2008年8月28日木曜日

イノシシ



先日、近所の友人にイノシシの肉をもらった。裏の山に仕掛けてあったワナにウリボウのちょっと大きいやつが三頭かかったんだそう。
私はその貴重な肉をおすそわけしてもらった。
シシの肉なんてむかーしボタン鍋にしたのもを食べたぐらいだ。確かイノシシは臭いから、みそ鍋にしないと食えないんだといわれて、鍋を食べた記憶があるだけだ。
「塩焼きにしたらウマいよ」という。く...臭くないのか....?恐る恐る焼いて食べてみた。まったく臭くない。噛み締めるほどに肉の甘みが出て来て、嬉々として美味しくいただいた。

その土地で育った野性の動物の肉をいただく。なんと原始的で、力強いことか。ひょっとしたらあの肉は、ウチの家の前の川を毎晩走っていたイノシシだったかもしれない。ウチの前で川の石をひっくりかえし、沢ガニをボリボリ食っていたやつかもしれん。そうおもうと、命をいただいているという思いが深くなる。
なんだかそのイノシシ肉を食べただけで、この地と深くつながってしまったような気さえする。そりゃ、この近所の野菜をしょっちゅう食べて、私は野菜たちに体を作ってもらっている。そういう意味では「つながっている」。でもこのイノシシの肉を私の体に入れたことで、何かもっと深いところで、魂でつながったという気がしてならない。

地のバランスをとるという役目を持った人たちが昔いたという。彼らはその地のバランスをとるために、最初にその地とコミュニケーションをとらなければならない。そのために、地に生えた野草を10種類以上かたっぱしから食べるのだそうだ。その中には毒草が含まれている場合もある。だからこそ、あえてたくさんの種類の野草を食べるのだそうだ。なかには毒を中和してくれるものもあるからだ。そうやって彼らは大地とつながり、調整をしていく。地とつながる、つまりコミュニケーションをとるとは、なんの人の手も加えられていない、野性そのものを体内に入れるということなのかもしれない。

現代は、菌やバクテリアやウイルスが怖れられている時代。そうおいそれとは野性に手をつけてはいけないのかもしれない。昔ほど人は強靭ではなくなった。しかしその一端を体で感じ取ることが出来たことは貴重だった。おもわず夜中にターザンしたくなった。

思わぬところで野性を口にして、いろんなことを考えた時間だった。
ありがとうごさいました。

絵:オリジナル絵本「はなたれさきち」より

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