2017年12月14日木曜日

Yes to life!


この動画を見て、はっとした。

すべてのことに「Yes」と言おうという。

自分の中に現れてくるもの。言葉、感情、感覚、そして自身の人生に対しての、
そのすべてに「いいよ」と言おうと、うながしてくる。



わたしは自分が自分に対して、どれだけ「ダメだ」と言い続けたか。

自身の作品への評価、生活態度への評価、身体への評価、考えへの評価、自分のクセへの評価、起こって来る感情への評価、過去への評価、未来への評価、、評価、優劣、判断。。
これもダメだ、それもダメだ、あれもダメだ、すべてダメだ。


ある日自分が『ダメ出しの王』だということを知った。

知ったからといって、「じゃあ、今日から出さなくなります」とはならない。
むしろ、ありとあらゆるシーンで、ダメ出しが行列をなしていることに、吐き気がしたぐらいだ。

「こりゃあ。。。。ある種、変態だな。。。」

どこでどう覚えたのか、「ダメだし」をすることによって、ダメな自分がよくなるという観念を持った。新種の宗教みたいなもんだ。『ダメだし教』

この宗教、最初に「あなたはダメ人間です」という、ありがたいお札をもらう。
そのお札を額に貼付けて、ダメだしチェックの念仏を唱える。
「これはだめだ。あれもだめだ。それもだめだ。ああ~ぜんぶだめだ~~」
と、唱える。
そーやって、かれこれ50数年念仏を唱えてきた。
実にありがたいお経だった。そのおかげでここまで生きてこれた。

が、それもここんところ効力をなくしはじめてきた。
ここにきて、それが自分に多大なる限界を作っていたことに気がつきはじめた。
浮かんでくる言葉、感情、感覚、すべてに対してダメを宣告し、自らの行動を小さくして来たのだ。

そして、冒頭の動画。

なんてことだ。
まったくま逆のことをやっていたではないか。。。

そしてそっと言ってみる。
「い、、、いえす。。。」
「い、、、いい、よ。。」

それからわたしは自分の中から出て来るありとあらゆる言葉、感情、感覚に、
「いいよ。」といってみた。

たとえ、それがえげつない言葉であっても、
「うん。それでいいよ」と。
仕事で失敗しても、
「いいよ」
ハラが立っても
「いいよ」

そっと心の中で言ってみた。

なぜだか、何かに大きく受容されているような感覚になりはじめた。
ホッとするような感じがやって来る。
それはまるで、どんなにイタズラしても、
「いいよ」と、微笑んでくれる何かがすぐそばにあるような、そんな安心感だ。




SNSの「いいね!」は、人からもらうもの。
じつはいくら外から「いいね!」をもらっても、
自分自身が、自分を受け入れてない限り、「いいね!」は、すーっと消えていく。
だからいつも「いいね!」が欲しくなる。



でも「いいよ」は自分で自分に言う。
「そう思っているんだね、それでいいよ」
「そう感じているんだね。それもいいよ」

きっとハラが立つにはハラが立つの理由がある。それを自分で認める。
きっとかなしいのは、かなしい理由がある。それを自分で受けとめる。

自分の中に、あったかいものがあふれてくるのを感じていた。




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