2008年8月16日土曜日
「浦島太郎」
冷房もつけず、毎日ウンウン唸るコンピューターの前でがんばっている。
別に誰も冷房つけるなとは言っていないのに、なぜかこだわってつけない。あとで家の中で熱中症になってもしらんぞ。
というわけで、今日は涼しげな海の中の浦島太郎。
私にとって亀は身近。歌の文句じゃないが、私は波の音を子守唄に育った。我が家の目の前は海。後ろは即山!ほとんど平地がない。国道に沿って点々と、人の住む家が山のふもとにへばりついている。そんな大自然に囲まれた(囲まれ過ぎ)すばらしいところにいた。
夏は夜になると、近所の人たちがこぞって遊山をしに浜にでる。真っ暗闇で飲んで食べて遊んでいると、ふと何かが横を通り過ぎるのを感じる。でっかいウミガメだ。彼女は村人を気にするでもなくゆっくりと浜を縦断し、気に入った場所を掘りはじめる。そこにぽっとんぽっとんとピンポン球くらいの大きさの真っ白い彼女の卵を産みつける。顔は、目からでる「涙」で砂まみれだ。大事業を終えると、またゆっくりと海に帰っていく。彼らの計り知れない行動を目の当たりにすると、私たちニンゲンは、本当にこの地球におじゃまさせてもらっている、幼い生き物なんだなという思いにかられる。そういうものに触れて、人は大自然に対して謙虚になれるのかもしれない。
朝浜にでると、砂の上に戦車が走ったようなあとが海の中からついている。「あ、ウミガメさんが産卵したな」とわかる。私たちは生まれたての卵を掘り起こしてそっとバケツにいれ、小学校の校庭の片隅に作ってある砂場にもっていく。そこでふ化させるのだ。二ヶ月くらいたつと、ピンポン球を押し破って、ちっちゃな子ガメがあらわれる。あっという間に砂場は、うじゃうじゃと元気な子ガメでいっぱいになる。それをいったんいけすに離したあと、まとめて海に放流するのだ。なんで分かるのだろう。子ガメはまっすぐ海に向う。この何百匹という彼らが成長したのち、この浜で卵を産んでくれるのは、この中でいったいどのくらいいるだろう。今、海の中で悠々と泳ぐ大きな亀たちは、幾多の災難を乗り越えて生き延びて来たエリートたちなのだ。
ウミガメの目はうるうると潤んでいる。その瞳の奥は、ニンゲンが想像もしないような、深遠な世界をのぞいて来たに違いない。私はいつかその目の奥の物語をつかんでみたいと思う。
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