2024年5月23日木曜日

聖霊の見方、自我の見方

 

「けものみち」和紙、水彩

あることが急に怖くなった。

事あるごとにそのことが思い出されて、頭はずっとそれに囚われていた。

どうしようどうしよう~。


どうやったら、この恐れを払拭することができるのか?

色々理屈を考えてみるが、ちっとも心が晴れない。


もうその場的な代替え治療では、心が納得できなくなっている。



あ、そうだ、聖霊に聞くのを忘れてた。


「聖霊さん聖霊さん、私は今、これについてめっちゃ恐れています。

私はこれをどう見ればいいのですか?

あなたの視点でこれをどうみるのか教えてください!」

一瞬、必死で、心底聞いた。


相変わらず、何も言ってくれない(笑)。


でもきっと聞いてくれているだろう。

そう思って放っておいた。


2、3日後。

その答えがまったく想像だにしなかった方向からやってきた。


「こっ、、、これか。。。」


聖霊の見方はいつも心が広がる。

やってくるとすぐわかる。

ブワッと広がって、それまでの恐れが消えるのだ。


私にとって聖霊は、何をするかを教えてはくれない。

「こういう見方でありなさい。」


その見方でいいというときもあれば、

こういう考え方をしなさいというときもある。


どっちにしろ、嬉しくなる。


この世界の見方、「こうしなさい」とか「こうあるべき」は、

ぎゅっと心が縮こまる。

「する」ことに終始させる。


その声に、「ああ~、やっぱそうしないといけないのか~~」と、気が滅入る。

そして無理やりその声に従うのだ。

そのとき、自分じゃないものに、自分を押し込む感覚になる。


だが聖霊の見方は、することを言ってこない。

こう見なさいというだけだ。


その見方はこれまでと方向が違うので、びっくりする。

そのびっくりは心がウキウキする。

「え!それでいいの!?本当に!ヤッタア~!」


自分を違うものの中に押し込むものではなく、

あなたがもっとあなたらしくなっていくんだよ!と、

全肯定をしてくれるものなのだ。


だから見方が変わると、自動的にそれにあった行動をし始める。

それは強制じゃない。喜んでそれをやる。

外からではなく、自発的にウキウキと。



一人では何もできないことを知る。


そして一人ではないことを知らされる。








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