきでた面白い表面の砂漠があったりと、砂漠のディズニーランドみたいなところです。「死の谷」なんて不名誉な名前をつけられるほど強烈に暑い、なんの生命の住んでいなさそうなところでありますが、じつはここはインディアンの聖地だったのです。現地のホテルで働くインディアンのお兄さんに聞きました。「ここは俺たちの先祖代々の大事な聖地なんだ」長い髪を後ろに束ねた黒く美しい青年は、ほこらしげに教えてくれました。
満天の星空の中で大地に大の字になって寝そべると、ひたひたとコヨーテが脇を歩きます。大地を背中に感じながらとろとろとまどろんでいると、天と地がひっくり返って、空が私の上にあるのか、それとも私が空の上にいるのかわからなくなります。
めまぐるしく変わり続ける私たちの文明で、今私たちは自らつくりあげた価値観の波に溺れそうになっています。こんな時期だからこそ、電気やテレビやコンピューターの電源を切り、自分の感覚を自然に明け渡して「感じる」ままに自分を放り投げる時間を作ってもいいんじゃないでしょうか。
2008年8月6日水曜日
脳天に花
2008年8月5日火曜日
ホットストーンセラピー
こんな暑い日には、うんと暖かくした石を背中に当てて、体ぜんぶをあっためるに限る...って、それ拷問か!?
てなわけで、今日はホットストーンのセラピーを体験した記事をアップしました。
でもこれがけっこう、いいんですよ。あったかい石のエネルギーをもらえちゃう。
小学生のとき、友人と真冬の歩道橋の上で、北風に吹かれてふるえながら、アイスクリームを食べたのを思い出す。その子は「こんな寒いときだからこそ、アイスクリームを楽しめるってもんよ」と、体と口の中全部で、寒さを楽しんでいた。「だから、夏はやっぱりラーメンよ!」と豪語する。
その方程式でいくと、夏こそホットストーンセラピーでしょうなあ。かーっと暑くなって、かーっと生きる。こう言うのを生きている実感というのかー。
みなさま、そんなときは、南国生まれの私のマネをせず、くれぐれも適度な水分補給を。
2008年8月1日金曜日
「バウエルセラピー」
NYから帰国してのち、一年間面白いお仕事をもらった。それは日本で今はやっているセラピーをことごとく体験して、イラストとエッセイで紹介するというもの。日本にいなかった7年半のブランクは、私を浦島太郎...、いや浦島花子にしてしまっていた。日本という国はアメリカのそれとは違い、凄まじいスピードで変化をおこして行く。この移り変わりの激しい『今』の日本を知るのに、今回のお仕事はもってこいだった。一年間通してやってみて一番感じた事は、今の日本人が、どんなに心と体の癒しを求めているか、ということだった。「心底疲れているんだなあ....」そう実感をした。
このイラストは、その一部。バウエルセラピーとは、腸をマッサージして、腸内にたまった◯◯◯をスムーズにだし、整えてくれるもの。それによって、体のバランスを整える。それはやがて心にも影響を与えていく。
今回は銀座にある「銀座アバンダンス」というところで取材をさせてもらった。お腹をマッサージしてもらいながら、セラピストのエネルギーが入って来るのを感じた。お腹の中がぐるぐると動き出す。あまり人に体を触られた事のない私は思わず緊張する。でもやさしいエネルギーがいやおうなく緊張を解きほぐしてくれる。そう、これが信頼関係。セラピーとはマッサージされる側とする側の、二人の共同作業なのだ。
今回、そのお世話になったその取材先のセラピーの方が、本を出版された。『1分腸マッサージダイエット/ワニブックス』という。中はカワイイイラストが満載されていて、なかなか読みやすい本だ。興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
「銀座アバンダンス」はメルサの3階。銀ブラで疲れた体をちょっと休めるのに、とてもありがたい場所であります。ぜひ一度おためしあれ。
絵/エッセイ:へるすあっぷ21 2007年2月掲載