一年半関わっていた町会の冊子作りの版下がついに入稿された。
ホッとしたのもつかの間、ひっきりなしに思い出され、恐れが浮上する。
あれは大丈夫だっただろうか。
あの書き方はまずかったんじゃないか。
あれほどチェック入れたけど、まだどこか抜けているんじゃないか。
とんでもないものが抜けているかもしれない。。
あとでどんな言われ方をするんだろう。。。
恐れで震える。
たまらなくなって、ダンナに話す。
「あんなものは、5分見たら忘れる。文句があってもそのうち忘れる」だから気にすることはないという。
「そうだよね。」彼の優しさに一瞬ホッとしながらも、やっぱり恐れは消えなかった。
彼と話している時、一瞬あるものが見えた。
それは私というものが、この小さな体に入っているというビジョン。
次に出てきた疑問。
「本当の私は?」
あ。私はカタチじゃないんだった。
この体に入っている「私」じゃなかったんだ。
じゃあ、本当の私は?
なんの形もない存在、それは言葉にするなら、愛だ。
そうだ。私は愛だ。。。。
私はあの冊子を、愛を通して作ろうとしてきた。
この町会の人々のことを思い、愛で作ろう、愛で作ろうと試みてきた。
梨の木には、梨の実が、リンゴの木には、リンゴの実ができる。
では愛という存在が作ったものは、愛なのではないか?
そう考えた時、私は見ているところを間違えていたことに気がついた。
この小さな体の中から見るならば、必ず恐れを見つけ出す。
それは個別の私という分離から見られたものだから、分離しか見えない。
言葉という分離、自分と他人というカタチの違いの分離、正しいと間違いという考えの分離。。。
肉眼の知覚から見るならば、違いを見る。
しかし愛の視点で見るならば、それをはるかに超えていく。
肉眼の知覚から見るならば、恐れの材料を見る。
愛の視点で見るならば、愛しか見えない。
どちらを選ぶ?
私は今選ぶことができる。
そう気付いた時、私の心は初めて平安になった。
絵:ラブロマンス表紙イラスト
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